第70話 最後の一欠片(ピース)

 先程までスクレナがいた場所に、スズトラが入れ替わる形となって幾許かの時間が過ぎた。

 だが隣の猫娘は塀の外に垂らした足をプラプラさせるだけで、眼下の風景をただジッと見つめている。


 こっちもまた黙りか。

 しかも話があると自分から呼び止めたにもかかわらず。

 基本的に俺の周囲の女性陣はお喋りだが、その中でもこいつは別格と言えよう。

 常若の国の屋敷で過ごしていた時も、毎日テラスで何時間もお茶と会話を楽しんでいる姿を見ては、デリザイトと共に何をそんなに喋ることがあるのだろうかと眺めていた。


 しかし他の者ならば「寡黙になる日もあるかな?」で片付く状況でも、ことスズトラに限っては明らかに異常事態だと捉えられる。

 いつもなら「今日の朝食」というつまらないお題を与えただけで、最短でも1時間は喋り通せるくらいなのだから。

 出会ってから何度、頭を全方位すっぽりと覆い隠せる専用のヘルメットを望んだことか。


 出会った頃……

 思い返してみて、いまだに抱えている謎がふと湧き上がってきた。


 スズトラと初めて顔を合わせた際には、少しばかり騒動になってちゃんとした挨拶が出来ないままだった。

 こちらは以前にケット・シーの隠れ家でスクレナより話を聞いていたので、口から出た名前だけで何者かを把握した。

 だが向こうは再会してから情報を仕入れる間もないはずなのに、いきなり俺の名前を知っていたのだ。

 それだけなら周りの誰かが呼んだのを耳にしていたと考えられるが、なんていうのだろうか。

 まだ会話に出していない部分まで知っている昔馴染みのよう感じられた。


「それだぁっ!!」


 び、びっくりした!

 なんでいきなりこちらを指差して叫び出したんだ。

 おかげで星空と自分の足を同時に拝むという稀な体験を続け様にするところだったぞ。


「にゃは! ごめんごめん。えっと、なんでエルちゃんのことをはじめから詳しく知ってたかだよね? それは――」


 スズトラは突き出していた指を徐々に下げていき、俺が腰に携えている小物入れを指し示した。

 故郷の村で生活していた時から使っていたからえらく年季が入っているという以外には、特別な点が見当たらないほどにありふれた雑貨だ。

 これが答えだっていうのか?


「その中にあるものからセリちゃんの匂いがしたんだよ。それに本人から聞かされていた特徴と合致していたから間違いないと思ってね」


 そう言われたら気になるのは必然。

 入れ物を開けてその場で中身をひっくり返してみる。

 一体いつしまったのかも覚えていない硬貨や綺麗な石、何かの部品などの下らないガラクタばかり。

 だけどその最後に出てきたものに一瞬だけ心臓を鷲掴みにされる思いがした。


 これは帝都で行われた剣聖と聖女の婚約記念パレードの日、セリアに突き返された木彫りのペンダント。

 あの時に手に取って、無意識のうちに入れたまま今日に至ったのだろう。


 それはともかく、この中の何かからセリちゃんとやらの匂いがしたおかげということか。

 そういえばティターニア様の菜園で初めて顔を合わせた時に鼻をひくつかせていたっけな。


 ……うん? セリちゃん? え? セリ――


「そうそう。ウチってば帝国の重要施設とかへ潜入調査していた時にセリちゃん、つまり聖女セリアちゃんね、のところでお世話になってたんだよ! そのペンダントってエルちゃんがプレゼントしたものなんでしょ? セリちゃんがいっぱいお話してくれたから、なんでも知ってるよ!」


 もう構いやしない決めていたのに、いざ自分の話題が出ていたと言われればどうしても気にはなってしまう。

 しかしそれは相手が誰であろうと必然ではなかろうか。


「ねぇ、エルちゃん。そのペンダントを投げて返した後、セリちゃんがなんて言ったのかは聞こえていた?」


 指摘されて思い返してみれば、俯く俺に対して見下ろすセリアが何かを言っていたような気がした。

 茫然自失していて上手く聞き取れなかったが、あの状況下では自分にとっていいことだったとは思えないが。


「あの時はね、こう言ったんだってよ。『まるで私たちみたいね』って」


 手のひらに乗せたペンダントに目を落として、まじまじと眺めてみる。

 これが俺たちみたいだって?

 様々な側面で考えてみたが、唯一の思い出の品を手放すことでの決別という以外にあるのだろうか?


