441話 説得次第です

 武の極致、氣の極致、練り上げた先にあった世界。

 バンとガドヴェルトの必滅の拳は互いに衝突し、たった二人の生命体が放ったとは到底思えない生命エネルギーの塊になる。それは破壊力となって周囲を容赦なく砕き、抉る。余波は客席まで及ばん勢いに膨れ上がった。


 その中心で、バンとガドヴェルトは吠える。


「あああああああああッッ!!!」

「コォォォォォォォォッッ!!!」


 事ここに至って、最早技量も何もない。

 全てを注ぎ込んで拮抗した以上、残るはどちらが先に力尽きるかのみ。

 バンは、全身が軋むほどの衝撃に耐えながら、笑う。


(よくぞここまで、よくぞ!!)


 バンからすればガドヴェルトという男は若造だ。

 しかし、この雄々しき肉体、覇気、カン、その全てが戦う為に生まれてきたような男が戦う為の技術を身に付けたことで、ガドヴェルトは究極の戦士となった。


 戦うほどに成長し、隙がなく、強まる所は更に強まる。

 正に天に、戦の女神に愛されし男。

 故にこそ――年齢に抗ってまで研鑽を続けた己の業がこの男と拮抗していることが、たまらなく嬉しい。


 足掻かなければここにはたどり着けなかった。

 失敗を恐れていれば、このような場所に立てなかった。

 彼に敗北を与えたチャンとヴァルナ、そして技術を教えたショウにも感謝したい。彼らがあってこそ、ガドヴェルトもここにたどり着けた筈だから。


(それでも、勝つぞ! 儂はこの男に勝ちたくて勝つッ!!)


 伊達や酔狂でここまで氣を鍛えてきた訳ではない。

 ずっと拮抗しているかに見えるぶつかり合いも、もうまもなく終わる。

 こればかりは経験の差だ。


 上位に達した氣は強力無比だが、外氣や内氣のように常時発動させ続けることは出来ない。己の内で練り上げた氣にせよ、自然界を漂う氣にせよ、練り上げには限度がある。だから奥義の類を放つ前は、己の氣を高めなければならない。それはいわば氣のチャージだ。


 そして、如何にガドヴェルトが天才であろうとも、この氣を肉体に溜めるという行為は経験が物を言う。鍛錬を繰り返せば繰り返すほど、肉体がそれに適していくのだ。ガドヴェルトも既にそこいらの達人を遙かに凌駕する器を持っていたとしても、人生の殆どの時間で器を鍛えてきたバンのそれに届くことはない。


