わがままジュリエット

尾崎 剛

わがままジュリエット(前編)


 土曜日の昼間、僕はひと回り以上年下の妻の響子と、小学校1年生になったばかりの幼い娘、亜美を連れてTDLに来ていた。手をつなぎ合って喜ぶ妻と娘が今、僕の目の前にいる。


土曜日と言うこともあって、うんざりするほどの人混みの中、僕はそんな無邪気にはしゃぐ妻と娘の写真をスマフォで撮影することに夢中になっていた。

妻と娘が仲良く笑っている。僕はそれが何よりも幸せなことだと感じている。


なぜなら、妻と娘は血がつながっていない母と子だから。しかも亜美は、僕とも血が繋がってない娘だから。もちろん亜美はこの事を知らず、僕のことを本当の父親だと思っている。


つまり僕は今の妻である響子とは再婚で、娘の亜美は僕の前妻が不倫の末に産んだ、父親の顔さえ知らない子どもだと言うこと。前妻の不倫が原因で離婚したのに、前妻は亜美のことをゴミでも見つめるような視線で一瞥するだけで世話をすることはいっさいなかった。幸い僕がフリーの自営業の仕事をしていたから亜美の世話は僕がずっとしていた。


だから離婚の際に僕が亜美を引き取ると申し出た時の元妻の不愉快な笑顔は簡単に忘れることができなかった。


僕ら3人は血の繋がっていない。でも、とても幸せな、僕が憧れていた理想の家族になることができた。今僕の目の前ではしゃぐ響子と亜美をみていると、幸せで涙が零れてきてしまいそうだ。僕はやっとつかんだこの幸せを守り続けていこうと心に決めている。


響子と亜美は2人仲良く手をつなぎながら広いTDLを思う存分楽しんでいる。僕は基本的には人混みが大嫌いだけれど、ある日2人から「TDLに連れて行って!」と頼まれたから断るわけにはいかなかった。響子には日頃の感謝の気持ちを込めて、亜美には愛情を込めて、僕はスマフォで1か月前に今日のTDLのチケットを予約して手に入れることができた。

それを2人に伝えると響子と亜美はキャーキャーと黄色い声をあげて喜んでくれた。そんな2人の明るい笑顔を今日見ることができて僕の心も踊るように楽しんでいる。


 さらに僕を嬉しくさせたのは今日の天気だった。今にも落ちてきそうな大きな太陽が真っ青な空に浮かんでいて、ただでさえ色鮮やかなTDLをさらに色鮮やかに輝かせ、妻と娘の笑顔を最高のものにしてくれている。だから写真好きな僕としては綺麗な光が散りばめられたTDLではしゃぐ2人の写真が思う存分撮れることに夢中にさせてくれる。たまにベストショットが撮れたと思ってスマフォの画像を確認すると、僕と2人の間に他の家族がちらりと写り込んでしまっていてへこむこともあるけれど、2人がこんなに喜んでくれているのだから、そこは我慢しようと自分に言い聞かせながら夢中でスマフォのシャッターを切っていた。


 来年には家族がもうひとり増える予定になっている。そう、妻である響子は今そのお腹の中に新しい命を宿している。もちろん僕と響子の間に授かった新しい「命」だ。ある日響子が体調不良を訴えてきた。僕はすぐに響子が妊娠したことに気がついて、響子を車に乗せて横浜にある総合病院の婦人科に連れて行った。

「おめでとうございます!ちょうど妊娠3か月ですね」

それが熟年の女医が僕と妻に言った最初の言葉だった。それを聞いた響子は驚きの表情から嬉しさの表情に変わり、両手で鼻まで塞いで大きな涙をとめどなく流していた。妻、響子と出会ってから季節がひと回りした頃の素敵なニュースだった。


 僕は今年で39になる。響子とは16歳も年が離れている。いつどこでそんな若い妻と出会えたのかと言うと、それは娘を入園させていた横浜市立の幼稚園の中での出会いだった。そう、妻はそこで保育士として娘を世話してくれていた。

そこで響子を初めて見た時、僕は響子にひとめ惚れをしてしまった。ジャージの上にエプロンをして、子どもたちと一緒になって楽しそうに笑っている、そんな優しい響子に僕は天啓を受けたかのように惹かれていった。毎朝夕、幼稚園に娘を送り迎えするのがとても楽しくなっていた。そんな響子との初めての会話は、ごくありふれた朝夕の挨拶だけだった。