「セリアはこの件について他にどんな話をしてたんだ?」


 もっと情報があれば何か分かるかもしれない。

 そう思って問うてみるも、スズトラは無言で首を横に振った。


「ダメ、確かにウチはその答えを知っているけど、エルちゃんが自力で正解を導き出さなければ意味がないんだよ。本来なら取りこぼしていたはずだったさっきの一言ピースを与えただけでも、出しゃばりすぎかなって思ってるんだから」


 真面目なトーンで諭されるのは予想外だったが、こちらには特に反発する意思はない。

 望むかどうかは別にしても、確かにここで聞けただけ儲けものだというのは正論だ。


 だがなぜそれを出会ってから何ヶ月も経った今になって伝えるのだ?

 さっきまでの様子からすると、顔を合わせてすぐに言わなかったのは躊躇ためらっていたからみたいだが。

 その理由も、心変わりした切っ掛けもまだ分かってはいない。


「ねぇ、多分だけどエルちゃんはさ、ウチらのこと薄情だとか、内輪主義だとか思ってるんじゃないかな?」


 ドキッとしたのは急に話題が切り替わったからではない。

 まさに図星をつかれたからだ。

 こいつらは身内同士の結束力は高いものの、それに比例するように周りの無関係な者たちに対しての関心が薄い。

 まさに先日に起きた、クレフが魔物に襲われていた件でも同じことを感じていた。


「にゃはは! いいよ、そこらへんはウチらも自覚しているからさ!」


 動揺が表に出て肯定の意を示してしまったか。

 それでも当の本人は怒ることも悲しむこともなく、あっけらかんとして笑いとばす。

 元より承知だったようだが、スズトラのおおらかさに助けられたのは間違いない。


「でもね、ちゃんと理由だってあるんだよ。それは闘将のみんなが果てしない時を生きる種族だからなんだ。ウチだって普通の猫だった頃に一度死んでこの姿になったから、たぶんもう寿命なんてないだろうし」


 さりげなく衝撃的な事実を公開したな、こいつは。

 しかし長く生きるから無関心になると?

 時間を重ねたことで、もはや感情をすり減らしてしまったとでもいうのだろうか。


「ううん、寧ろ精神を保つためにかな。厳密に言えば自分が信じる絶対的な対象をひとつ、心に決めているって感じだね」


「お前たちにとってのそれがスクレナというわけか」


「そそ、そりゃあたまには気持ちに抗えず他の何かに情が移って背負い込むこともあるけど、一度そうなると簡単に捨てたりって出来ないでしょ? それがあまりにも多くなりすぎると重圧に押し潰されそうになっちゃうし、相反するものが入り交じっちゃうと苦渋の選択を迫られる機会も増えていくからね」


 俺なんか死という概念を知る歳になってからは、寝る前などのぼんやりとした時間の中にいると、たまに意識して否定的な感情を抱くこともあった。

 いつか必ず自分にも終わりの日が来る恐怖と、長生きできる者たちへの羨望からくる不公平感を。

 だけど過去のスクレナの言葉を借りれば、この世界は光と闇、安寧と激動が表裏一体となって巡っている。

 同様にヒトが生きていく限りは決して悦楽だけを拾い上げられるわけではない。

 永遠を生きるということは、その分だけの苦痛や悲哀すら蓄積されていくことになるのだから。

 きっと与えられた者たちにとっては呪縛のようなものに近いのかもしれない。

 だからこそ闘将たちは、闇の女王の掲げる御旗を共に握りしめることだけに専心することを決めたのだろう。

 実際に接点を持って尚、多くの部分においてスクレナがそれに足る人物だと認めた上でだ。


「執着の度合いやその多寡はともかく、『自分が信じる何かの為に戦う』という点のみについては長命の種族だけに限ったことじゃなく、思想を持つ者なら例外なく当てはまるんじゃないかな。大切な誰かだったり、宗教の教えだったり、あるいはお金や自身の武力すら当てはまるもんね」


 それは今回の戦においても言えることだな。

 王国側も帝国側も、参戦する者はそれぞれがそんな信念を胸に秘めて自分の身をなげうつのだろうから。


「話を最初に戻すとね、だからウチはずっと黙っていたし、今もまだエルちゃんに言ってよかったのかどうか確信が持てずにいるんだよ。もしかしたら余計なことをして、スクレナ様を泣かせるんじゃないかと思って」


 俺がスズトラの知る真実の全てを知れば、スクレナが悲しむかもしれないって?

