423話 一体なんなのでしょう

 バン・ドンロウの弟子たちはどれも相当な実力者であった。

 しかし、師匠たるバン本人が戦いの為に上着を脱ぎ放った時、俺は思わず息を呑んだ。


 無数の傷跡が走るその肉体には、年齢不相応なまでに練り上げられた無骨な筋肉が巻き付いて熱を発する。そして溢れ出る氣は、ともすればあのガドヴェルトに並ぶのではないかと思う程に膨大であった。


 聞いた話では、バンは見た目こそ五〇代程度に見えるが実年齢は七〇近いらしい。それであの肉体を維持していると聞くと、余計に目を疑う。


「――ふぅ、やっと出番か。待った甲斐のある戦いとなれば良いが」


 闘争心を剥き出しにしたような壮烈な笑みを浮かべるバン。

 その姿には、もはや捕らぬ狸の皮算用を隠そうともしなかった強欲な商人の面影はない。隆起する筋肉、脈動する血管、そして一歩歩いただけで分かるほどの隙のなさ。

 アストラエが俺を肘でつつく。


「君から見てどんなもんだ、あの男」

「はっきり言うぞ。化物だ」

「おまいう」

「真面目な話だ」


 俺がそう返すと、アストラエは黙り込んだ。

 俺が化物だと断言することの意味を考えてくれたらしい。


 王国護身蹴拳術で言えば、確実に九段クラス。

 すなわち、素手なら俺でも勝てない。

 しかもあの氣はガドヴェルトが纏っているという氣の極致、『真氣』と同じものと見ていいだろう。


 俺は、今の自分がガドヴェルトと素手で戦って勝てるとは思っていない。

 あれは俺の戦術がたまたまガドヴェルトの不慣れなものだったこと、戦闘中に上位の氣に覚醒したこと、更にはガドヴェルトの一瞬のよそ見という偶然の要素が重なって、それでも辛うじて勝利の判定を掴んだものだ。


 そんなガドヴェルトと同じ氣を、生まれつきではなく鍛錬によって練り上げて完成させた武人、それがバン・ドンロウという男なのだろう。下手をしたら今のセバス=チャン執事より強いのではないかとさえ思える。


 フーチャオ道場の金行の男が前に出る。

 気迫は十分だが額には脂汗が浮き出て、その足取りは力強いというよりは恐怖に震えないよう力むの精一杯という様子だ。彼もこういった決闘に出るだけあって相当鍛えているようだが、その鍛えてきた全ての技術を無に帰するほどのバンとの格の違いを戦う前から思い知っているようだ。


 試合が始まる。


 対戦相手は攻撃的な構えを取るが、ただ立っているだけに見えるバンに近寄ろうとすらしない。否、出来ない。彼は既に、バンがいつでも自分を仕留められる状態であることを悟っているのだ。こうなってはまな板の上の食材である。


「ふむ」


 バンは唸り、そして次の瞬間――相手の背後に回り込んでいた。


「せっかくの場だ、存分に武術を見せよ」

「~~~ッ!!?」


 対戦相手が声にならない悲鳴を上げる。

 さっきまでバンがいた場所に残るのは微かな土煙のみ。

 超高速の歩法で後ろに回り込んだのだ。

 アストラエも流石にこれには微かに動揺したのか、瞠目する。


「……見えたか、ヴァルナ?」

「裏伝四の型・角鴟と理屈は同じだが……」


 それ以上なにも告げられない。

 一体どれほど修練を積めばあんな恐ろしい歩法が出来るというのか。一切の無駄を排したせいで非人間的と呼べる域に達した、まさに神業としか言いようがない動きだった。セバス=チャン執事やタマエ料理長との手合わせで何度も味わったことがある、隔絶した積み重ねの差がそこに垣間見えた。


 対戦相手が動かねば死ぬという本能に従って即座に動く。

 即座に距離を取っての拳、蹴り、体捌きから繰り出される連撃。どれもキレは十分で、その辺の騎士なら余裕で昏倒させられるであろう動き。しかしバンはそれを最小限の動きで躱す。時に手を、時に脚を、軽く小突く程度の動作で正確無比に捌いていく。


 しかし、セドナは先ほどまで感じたバンの気配とのギャップに困惑していた。


「あれ? なんか普通に戦いになってる……?」


 弟子達の多くが攻撃的な拳技で相手を打ちのめしてきたのに対し、師範代は技量こそ高いが消極的な動きに見えるのは確かだ。しかし、俺の視点ではもうこれは戦いとは呼べない。


「多分バンが本気だったらあの対戦相手はここまでの間に六回は死んでる。いや、それ以上かもな。バン・ドンロウ……あいつ、自分とじゃ勝負にならないと分かった上で品定めをしてるんだ」

「え、それって確かヴァルナくんが一番嫌いなタイプじゃない?」

「当たり前だ。ありゃ様子見の警戒ですらない、まるで弟子の動きを指導するために観察してるようなものだ。侮辱に等しいよ」


 真剣勝負であるならば、最大限の技量と警戒を以て挑むのが俺の自分ルールだ。それが相手への最大の敬意だと思っている。しかし、バンは相手と自分の技量の差を正確に把握した上で、戦う気もないのではないかと思える余裕の顔をしている。


「ほれ、腰が入っておらん。基本の型を怠っているのか? それとも学んだ型が洗練されておらんのか?」

「くっ、フーチャオ流を馬鹿にするなぁ!!」

「おう、今のは感情が乗っていたぞ。動きとしては荒削りだが、まぁ悪くはないな」


 対戦相手の鮮やかな跳び蹴りを前に、バンは手の甲でそっと脚を受け流す。たったそれだけで完璧だった重心が揺るがされ、対戦相手は着地する脚を乱れさせた。慌てて態勢を立て直すと、バンが目の前でそれを待っていた。

 いま攻撃すれば絶対に勝負は決まっていたのに、敢えて放置したのだ。


 もう見ていられなかった。

 対戦相手はさぞ己を惨めに思っているだろう。

 バンの傲慢さは、武術はまだしも武道とは相容れないものだ。


 と、バンの纏う気配が変わった。


「ふむ。どうも老人の茶目っ気に焦れてきた客人がいるな。良い目をしている」

(……この距離で気配どころか氣の質まで悟られたか?)