「先生、おはようございます。今日もよろしくお願いします」


「先生、今日もありがとうございました」


 その2つの挨拶程度の会話だった。そしてついに亜美の先生である響子とまともな会話ができる機会が訪れた。亜美が妙に興奮して熱を出してしまったことがきっかけとなった。小さな子どもによくありがちな発熱だった。その日僕は亜美に今日は幼稚園を休むようにと諭したが、亜美がどうしても幼稚園に行きたい!先生やみんなと遊びたい!とわがままを言って僕を困らせたので、僕は渋々娘を車に乗せて幼稚園へと送っていった。

 

いつものように幼稚園近くのコインパーキングに車を停めて、リンゴのように真っ赤な顔をした娘の手を引きながら幼稚園の門まで辿り着くと、そこにジャージの上にエプロン姿の娘の担当である先生(響子)が出てきた。


「先生!おはようございます!」


亜美は病人とは思えないほどの元気な声で先生に挨拶をした。幼稚園の先生はその時に娘の頬が熱いリンゴ色に染まっていることにすぐ気がついた。


「あの、お父様・・・亜美ちゃん、もしかして風邪ひいてらっしゃいますか?」


「はぁ、風邪ではないと思うんですが何か興奮しているようで熱がありまして・・・今日は幼稚園を休むように説得したんですが、どうしても幼稚園に行きたいとわがままを言って聞かなかったもので・・・」


「そうですか・・・たいへん申し訳ありませんが、園の規定でお熱がある子は休んでいただくことになってるので・・・」


「ですよね・・・わかりました。今日は休ませます」


「はい、わかりました。一応病院に連れて行ってあげてくださいね?」


「はい、そうします。ほら、亜美。先生が今日はお休みしなさいって言ってるよ?」


「やだぁ~!先生やみんなと遊びたいの!」


「亜美ちゃん、そんな事言っちゃお父様が困るでしょ?ね?いい子だから今日はこれからお父様と一緒に病院に行かないとダメよ?」


「ほら亜美!先生も困ってるじゃないか?わがまま言ってないで病院に行くよ?」


「亜美ちゃん、今日はゆっくり休んで、また明日、先生と遊ぼう?ね?」


「・・・うん・・・わかった・・・」


「うん!いい子いい子!」


 そう言いながら響子はしゃがんで亜美の頭を撫でまわしてくれた。その汚れのない白い肌をした手がとても鮮明に美しく見えたのを今でもはっきりと覚えている。僕の心臓がバクバクと強く脈打って、僕の顔まで真っ赤にさせた。


「先生・・・今日はすみません・・・」


「いえ、たぶん明日には治ってるでしょうから。子どもは興奮するとすぐに熱をだしますからね。でも、念のため亜美ちゃんを病院にお願いします」


「は、はい、今日はそうします。ありがとうございました」


そう言って僕は先生であった響子に軽くお辞儀をすると亜美の手を引っ張って車を停めてあるコインパーキングに戻ろうとした時だった。亜美が響子のジャージの袖を引っ張って、


「ねぇ!先生も一緒に病院いこう!」


突然亜美がまたとんでもないわがままを言い出した!僕はもちろんそんなわがままを言う亜美を注意した。響子が困惑の表情を浮かべていたからだ。幼稚園の先生である響子がそんな顔になるのは無理もない。僕は亜美の頭を軽くひっぱたいて、


「こら!わがまま言って先生を困らせちゃダメじゃないか!」


「だ、だって~・・・」


そう言うと亜美は堰を切ったように大きな声をあげて泣き出した!僕は焦った!いったいどうしたらいいのかわからなかったから。娘の気持ちに疎い僕。父子家庭はそんなものだろうか?母子家庭だったら状況は変わっていたのかもしれない。僕はどう頑張っても亜美の母親にはなれない。亜美はまだ母親の温もりを知らない。


僕と前妻の春香が、まだ亜美が物心つかない時に離婚してしまっていたから。だから亜美は幼稚園の先生である響子にその母の温もりを感じて甘えていたんだと思う。その時僕は先生である響子に助け船を出してもらおうとして響子の瞳をちらっと見つめた。困惑した表情の響子は眉間に皺を寄せていたが、すっと笑顔になって、わがままを言う亜美にこう言った。


「亜美ちゃん、わかったから。先生も一緒にいってあげるから。もう泣かないで?ね?」


 すると亜美は手のひらを返したように涙を拭いて微笑んだ。今思えば、これは亜美のわがままからきた作戦だったのかもしれない。亜美はこれほどまでに先生である響子のことを母親のように信頼し、そして愛していることが僕にもわかった。そんな亜美のわがままな作戦で、響子も僕と一緒に病院に行ってくれると言ってくれた。


こうして僕と響子は亜美のわがままによって離れていた保護者と先生の関係と言う距離を一気に縮めてくれたのだった。僕は正直、そんな亜美に心の中で感謝した。


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