 だったらなぜ完全に打ち明けなかったにせよ、わざわざ俺にセリアとの一件を思い起こさせるようなことをしたんだ。


「だって、う~ん……むぅ~……もう! これこれ! まさにこれなんだよ! ウチが自分で言ってたのに」


 大きく膨れた風船が破裂したように、スズトラは突然叫びながら頭を掻きむしる。

 それ以上を語らなかったが、何が理由で癇癪かんしゃくを起こしたのかはすぐに分かった。

 こいつにとってスクレナの地位が常に頂きにあるということに偽りがないのは本当だろう。

 だけどおそらく数年、悠久の時を生きるスズトラにとってはほんの僅かな年月だが、共に過ごすうちにセリアも無視ができない存在になったに違いない。

 あいつは無類の動物好きだったしな。



 俺がまだ幼かった頃のエピソードだけど、周囲を気にするような怪しい挙動で古い納屋に入っていくセリアの姿を見かけたんだ。

 気になって後から中に入ってみると、うずくまった幼馴染みの影には一匹の仔犬が。

 聞けばある日のこと、山の入口付近の茂みの中で弱々しい声をあげて鳴いていたところを保護したらしい。

 だけどなぜこんな場所でコソコソと飼っているんだとさらに質問をすると、向こうからはこんな答えが返ってきた。

「うちは裕福じゃないからお父さんたちにこれ以上は負担をかけられないじゃない。だからこうして自分のごはんを残して内緒で運んでいるの」って。


 こっちだって似たり寄ったりの貧乏暮らしだったから、普段の一回分の食事が腹を満たすほどもないことくらい分かっていた。

 なのにそのほとんどを分け与えるなんて、そのうち体を壊すのは火を見るより明らかだ。


 それが気掛かりで、「おじさんに言えばきっと何とかしてくれるから」、「一緒に頼んでやるから」と説得していざ相談したところ、驚きの事実が発覚した。

 俺もセリアも完全に子犬だと思っていた生き物が、実はガストウルフという大型の魔物の赤ちゃんだったのだ。

 もし親がまだ生きていてこの子を探していれば、もしその群れが大規模であるのなら、村の安全が脅かされる恐れがある。

 だから大人たちは、すぐに処分という決定を下した。


 それからというもの、聞かずとも雰囲気で察したセリアはわんわん泣いた。

『絶対に渡さない!』という意志を示すように、ガストウルフの赤ちゃんに覆いかぶさりながら。

 腕の隙間から顔を覗かせる魔物の子は、セリアに見つけてもらった当時の話を彷彿させるように悲しげに鳴いていた。

 まるで知らない人間たちに囲まれている怖さよりも、泣きじゃくる女の子の心配をしているように。

 ついには「この子を殺すなら私も死ぬ!」なんて、本気としか思えない様相で叫び出すものだから、それには周りの村人たちもすっかり気後れしてしまっていた。

 普段は大人しく、聞き分けのいいセリアだったから余計にだ。


 マインタートルの如く動かない少女の抵抗は長いこと続いたが、そこにこの膠着状態を打破する案を提唱する者が現れた。


 俺の親父だ。


 親父は人間には人間の、魔物には魔物の住む世界があること。

 そしてこの子には厳しい世界を生きていく術を教えてくれる本物の両親が必要なことを諭した上で、自分が群れを探し出して返しに行くと言った。

 おかげでしばらく考え込んでいたセリアも最後には、お父さんやお母さんと一緒に暮らすのが一番幸せだからと魔物の子を託した。


 危険だと猛反対する村の者たちの言葉を聞かずに出発した親父だったが、自殺行為だという周囲の予想を覆すよう数日後には何事もなく無傷で帰還。

 セリアにはちゃんと約束を果たしたと伝えていたが、周囲の大人たちは「ああ、然るべき処置を取ってくれたんだな」と解釈していた。

 だけど親父がセリアに対して嘘をついてたとは今になっても思ってはいない。

 ズボラで面倒くさがりで碌でもないけど、何かしらの命が関わる重要なことで、相手の気持ちを決して蔑ろにしないのは分かっている。

 きっとあのガストウルフの赤ちゃんは無事にあるべき場所へ帰れたのだろう。


 それを直接的に成したのは親父だけど、最も影響を与えたのは魔物だと分かっても、変わらずひとつの命として考え、橋渡しとしての役割を担ったセリアであろう。



「どうかしたの?」


 古い記憶に深く入り込んでいた俺の顔を、スズトラが不思議そうに覗き込む。

 こいつもそれくらい大切にされたのかもという引き合いの為に思い出していたはずなのに、かなり没頭していたようだ。


 おかげで話はずいぶんと逸れてしまったが、スズトラがこれまでずっと口を噤んできた理由は分かった。

 だけど何がその迷いを断ち切って、今になって打ち明ける決断をさせたのだろうか?