 レイフウ道場での不意打ちといい今の光景といい、やはり氣の本場はなんちゃってで学んだ自分のそれとは技術としての完成度が違うようだ。

 それはそれとして、分かってるなら真面目にやれよと思う。

 

 バンはここで初めて拳を握り、そして人差指を出した。


「今からこの指一本でおぬしを倒す。耐えて見せよ」

「見下すのもいい加減にしろぉッ!!」


 挑発としか受け取れない言葉に対戦相手の怒りが爆発する。

 全身を纏う氣の質が更に濃くなり、先ほどより一段と力が増した。

 対戦相手はバンの人差指如きへし折ってくれようと言わんばかりの憤怒を氣に乗せ、これまでの戦いで最も鋭い正拳突きを放った。


 しかし、その拳が何かに当たることはなかった。


 目撃者たちの殆どは、こう思っただろう。

 気付いたらバンが対戦相手に背を向けて歩き出した、と。


 そして、武術に精通した一部の人間達は気付いていた。

 バンは、彼の正拳が繰り出されるよりも早く懐に入りこみ、宣言通り指一本に凝縮した氣を体に叩き込んだのだ。それは所謂『つぼ』、それも運動を司る広い範囲に作用する場所であり、そこに正確、かつ強力な一突きを打ち込まれた対戦相手はその場から一歩も動けなくなっていた。


 やがてバンが弟子から受け取った上着を羽織ると同時に、対戦相手が膝から崩れ落ちる。対戦相手は息も絶え絶えで膝が震え、立ち上がろうとするたびに地面に崩れ落ちる。審判が勝敗を告げるまでもなく、勝敗は決していた。


「五行勝負、決着!! 勝者、ドンロウ道場ッ!!」


 直後、野次馬の中でも試合を娯楽として観戦していた者たちがわっと沸き立った。


 あれだけの技量、圧倒的な強さを魅せてくれる武人がいれば、人気がない訳がない。腹立たしいし苦々しいが、その気持ちが俺には分かってしまう。バンは本当に尊敬すべき絶技の持ち主だった。だからこそ気に入らないと思ってしまうのは自らの性根が未熟なせいなのだろう。


 と、沸き立つ人々の間をかき分けて一人の少年が駆け出す。

 倒れ伏す対戦相手とよく似た顔の子供だ。


「兄ちゃん!! 兄ちゃん!!」

「ご、ごめん……兄ちゃん、負けちゃった……かっこわるいなぁ」

「そんなことない!! 兄ちゃんは誰よりかっこいいよ!!」

「その通りだ」


 突如、兄弟の会話に割って入る者がいた。

 兄を倒したバン・ドンロウその人だった。


「既に勝敗の決していた勝負、生半可な相手では私を前に拳を構えることさえ諦めていた筈だ。最後の一撃にしても、儂は意識を断つ気で放った。しかしおぬしは意識を保ってみせておる。おぬしは勇敢だ、決して凡夫ではない。よりよき師を持てば、今以上の高みに登るであろう」

「え……」

「おぬし、私の傘下の道場に入れ。フーチャオ道場の者共を見たが、お前より前途のある者はいない。それにおぬし、弟は一人ではあるまい? 今のままで家族を養っていけるか? 我が道場に下れば、責任を持っておぬしの家族を養おう」


 兄がはっとして観客の方を見ると、彼に似た顔の子供が数名、不安そうな顔で見ていた。全員が彼の家族なのだろう。全体的に痩せており、それほど裕福な家系ではないのが一目で理解できる。


 兄は師範や兄弟弟子に視線をやった。

 バン直々にスカウトされる兄弟弟子の表情にあるのは、自分たちが選ばれなかった事への衝撃と嫉妬。師範の目にあるのは、完全にバンにプライドを折られた卑屈な暗さ。フーチャオ道場が看板を奪われなかったとしても、そこに明るい未来がないのは明白だった。


「……下り、ます」

「うむ、代わりに励めよ。兄弟家族はそれで全員か? まだいるならば連れてこい。この先にある狼々亭で待っている。馳走でも食べながら将来のことを考えようではないか」


 威風堂々と差し伸べられたバンの手を、兄は取った。

 それは、事実上のフーチャオ道場の終焉だった。

 バンは彼以外の道場の門弟は弟子にする価値もないと判断して、切り捨てたのだ。

 代わりに、恐らく拾われた一人はこれから貧困層から抜け出して兄弟達に満足な暮らしをさせられる成功者となる。


 もしも皇国のスラムにこんな男がいたら、貴族よりよほど影響力を得ただろう。

 暴力的であるにも拘わらず、どこか清々しさを覚える。


(それほど潔いなら、何故道場潰しに躍起になる? 商人としての欲深さはどこから湧いて出るんだ? あんたを武術と力に駆り立てるものは、一体なんだ?)


 快活に笑うバンの姿に、俺は余計にこの男が何者なのか分からなくなった。

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