第339話 なんということでしょう
――カシニ列島出発前、ひげジジイに言われたことがある。
『こりゃ無理だと思ったら、大人しくオークだけ狩って他の問題ほったらかしで帰ってこい。後のことは全部こっちで引き継ぐ。組織としては、それでいい』
今まで比較的俺のことを放任してきたひげジジイが、俺に視線を向けて念を押すように騎士団に伝達した命令だ。つまり王立外来危険種対策騎士団の団長ルガーによる、これは『命令』である。
同時に恐らく、俺たちが泥沼に嵌まって動けなくなったり何らかの判断ミスをやらかす可能性を見越してのことだったのだろう。
感情や倫理を抜きにして言えば、俺たち外対騎士団は『騎士団の義務として』『カシニ列島の住民に頼まれて』『外来種オークを狩りに来た』。それ以上もそれ以下もやる義務はない。
カシニ列島の固有種が滅びようが、土壌流出で結果的に住民が困ろうが、住民自体はオーク狩り以外何も問題とは思っておらず、望みもしない。
では、騎士道としてはどうだろう。
あいにくと俺の騎士道には見知らぬ野生生物を全て守ることまでは入っていない。その理由は、物理的に不可能だからだ。それに生きとし生ける者は、糧として他の生き物の命を刈り取るのが自然の摂理でもある。俺に出来るのは、理不尽な殺生を自分の手の届く範囲で止めることだけだ。
ただし、住民たちの行動を悪と断じる事も出来ない。
無責任だ、残酷だ、やめるべきだと口にするのは簡単だ。しかし彼らはその行為で生きる糧を得ているのは事実でもある。お前たちだけ金儲けせずに生きろなどと言う人間がいたら、その思想は傲慢すぎる。彼らに手を引かせるには最低でも代価となるものが必要な筈だ。
難しい問題に直面してしまったものだ、と唸りつつ、俺は最初の報告会議に出席した。
会議はまず工作班のロンビード班長の報告から始まった。
「すまん、実はマッピングの精度がかなり悪い」
工作班は現場に入った初日に任務範囲の偵察を入念に行うのだが、提出されたマップは異様な偏りがあった。そもそもアルキオニデス島そのものがかなり大きいせいもあるのだろうが、正確に地理が把握できているのは西側原生林の半分程度に過ぎない。流石に彼らも密林は初めてなので厳しかったのかとも思ったが、実際にはもっと重大な問題があった。
「この島、特に密林側はファミリヤが使えん。そのな……一度飛ばしてはみたんだけど、原住民が地上から矢を放って仕留めに来るんだよ」
「あの子たちの身の安全の為に、少なくとも西の密林周辺じゃ絶対飛ばせないっす」
キャリバンが補足し、会議室に重い空気が流れる。
鳥のファミリヤの利点は何と言っても空中の偵察力と情報伝達能力の高さだ。それが一気に封じられたのだから気が重くなるのも無理はない。
ローニー副団長は頭を抱えながら質問を飛ばす。
「念のため聞いておきますけど、住民たちは何故仕留めにくるのですか? 撃たないよう説得は……?」
「あいつら飛ぶ鳥は何でも撃ち落とせば金になると思ってるみてぇだ。一応ファミリヤを喋らして一部に納得はしてもらったが、そもそも空飛んでるんだから普通の鳥とファミリヤの見分けがつかんと言われた」
「そうなんすよ。しかも騎士団のファミリヤたちのなかでもお喋り上手な九官鳥やインコってこの島の固有種と見た目が似てるから……」
「それに密猟者も結構入り込んでるみてぇだし、止まらんだろうな……ただ、キャリバンの連れてる鷹のヒュウなら矢の届かねぇ速度と高度で偵察できるから、いろいろ考えてはいる」
いきなり外対騎士団の強力な札が封じられ、周囲からため息が漏れる。
ローニー副団長の胃薬摂取量が増えそうな話である。
当人は滝のように幸せとため息を吐き出している。
「はぁぁぁぁぁぁぁ……オークの発見までのハードルが一気に高まりましたね……」
「へっ、それこそこの島の森を滅ぼしたら見つかるんじゃねえの?」
皮肉気なロンビード班長に俺は「笑えませんよ」とツッコむ。
しかもオークは長く泳げるのでその場合は他の島に逃げると思われる。
間違ってもカシニ列島焦土作戦などと本末転倒な事態にはなって欲しくない。
続いて、今のところやることがないため町での情報収集に徹していた回収班だ。
回収班班長のネルトンさんは、自分より副班長のエッティラに聞けとばかりに目配せして黙り込む。職人気質なところがあるネルトン班長は回収仕事以外だと割とこんな態度なので、誰も気にせずエッティラ副班長に視線が集まった。
回収班の鬼がネルトンならば、エッティラ副班長は鬼の副長と呼ばれる人物だ。この態度も二人の信頼関係の表れといえる。それはそれとして前に結婚話聞いて回った時にエッティラ副班長の奥さんが彼の十歳年下だったのはビビった。人を殺しそうな目で「周りには秘密にしてるから絶対言うなよ……!」って脅されたけど。
