428話 宣戦布告です

 水のせせらぎ、風の音色、草木の擦れる音。

 そこは恐ろしく静かな空間だった。

 ただ、自然に溶け込むように、そこには二人の人間が立っている。


 もし何も知らない通りすがりがいたら驚くだろう。

 何故あんなにも堂々と直立しているのに、一瞬自分は見逃しかけたのか、と。


 はらり、はらり、落ち葉が舞う。

 落ち葉は二人の人物――ショウ師範とガドヴェルトの間を舞い、かさり、と落ちた。

 刹那。


 二人は残像を残してその場からかき消え、落ち葉を消し飛ばす程の衝撃が大地を強かに打ち鳴らした。


「よくぞ、ここまで……とうとう何も教えることがなくなった」

「そうか? まだ教わりたいことはなくもないが。まぁ、あとは実戦で練り上げるか」


 ガドヴェルトが笑いながら突き出した肘を収める。

 衝撃と音の正体は、ガドヴェルトが寸止めした肘と二人の踏み込みによるものだった。

 二人の足の裏の形に陥没した地面が、その踏み込みの深さを物語る。

 もしこれが放たれていたら相手がどうなるかは、言うまでもない。


 結果としてそれは放たれなかったし、ショウ師範も受けの姿勢を見せていた。しかし、そこに至るまでの間に二人は十度に届かんとする駆け引きを交え、その末にショウを「受けの姿勢を取らざるを得ない」という状況までガドヴェルトが追い込んでいたというのが正しかった。


 見物していた俺とアストラエは、二人の手合わせの結末を見届けると互いに頷いた。


「いよいよだな、ヴァルナ」

「ああ。やれるだけのことはやった」


 五行試合参加者の修行は、ほぼ完遂していた。


 火行、イーシュン。

 彼は拳の速度が凄まじい反面で威力に大きな難があったが、実家に戻ってからの料理、妻となったコルカの王国護身蹴拳術、更にガドヴェルト達の修行を近くで見ていた影響で更に己を練り上げた。

 もはや彼の拳の速度は俺やアストラエでさえ避けるのが難しいほどだ。

 彼が今の実力で絢爛武闘大会に参加していれば、結果は代わっていたかもしれない。


 水行、コルカ。

 セドナは結局五行勝負に通じる段階まで至らなかったことと、相手が女性であることに男性陣が抵抗を覚える可能性を考慮した上で、しっかりとした実力のある彼女が選ばれた。

 カウンター方面を鍛えて従来の型を更に強化している。タマエさんが才能を認めたほどの格闘センスの持ち主だが、相手が相手なので油断は出来ないだろう。


 木行、アストラエ。

 正直に言って、かなり未知数だ。無論アストラエは修行で相当力を練り上げているが、敵のユージーは四聖拳最強ではないかと目されるほどの相手だ。もしあれが攻撃に転じたら何をしてくるか分からない。

 しかもアストラエ自身が自分の手の内を周囲に明かしてないため、まさしく未知と未知の戦いだ。俺がユージーに当たるという意見もあったのだが、アストラエがそれを否定した。


 その理由は、ドンロウ道場の土行の四聖拳、レン・ガオランにある。


「という訳で、頼むよ珍獣担当」

「蹴るぞてめー」


 相変わらずふざけた物言いをするアストラエへの怒りで額に青筋が浮かぶ。

 アストラエは誤魔化すようにしばし笑った。


「あはははは、まぁ冗談はさておき。レンの実力は全く未知だ。もしかしたらガドヴェルトすら喰ってしまう何かを隠し持っているかもしれないので、こっちも予想出来ない存在をぶつける。レンとの戦いを捨てるという線も考えたが……君とガドヴェルトの二人が確実に勝つと仮定しても残り三人が負けたら意味がない。よって、全勝狙いで行く」

「無茶言うぜ。言い出しっぺのお前だけが負ければ面白いのに」

「僕は面白くないので勝ちに行くけどね」


 というわけで、俺は土行。

 最後の金行はガドヴェルトで決定だ。


「……ヴァルナ、バンと今のガドヴェルトは勝負になるか?」

「バン有利」

「あっさり言うな君も」

「積み重ねた経験と引き出しの差は埋められん」


 何度でも言うが、バンの格闘戦能力は化物だ。

 スタミナ等を考慮すれば、セバス=チャン執事長より強いかもしれない。


 例えばだが、同じ段位でも技量はセバス、スタミナや筋力はタマエさんとする。

 バンはその両方の長所を兼ね備えている状態だと俺は見ている。

 格闘という一点で言えば、地上最強かも知れない。


「だが、ガドヴェルトは色々スケールが違う」


 体格は最強で、体力もバン以上。

 氣のセンスは超天才。

 しかもセバス、俺と敗北したことで自分に足りないものを補い、野性的なカンや判断力も並外れている。何より、彼は魔物との戦いで敵の骨肉を粉砕する、規格外としか言いようのない純粋な破壊力の持ち主だ。あれだけはどんなに鍛えてもバンには手に入れられないし、触れたこともない代物だろう。