 これだけは、どれほどの才能があろうが覆せない。

 必ず、先にガドヴェルトが息切れする。

 この勝負、勝った――。


「悪いが」


 ガドヴェルトが、にぃ、と笑った。


「この勝負、勝つぞ。我慢比べも嫌いじゃないが――な」

「なん、だとぅ……?」


 ガドヴェルトの拳が、目の前でゆっくり開かれていく。

 猛烈な氣がぶつかり合う中で拳の握りを解くなど愚の骨頂。事実、その瞬間にあれほど濃密な破壊力を纏った氣がほんの少し緩み、バンが押し込む。


 しかし、バンはそれを判断ミスとは思わなかった。

 これほどの男がそんなつまらないミスをする筈がない。

 ならば、この男はバンの予想していない手を隠している。


 ガドヴェルトの手はやがて完全に開かれ、そして全ての指が綺麗に並んで閉じる、手刀の形になった。


 バンはそのときになってやっとガドヴェルトの真意を悟り、そして、笑った。

 若いのにしてやられた、と。

 バンは手刀の形を取ることで、残る氣を更に濃く絞ったのだ。

 均衡が、崩壊する。


「拳の戦いに、剣を持ち込んだか……ッ!」

「破! 斬! 拳ッッ!!!」


 それは、一点に集中した氣とオーラの技術を兼ね備えた、氣を切り裂く氣の刃。

 無刀の剣技、或いは、剣以上の武器。


 次の瞬間、バンの究極の奥義『貪狼滅牙掌』はガドヴェルトの氣の剣による斬撃に押し負けた。


「ウオオオオオオオオオオオオオッ!!?」


 氣の刃を湧き出す氣で必死に受け止めるバンだが、ガドヴェルトの氣の余りの衝撃に氣そのものより肉体が先に吹き飛ばされる。踏ん張っていた足場ごと破壊されたバンは氣の刃を受け止めたまま、その勢いに押されて闘技場の壁に激突した。


 それでも威力が衰えず、石の壁を盛大に突き破り、いくつかの部屋を貫通し、会場の外にまで吹き飛んだところで、バンは死力を振り絞ってなんとか刃を空に向けて反らした。振り払えずに直撃すれば、二度と立ち上がれなかっただろう。


「はぁーっ、はぁーっ、はぁ……はは。長生きはいいものだな。こんな真似が出来る男、宗国のどこを探してもいなかった……」


 なんとか意識を保ったバンだが、受け止めた衝撃で両腕は腫れ上がり、氣を極限まで酷使したことで全身を汗が伝い、おまけに着地した場所は完全に場外だ。ルール上も、他の武人から見ても、勝敗は明らか。


 無敗の拳士バン・ドンロウは、負けたのだ。


 ふと気付くと、バンの周囲を役士が囲っていた。

 役士の隊長格が前に出て、ゴウライェンブ帝の印が押された逮捕状を見せつける。

 あのタヌキめ、とバンは呆れたように内心毒づいた。


「バン・ドンロウ。貴殿には国家反逆罪を始めとした複数の嫌疑がかかっている。牢屋までご同行願えますね?」

「ふっ、こうなっては仕方あるまい」


 バンは降参するように両手を挙げ――目にも留まらぬ早業で自分を囲む役士たちの急所を氣で打ち抜いて昏倒させ、そのまま跳躍した。


「よい機会だ! 追われる立場になって一層の修行に励んでみるとするわ!」

「なっ、愚かな!? 逃げれば罪状が増すばかりだぞ!!」

「ここまで成長させたドンロウ一派の頂点の座を自ら捨てるというのか!!?」


 馬鹿め、と、バンは笑う。

 そんな地位など、はなからバンは興味がない。


「老い先短い身じゃ! 残りの余生を牢屋で退屈に過ごすよりはこちらの方が刺激的だわい、わはははははは!!」

「狂人めが……追え! 追えーッ!!」


 ――結論から言えば、動員された役士二万名の何重もの包囲網をバンは笑いながら全て突破し、そのまま馬を奪って町の外に消えたという。


 国家反逆罪、国際法違反、更には五行試合が終了してないうちの逃亡。言い訳のしようがないほどの罪と失態から彼は即座に宗国内で指名手配される。彼の行ったことが明るみに出る頃には、そこに国際指名手配も追加されていることだろう。


 こうして、国中を興奮させた最高峰の五行試合は、バンの事実上の敗北と逃走によって新レイフウ道場の勝利と相成った。




 ◇ ◆




 試合後は、全く以て大変だった。

 なにせ、信じて送り出したセドナがいつの間にか全身打撲に骨折までしている重傷の状態で戻ってきたのだ。最悪の想像が当たり、彼女はレンを相手取って戦うことになったらしい。俺もアストラエも半分パニックである。

 俺たちは暇そうにしていたガドヴェルトを連れてきて氣を送り込むことによる治療――絢爛武闘大会でガドヴェルトに骨を折られた時の治療と同じものだ――を施し、数時間後にセドナが可愛らしい欠伸と共に目を冷ますまでずっと病室の外をウロウロしていたくらいだ。