「うん、最後にそれくらいは教えてもいいかな」


 ここは意外にもあっさりと承諾してくれたな。

 一体どんな言葉が出るかと心を引き締めて待ち構えていたが、想定していたものにかすりもせず、肩透かしを食らった気分になった。


「だって、エルちゃんが脆くて儚いからだよ」


 いまいちピン来ないけど、なんだか貶されてる感じがするのだが。

 それって言い換えれば俺が弱いからってことだよな。

 実際のところ他の仲間たちと比較すれば否定はできないのだけど。


「そうじゃなくって、ウチはそれがエルちゃんの強みだと思ってるんだ。だから……後は君に託すよ。なんて、ズルいかな? こういうの」


 相変わらず直接的な解答はくれないし、真意も掴めないままだが、多分おざなりにしてはいけないキーワードだというのは伝わってきた。


 ズルくなんてないさ。

 寧ろ感謝したいくらいだ。

 帝国という巨大で朧気な敵ばかりに目が行き、今日の出来事でイグレッドばかりに意識が向いていた。

 おかげでこのペンダントの存在を忘れるくらいに、今からでも最も向き合わなければいけない相手のことを熟考する機会をくれたのだから。




 ◇




 昼夜ともに密度の濃い話が展開された日から2日経ち、いよいよ出陣の時が来た。

 決戦の地は王都へと繋がる最後の砦が構えるアスクル平原。

 隊列内の所定の場所には、非戦闘員であるキャローナを除くいつもの面々が待機している。

 それに加えて、王国内に開かれた常若の国へと繋がる門から派兵されてきたケット・シーの部隊も合流した。


「おい見ろよ、あそこの集団」


「なんだあれ? これからサーカスでも始めるのかよ」


 中には俺たちの姿を揶揄する兵士もいるが、何者かを知らない方からしたら珍妙な一団に映るだろうし仕方がないか。

 レクトニオなんかは人型にならない限り見た目が意味不明だしな。


「それにほら、あっちも見てみろ」


 そう言って男たちはケット・シーの方に目を移す。


「な、和むな……」


「ああ……」


 こちらはなかなか好評なようだ。


「さて、久々となるザラハイム軍の大戦だ。我らが主、闇の女王様による懐かしき鼓舞激励の言葉を拝聴したいところでありますな」


 デリザイトの提案で皆一斉にスクレナへと顔を向ける。

 本人は唐突に話を振られて面食らった様子を見せるが、すぐに気を取り直したあたりはさすがに慣れたものだった。


「そうだな、新たに参入した者はもちろん、戦の何たるかを知る昔馴染みの者にも改めて言っておこう。よいか、一度戦いの火蓋が切って落とされれば、そこは様々な感情と思惑によって混沌とした世界となる。強者に弱者、主君のため、家族のために戦う者。そして富、名誉、死闘を求める者。策を弄する者とそれに利用される者など、数えあげればキリがないくらいにだ。だがこれほど種々雑多な戦士がいようと、誰しもが己の持つたったひとつの命をかけていることはたがわない。つまりこの場に立つ者の全員が根底では平等と言えるのだ。だからこそ躊躇はするな! 奪いに来るというのなら全力で反抗しろ! それがつわものたちへの最たる礼儀であると知れ!」


 スクレナは一軍の将らしく、容姿に似つかわしくないほどの雄々しい檄を飛ばす。


 とりあえずいつもと変わらない様子で安心した。

 未遂に終わったとはいえ、大事な時だというのを忘れて衝動に駆られたような行動をとってしまったからな。

 ここにきて下手にぎこちない関係になったら困るところだ。


 そんなことを考えている最中にいきなり目が合うものだから、心臓が跳ね上がる思いがした。

 するとスクレナは一切の言葉を発することなく、しばらくこちらを見つめただけですぐに視線を外す。


 だが俺はそれが意味することを理解していた。

 きっと何も言わなかったのではなく、言う必要がなかったのだろう。

 向こうが気にかけている迷いは既に全て拭いされて、互いに目指す先は合致しているのだから。


 あの夜にスズトラと別れ、ひとりになってから尚も考えていたんだ。

 セリアから投げられたペンダントと一言に込められた真情を。


 考えて、考えて、考え抜いて……その末にとある決意を強固にした。



 俺はこの地のどこかにいるであろうセリアの元に必ず辿り着いてみせる。



 そして闇の女王と共に






 この世界から聖女という存在を抹消すると。



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