 そのガドヴェルトが拳法を本格的に学び、俺とショウ師範を交えて見合った型を研究し、以前俺が突いた弱点もとっくに克服している。今の俺が素手で戦えばガドヴェルトには絶対に勝てないだろう。


「あいつが負ける所も想像出来ん。その未知数分を含めて勝負は五分五分ってところだな」

「高く見積もったものだね。あのセバスより強いかもしれないんだろ? そしてセバスはガドヴェルトを下した。そのことを考えると楽観視しすぎじゃないか?」

「ガドヴェルトが負けたのは大昔の話だ。今は分からんよ」


 この勝負、三勝すれば勝利は確定だ。引き分けなどで勝ち点が並んだ場合も、ドンロウ側は師範代が五行に参加しているせいで師範代勝負で不戦敗になるので勝つことが出来る。数字だけを見れば、レイフウ道場はかなり有利だ。


 他の道場も同じことを思ったのだろう。

 そして、全敗してきた。

 

 この牙城、アストラエの軽口ほどやわではない。

 仮に二勝三敗で負けたとしても、嘗てない大健闘の扱いなのだ。

 アストラエは口には出さずとも気付いているだろう。

 この戦い、何人かは負ける。


 本題が時間稼ぎである以上は負けても構わないが、全ての思惑がゴウラィエンブ王の思い通りになっては甲斐がないのも確かだ。

 既に勝負は申し込んである。

 残すは戦いのみだ。


「……そういえば、セドナはどこに?」


 朝食後から姿の見えないセドナのことを問うと、アストラエは「そういえば言ってなかったな」と頷く。


「メンケントと共に、あの双子の役人に会いに行ったよ。試合申し込みの書状を渡すのが目的らしいけど、彼女は彼女で何か考えてるみたいだね」

「察するに、ドンロウ道場へのガサ入れの参加辺りか?」

「だろうね。まぁいざとなればロマニーを彼女のサポートにつけるさ」


 実はイヴァールト王の補佐の一人として宗国行きに同行していた女装メイド長のことを思い出し、俺とアストラエはため息をついた。


 あの男、王宮内で滅茶苦茶にモテまくっており、王の側を離れた瞬間に男に言い寄られ放題なのだ。双子役人の兄の方ことダーフェンなど、哀れにもお近づきの機会を狙っているらしい。五行試合に彼を投入できなかったのもその辺が理由である。


「海外でも同じことが起きるとは、真実とは余りにも苦いものだな」

「ああ、ひどすぎてかける言葉が見つからねぇ」


 大事な戦いの前なのに気持ちを盛り下げないで欲しいと思う俺たちであった。




 ◆ ◇




「ふぅ、肩が凝ってかなわんわ」


 ドンロウ道場総本山の最も高い建物の、更に最も高い部屋。

 豪華絢爛な調度品で飾られた部屋に、一人の男が入って来る。

 男の名はバン・ドンロウ。

 部屋に入るなり上着を脱ぎ捨てると、控えていた弟子の一人がそれを掴んで丁寧に畳んでいく。ドンロウはそれに目の一つもくれずに部屋の奥にある豪奢な椅子に座りこんだ。


「強くなる為に金が要るとはいえ、こうも組織が大きくなると管理が面倒だな。ごうつくばりの役人共め、よくも人を金欲の権化のように言えたものだ。賄賂に涎を垂らしているのはどちらか鏡を見て確かめるがいいさ」


 この国で最大規模の商売人の口から出たとは思えない、どこかうんざりしたような声。バンは目の前のデスクに肘を突き、目の前で待つ二人に視線を送る。


「して、何用か? 嘗ての愛弟子たちよ」

「「はっ」」


 ダーフェンとホンシェイは恭しく礼をすると、バンのデスクに書状を差し出す。


「これは?」

「レイフウ道場の者から、バン様宛でございます」

「あの道場は近頃妙な動きがありましたが、遂に動きましたな」


 バンは書状の中身を検め、豪快に笑う。


「はははははは! ショウ・レイフウめ! すっかり牙も折れたと思っておったが、まだ噛みつく気概が残っておったか!! 面白い、レイフウ道場が落ちればいよいよ他の道場も折れる! 我らがドンロウ道場が力の覇権を握る日に一気に近づくぞ!!」


