第61話 アイン・ソフ・オウル②
やたらと気分が高揚していたからか、互いの戦意を確認できた瞬間に俺は駆け出した。
最後に見せたクレフとの本気の肉弾戦を踏まえて、攻撃を避けながら懐に飛び込むのは難しくないと判断したからだ。
ところが向こうはまだとっておきを残していたようだ。
もちろん身体を使った打撃以外にも手段を持ち合わせているだろうと備えはしていた。
ドラゴンが口から火を噴くという話は有名だしな。
そうは言ってもこいつは予想を遥かに越えていたが。
俺は魔力の強弱を感知する点は不得手だが、目で見ただけでセルラィンから放たれようとしている一撃の凄まじさが理解できた。
たぶん直撃を免れたとしても、着弾後の衝撃だけで甚大な被害がもたらされるだろう。
それは後方にいる3人にまでだ。
スクレナが障壁を展開できるのは知っているし、デリザイトは……まぁ、頑丈そうだし大丈夫かな。
だがクレフのこともあるし、大事をとって離れた場所へ誘導した方がいいかもしれない。
素早く不規則な動きをすれば向こうも狙いを定められずに時間を稼ぐことが出来る。
その間に方向を変えながら距離を空ければ――
そう思った矢先にまたさっきと同じ奇妙な世界が目の前に広がった。
全てが真っ白な空間に、直前まで見ていた光景が大きな1枚の絵画のようになって据えられている。
それと似たようなものが先へ先へと果てしなく続いていて……
そうか、既視感の正体はあれだ。
微妙に異なる絵を何枚も重ねて連続でめくっていくと動いているように見えるという。
いやいや、今そんなことを閃いてどうする。
この何層もの壁となるものを走って突き抜けていくが、初めの時と同じであるなら問題となるのはここからなのに。
あぁ、やっぱり始まったか。
クレフを助けようとした時のような感覚だ。
視界の端から段々と周囲の白に溶け込んでいき、併せて意識を持っていかれそうになる。
さっきはこの場で深く考えても仕方がないと、結果よければで済ませてしまったが。
まさか……この大事な局面で……また……
◇
唐突にあらゆる感覚を取り戻すと、眼前の霧が晴れてから初めに映ったのは大きく口を開くセルラィンだった。
いきなりにしては刺激が強すぎてつい体が硬直してしまったが、それ以上に混乱しているのは相手の方だ。
なんだか知らないけど優勢なのはこちら。
舞い込んできたチャンスの中で俺は自分の長剣を横薙ぎに振るう。
手に収めている柄の感触が違うことに気付いたのはその途中のこと。
一瞬だけ横目で確認してみれば、いつの間にか大剣へと変わっていた。
それに身に纏っているものも黒い甲冑へと。
――スクレナが黒騎士の力を付与してくれたのか。
正直言うと無計画に飛び出したところがあるからな。
接敵した後のことを考えていなかっただけにありがたい。
それにセルラィンの奴をぶっ飛ばしたいというこの気持ち。
きっとこいつも同じだったんだと思う。
一瞬で頭の中を整理して、俺は止まることなく持っている得物を振り回した。
刃の面がドラゴンの顔の側面を叩いた瞬間に、手にズシリと重みを感じたが構いやしない。
寧ろ渾身の力を込めて思いっきりぶん殴る!
その結果セルラィンは殴打された部分が陥没し、ほとんどの歯や左側に生えた角が砕け散った。
そして四肢は地面から離れ、体を襲う回転に抗えないまま一直線に吹き飛び、岩壁に勢いよく衝突する。
辺り一帯が静寂に包まれる中、遅れてピクリとも動かなくなったドラゴンを目掛け巨石が落ちてくると、その音で我に返ったように竜族たちは騒ぎ始めた。
「でぇぇぇぇぇぇえええええええ!!?」
「セルラィンが……ひと振りで? え? 人間に!?」
少し前までと似た喧騒だが、その内容は全くもって異なるものだった。
何が起こっているのか把握できずに、それぞれが他人に判断を委ねようとするが無駄なことだ。
全員が同じ状態に陥っているのだからな。
「さぁ、戦うのか退くのかさっさと決めよ。このまま続けるというのなら以降は某も楽しませてもらうとしよう」
見上げると俺の背後には4本の手に自身の大きさに見合った剣を持ったデリザイトが。
群れ全体が萎縮しているところを見ると正確に力量を測れているようだ。
いくら束になってかかったとしても勝てないということも。
だけど竜族たちは一向に動く気配がない。
正しく表現すれば動けないのか。
立ち向かえば確実に全滅する、だけど同族ならともかく、人間相手に尻尾を巻いて逃げるのは体面にさしつかえるという葛藤の中でだ。
ここで自分たちのプライドの高さが首を絞める結果となったか。
「うわぁぁぁああああああああ!!」
膠着状態が続きどうしたものかと決めあぐねているその時、けたたましい叫び声がすごい速さで近づいてくる。
驚いて振り返ると、飛び跳ねるように走ってくる少年の姿があった。
「すごーい!! すごいすごいすごいすごい! ドラゴンを一発で伸しちゃうなんて本当に驚きです!」
え!? いや……驚いてるのはこっちの方なんだけど。
完全に元通りというわけではないが、命に関わるほどの重傷を負っていたクレフがピンピンしてるなんて。
「準備は周到にしておくものだ。自分だけではなく周りのことも考慮してな」
スクレナ?