「他に痛くないか!? 気分が悪いとか、視界が変だとか!!」

「すまない、本当にすまない! 読み間違えた……セドナを危険な目に遭わせてしまって、僕は友達失格だ!!」

「むー……てい!」


 不満そうに頬を膨らませたセドナは、無事な方の手で駆け寄る俺たちの額を指でつついた。まさかセドナがそういう行動を取るとは思わず咄嗟に氣で防ぐのが精一杯だった俺たちだが、セドナはもったいぶって呆ける俺たちに胸を張る。


「さて問題です! なんと道場本部で待ち受けていたレン・ガオランですがぁ? これを倒したのは誰でしょ~~~かっ!!」

「ロマニーじゃないのか? もしくはネフェルタンの方?」

「いや、あの双子が粘って倒したのかも」

「むー! 二人とも不正解!!」


 再度、セドナに額を指でつつかれる。

 ふう、と一度息を整えたセドナは、今度は自慢げに自分を指さした。


「レン・ガオランを倒したのは……私だぁっ!!」

「はいはい可愛い可愛い」

「で、どんな棚ぼたで倒したんだ?」

「……」


 セドナが本物の怒気を放って拳を握ったのを見て、俺とアストラエは目を見合わせる。彼女が暴力に訴えかねないような態度を取ったことは記憶にない。かといってセドナが四聖拳に一人で勝てるとも到底思えない。戸惑っていると、ロマニーが深々とお辞儀をして近づいてきた。


「申し訳ございません、アストラエ王子。ヴァルナ様。このような結果になったのはわたくしの不徳の致すところ。セドナ様は他の者たちがレン・ガオランの手によって倒れたために彼奴めとの一騎打ちとなり、メイド隊が合流した頃には壮絶な死闘の末にレンを無力化した後でした」

「え」

「え」

「……二人ともレンが恐れた我が拳を受けて反省してよねッ!!」


 セドナが氣と魔力を同時に纏わせた拳で俺とアストラエの腹を殴る。


「うわ、なんだこれ! 殴られたところが冷たい!!」

「ふっふっふっ……極限状態で覚醒したわたしのフローズンオーラはどうだ!」

「ふん! お、氣を全開にしたら治ったぞ?」

「未知の感触で戸惑ってしまったが、確かに」

「……あれぇ?」


 確かに凄く吃驚したが、これでレンを倒せるものなのか、俺もアストラエも半信半疑だ。とはいえ事実としてロマニーが勝ったと言い、セドナがそうだと言っているんだから勝敗を決する何かには繋がったのだろう。


 アストラエは、はぁ、とため息をつく。


「なんだか煮え切らない戦いだったなぁ。僕は負けるし、セドナを危機に晒すし、ヴァルナが戦ったレンは影武者だし」

「実際にはこの国でレンとしての国籍を持ってるのは今日参加してた方だけどな。ただ、消化不良なのは同意だ。結局バンの奴も逃げ切りやがった」

「五行試合に勝ったのに命令する相手がいないんじゃなぁ」


 良いとこ無しの俺とアストラエは互いに顔を見合わせて、もういちどため息をつく。

 しかし、セドナはちっちっちっ、と指を振る。


「でも別棟で何があったかはおおよそ分かっちゃったもんね。今回の戦いはわたしが主役だったってこと!」


 嘗てなくぼろぼろのセドナが、嘗てなく満足そうな顔でうんうんと頷く。

 それはまぁ、いいのだが。


(……アストラエ。今回のことがバレたら俺らアイギアさんに殺されるんじゃねえかなあ)

(……そこはそれ、なんとか上手いこと宗国になすりつけよう)

(それはそれで貿易戦争始まるのでは?)

(セドナの説得次第、かなぁ)


 王国一にして世界有数の大富豪商人、そしてセドナを溺愛する父親、アイギア・スクーディアの怒りが爆発すれば、経済的にとんでもないことになりかねない。この導火線に火がつきそうなパパミックボムをどう処理したものか、俺たちはしばし眠れぬ夜を過ごすことになるのであった。

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