 ひとしきりはしゃいだバンは、落ち着きを取り戻し、双子に問う。


「時に、道場に妙な動きがあったと?」


 怖い男だ、と二人は思う。

 商売にさしたる興味がないくせに、本心を悟らせず利権を拡大する。

 戦いとなれば子供のようにはしゃぐのに、汚いパワーゲームにも興じる。

 その上で、気にかかる部分を分析する冷静さも残している。


 そんな内心はおくびにも出さず、二人は情報を知らせる。

 レイフウ道場には最近、海外の著名な武人が出入りしていること。

 その武人達は見習いとして道場で拳法を学んでいること。


「出てくるか?」

「確実に出てくるでしょう。海外の武闘大会で実績がある者だと聞き及んでいます」

「むしろ彼らの戦力を当てにしている節さえありますね」

「ふむ……裏で王国あたりが糸を引いているか? レイフウがその程度で折れたり私欲に走るとは思えんが……」


 バンはショウと戦えば自分が勝つことは確信しているが、ショウの心変わりが気にかかるようだ。果たしてゴウライェンブ王の策に気付いているのか、どうなのか。出来れば気付いていないで欲しいが、やがてバンは「まぁよい」と話を切った。


 その「まぁよい」が何に対しての「まぁよい」なのかは分からない。

 ただ、双子は内通者としてのスタンスを続けるだけだ。


「そういう訳だ、聞いたな? 愛弟子たちよ」

「「!!」」


 バンがにやりと笑う。

 ダーフェンとホンシェイはそのときになって、初めて部屋の中に四拳聖の四人が音もなく佇んでいることに気づき、戦慄した。二人とも武芸者として相応の自負があるのに、全く気付けなかったそれは気配を消していたからではなく、余りにも自然に気配に溶け込んでいたからであることを二人は察している。


 バンは弟子達を見回し、問う。

 これは五行勝負前にバンが行う儀式のようなもので、四人の意気込みを問うのだ。


「イェン・ロンシャオ」

「レイフウ道場っていやぁ、礼々軒の優男も元レイフウ道場だよな。出てこねぇかなー、あいつ。外国人の若妻を娶ってんだけど、いい料理作るんだよ。愛嬌もあるし、俺の女にしてぇの」

「勝った暁には考えてやろう」

「おっし!!」


 欲望剥き出しのイェンに、バンは嫌な顔一つせず頷く。

 強さを求められるなら、動機は何でもいい。

 

「リューリン・チャオ」

「イェンが女を連れて行くなら余った男の方でも貰えたら充分ですわ。妻を寝取られた惨めな男、きっとイイ声で鳴きます……」


 嗜虐的な笑みのリューリンに、イェンは「拗らせ女め」と聞こえないくらい小さな声で悪態をつく。彼の中では自分の行いとリューリンの行いには決定的な違いがあるらしいが、力尽くで物事を動かすところは全く一緒である。


「ユージー・ガオラン」

「弟の友達になってくれる人がいると嬉しいですね。どうも気の合う門下生がいないようでして」


 ぽりぽりと頬を掻くユージーだが、その奥底に秘められた力を知る者は彼の望みに何も口は出さない。


「レン・ガオラン」

「……あんまり興味ない」

「ふっ、相変わらず無趣味だな」


 ぽけっとしているレンの事を、ダーフェンとホンシェイは知らない。

 世間で謎であるように、ドンロウ道場内でも彼のことは謎なのだ。

 それがこの戦いにどう作用するのか、未知数である。


「では、今回も盛大に競い、戦い、争い、叫び、武の頂に至るための礎として平らげようではないかッ!! ふははは、ははっ、あーははははははははははッ!!」


 まるで旅行を待ち望みにするような無邪気さと、強さを渇望する狂気めいた闘争心の入り交じった大笑いが部屋に響く。


 この男は、やはり危険だ。

 笑顔で拍手を送りながら、双子は再認識した。


 賽は投げられた。

 バンの思惑、王たちの思惑、ヴァルナたちの懸念、裏で動く人々、そしてドンロウ道場の謎。全ての因果は遠いようで近く、どこかで絡み合い、そして膨大な時間の内のたった一欠片に過ぎない筈のたった一日に殺到する。

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