あぁ、もう制限時間が来て戻ったのか。
ところでその手にしている見覚えのある空の小瓶は……
そうか、マリメアが作った回復薬だな。
俺がクレフを預けた後に飲ませたんだろうけど、短時間でここまで傷が癒えるなんて反則的な効き目じゃないか?
「治癒力を爆発的に促進させるということは、その分だけ寿命を縮めるということなのだ。特に短命な種族には気軽に多用できるものではないわ」
なるほどね。
メリットと同じくらいにデメリットもあるのか。
これは本当に緊急時にしか使えないな。
「エルトさんって一体何者なんですか? 本当にただの冒険者なんですか? どうすればそれほどの強さを!?」
目を爛々とさせたクレフによる怒涛の質問攻めを受けるが、その無垢な表情にチクリと心が痛んでしまう。
あれは本物の俺の力ではないのだから。
「えっと……あのな、クレ――」
「隣国の事とはいえお前も黒騎士という名を知っておろう? 何を隠そうその人物こそがこのエルトなのだ」
「えぇぇ! 帝国領の各地で最上位クラスの魔物を次々に討伐し、最近になって魔人を素手で倒したという噂が囁かれているあの黒騎士ですか!?」
王国にまで噂が広まってるのか。
もしかしたら既にその他の近隣諸国にまで知れ渡っているのかもしれない。
それはそうと、スクレナが手で俺の口を塞いで言葉を遮ってきたがどういうつもりだ?
訳が分からず眉をしかめながら手を退けようとすると、不可解な行動をとる女王様は鼻先に人差し指をあてがう。
「これくらいの歳の子供は目指すべき英雄像がある方が成長が早いものだ。父や兄たちの亡き今、その役はエルトが最もふさわしかろう」
うーん……
言いたいことはよく分かるんだけど、やっぱり騙しているような感じがして後ろめたい気持ちになるんだよな。
「人を導く者にとって大切なのは力ではない。そう言ったのはお前自身であろう。小僧がエルトという人間に惹かれた理由もきっとそんな部分なのではないか? それにこういう時は、背中を追われる側にも思いもよらぬ成長をもたらすものであるぞ」
人に注視されるということは相応の振る舞いを心掛けなきゃいけない。
そういう点では確かにいい刺激にはなるだろうけどな。
まぁ、本当のことを言うとこんな形で年下から慕われるのはちょっと嬉しい気もある。
今まではどちらかというと世話を焼かれる立場ばっかりだったし。
――と、話が大きく逸れてしまったが今は竜族との問題を解決せねば。
まだデリザイトが立ち塞がり牽制しているのか。
群れの中の誰かひとりでも踵を返せば蜘蛛の子を散らすよう一斉に逃げ出すだろうに。
答えを出せないというのなら仕方がないと大剣の柄を握り直したまさにその時だった。
『その剣を収めよ。稀なる勇猛な人間よ』
頭の中で低い声が響き渡り、何者によるものかと周囲を見回す。
2人を除き皆が同じ反応を示しているところからして、どうやら幻聴などではないみたいだ。
『此度の一件、一族を代表して謝罪すると共に、勝手と知るもどうか
声の主はまだ分からない。
だが出処を探している内に異変が生じているものが目の中に飛び込んできた。
サントリウムの塔全体が光り包まれているのか?
しかもこの発光の仕方は魔力が高まる際のものだ。
この現象を考察する間もなく、みるみるうちに空には暗雲がたちこめる。
やがてそれらが渦を巻くと中心が光り輝き、そこから顔を覗かせたのは巨大なドラゴンだった。
他に表現のしようがないから陳腐な言い方になってしまったが、その大きさが尋常ではなかった。
まだ首までしか姿を現していないのに、天高くそびえる塔が小さな模型に見えるほどなのだ。
圧倒的なスケールに俺もクレフも揃って呆然と眺めるだけだったが、群れの中の一部の竜族たちが畏怖の念を抱いてる様が見て取れる。
「ま、まさか……貴方様は……どうして今!?」
口にすることすら恐れ多い。
そんな過剰なまでに崇拝する姿勢を見て、俺には下界を見下ろすドラゴンの名前を予想することができた。
こいつが竜王……ドルコミィリスなのか。
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