第16話 上野町

久々に生身の人間と話をして疲れたので、その日は隣町のスーパーへ必需品の買い出しへ行くだけにしておいた。

もちろん家にこもって、ネットにつないで、メールを確認するぐらいのことはしたが。



翌日は、お土産を持って近所へあいさつ回りへ行く。

真実まみも連れて行く。


もう、元オーナーや役場の人に見られているので、個人情報ダダ漏れの田舎社会で娘の頭が大きいことは知れ渡っている。

意味がないのであえて隠さないことにする。


引っ越す前は周囲の人に知られる事に対し、戦々恐々としていたことを思うと何だかすがすがしい気分だ。


都会だと隣近所の名前も知らないまま何年も暮らせてしまうし、ニートではないが人との接触を避ければ隠れて生きていける。


田舎でも生協があるので籠ろうと思えばもしかしたら可能なのかもしれないが、人の絶対数が少ないので顔と名前が簡単にマッチしてしまう。

不審者だと思われないうちに、挨拶をしておいた方がよいだろう。


お隣はお年寄りのお婆さんが一人暮らしをしていると弁護士の三好先生から聞いている。

お隣と言っても都会のお隣とは違う。

自分の家があり、雑木林と言うか茂みがあり、その先に住んでいるお隣さんなので少し歩く。


「すいませーん。どなたかおられますかー」

都会基準では結構な声を張り上げているつもりだが誰も反応を示さない。

玄関に手をかけると鍵はかかっておらずドアが開いた。

「すいません。相原さんはおられますかー。となりに引っ越して来た杉本と申しますー」

ピンポンは壊れているらしく押しても音がしない。

仕方なく玄関を開けて叫ぶこと約1分。


「あれあれ、どなたですかー?」

白髪のお婆さんが、恐らく急いでいるのだろうが、ゆっくりと奥から姿を現した。


「すいません。となりに引っ越して来た杉本と申します」

「あーれー、こりゃかわいい子だねー。ずいぶんおーきくてまー」

良夫の挨拶は完全に無視されて、お婆さんの目は完全に赤ちゃんへ釘付けとなっている。


何を言っても聞こえていないようで、お婆さんは勝手に真実まみの頭をなでながら「かわいい」と「大きい」を連発している。


「と・な・り・に・こ・し・て・き・た・す・ぎ・も・と・で・す」

耳元で話すとようやく理解できたようで、反応をしてくれた。

「ああー、あんたかー。聞いとったよー」


間延びして要領を得ない話をまとめると、三好先生が既にご近所、というか集落全体を回り挨拶を済ませておいてくれたらしい。


「あーんな、べっぴんさんもろてねー」

恐らくこれは三好先生の落ち度ではないだろうが、お婆さんの頭の中では勝手に先生が私の嫁設定になっている。

何度か「あれは弁護士の先生なので、私の嫁ではありませんよ」と抗議を行ったが、お婆さんの反応を見る限り理解してもらえていなさそうだ。


こんな風にご近所さんへの挨拶をしていったのだが、相原さんが一番痴呆症が進行している部類のようだった。

ただ、他のご近所さん老人方も畑に出ている方を除くと、暇を持て余しているようで挨拶だけで帰してくれることはなく早くて30分はかかった。

結局三日間かけて近所への挨拶を行った。


頭の大きな娘への反応は様々だったが、不思議と気にならない。


なぜなのだろうかと考えてみる。


もしかすると自分自身をよそ者だと感じているからなのかもしれない。

旅行で外国に行った時に、現地の人にどう見られようと気にならないあの感じだ。


あまり良いことではない。

旅行と違いここには定住するのだから。

まだ、覚悟が足りていない証拠だろう、と少し気を引き締める。



挨拶回りを終えて分かったのは、近所に同年代の子供はいないと言うこと。

もっというと私と同年代の世代とすら会わなかった。

一応、役所勤めの夫婦がいるそうだがまだ会えていない。


そして、集落には店はなく、町(上野町のこと)には雑貨屋があるが、そこでは何も揃わないと言うことだ。

みんな車を運転して片道車で20分くらいかかる隣町のスーパーへ買い出しに行くらしい。

正直、真実まみを連れて行く必要はないのだが、近所の人に小さな子供を放置して買い物に行っていることを知られたら問題になるかもしれないので連れて行く。


ある程度物がそろったら、その後は野菜は直売所、オムツとミルクはアマゾン、それ以外の食べ物は生協を使い、都会にいた時とあまり変わらない家にこもった生活をすることになりそうだ。



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