「一応こっちで聞き出したのはまずオークによる被害……なんですが、調べても調べても被害と言えるほどの被害は無ぇってのが結論ですね。ただ危ないから狩ってくれって意見が大多数で、目撃者も碌にいなかったです」
オーク被害がないのはいいことだが、同時にそれはオークの行動範囲や行動傾向、群れの規模を推し量りにくいことも意味する。
しかし、エッティラ副班長にはそれとは別に引っ掛かることがあったようだ。
「どうにもこの島の人たちは、人を襲うくらいの力を持った獣はみんな殺しちまった方がいいと思ってる節がありますね。島の固有種にして王国内唯一の虎であるエンケラドゥストラが積極的に狩猟されたのも、偶に襲われる人がいるから駆除しようみたいな声から始まったそうで、金の話は後からついてきたようです」
それなら確かに一概には責められない――そう言いかけた時、会議に参加していたリンダ教授が突然立ち上がって机を叩いた。彼女は淡々と、しかし怒りを抑えきれないように語る。
「肉食獣が獲物を狩るのは当然のこと。彼らにとって人間もそれ以外も動物であることには変わりない。それは自然なことだし、不用心に縄張りに入る側にも責任はある。それにそもそも虎が人を襲うケースは縄張りを冒すことのほかにもう一つある」
リンダ教授は握りしめた手を震わせながら、ここにはいない誰かを睨むように顔を上げる。
「餌が不足すれば、動物は狩場を変える。特に無計画な森林伐採は虎の縄張りを破壊し、餌となる動物たちの住処も破壊する。その上で飢えた虎を殺すなんて……!!」
虎が害獣になったのではなく、人間が虎を追い詰めた。
そう考えると、仕方がないの一言では済ませ辛い。
彼女の気迫に場が飲まれかけるが、エッティラが補足説明を飛ばす。
「……あー、実際のところ虎が先だったのか森林伐採が先だったのかはわからんのですが、虎に殺されたのは商人の息子だったらしいですわ。で、その親商人が怒って最新の狩猟道具をしこたまここに持ち込んだのが狩猟活性化の一因を担ってはいるようですね」
「それはまた、なんとも……」
「そういえばあいつらいいクロスボウ持ってたな……」
ローニー副団長がげんなりし、キャリバンは今日出会ったハンターの事を思い返している。余りいい予感のしない情報だが、それも追々調べておいた方がいいだろう。
と、オークの情報が出ずにしょぼくれていたノノカさんが顔を上げる。
「虎が絶滅すると大問題ですよ。そもそもオークが王国で大繁殖しつつも生態系が崩壊しなかったのは、大型肉食獣や気性の荒い大型動物との生存競争があったのも要因の一つです。虎が十分に生息していればオークにとっては大きな脅威になった筈なのに……しかもここいらの生態系の頂点がいなくなれば、生態系全体のバランスが崩壊しちゃいます」
ノノカさんが何を言わんとするのかは大体理解できた。
外対騎士団は仕事柄、生態系などの知識は一般人以上にある。
頂点の肉食獣は自分より格下の草食獣の数を抑制し、同時にその草食獣が食べる植物の量も期せずして調整している。このように、強い捕食者とはそれより下の動物やそれの餌となる生き物の数を司ると言っても過言ではない。その均衡が崩れればそれまでの生物のサイクルが崩壊し、特定の動物が増えすぎたり、或いは減り過ぎたりといった現象が起きる。もちろんそれに歯止めがかからなければ、環境は完全に破壊されるだろう。
魔物も含め、自然とはそれほど巧妙なバランスで保たれている。
それを簡単に破壊してしまえるのが外来種であり、そして人間なのだ。
ともかく、今、この島はオークにとって天敵がいないという意味では都合がよく、しかし獲物が少ないという意味では都合が悪い環境とも考えられる。更にノノカさんには別に気になることもあるようだ。
「土壌流出も正直気になるんですよねぇ……原生林にとってもそうなんですが、海への影響がどうも……」
「海に土が流れ込むと何が起きるんですか?」
ローニー副団長の質問に、専門じゃないので断言できませんが、と付け加えつつノノカさんは語る。
「海に大量に土が流れ落ちると、波の荒い日にはあっという間に海が濁っちゃうわけで、濁った海って酸素濃度が低下したり色んな弊害があるらしいんですよ。アマナちゃんの研究論文に確か……ええと、赤潮だっけ? そういう海が赤くなる現象が発生する要因とも考えられてて、海の汚染が進むっぽいんです」
赤潮というのは余り聞き馴染みのない言葉だ。
その言葉を口にしたノノカさんも説明に自信はならしい。いくらノノカさんが天才でも研究者の知見が及ぶ範囲にはおのずと限界がある。アマナ教授の受け売りなのか、ノノカさんは慎重に言葉を選んでいた。
「や、まだ研究中の現象で色んな説が入り乱れてるんですけど……赤潮の発生原因は、土のせいで環境変化に耐えられない海中の微生物が一気に死ぬとか、土の中の栄養を取り込んで一気に増殖したその微生物たちが捕食者がいないまま大量死したらそうなるとか言われています。ともかく土壌流出が起きた場所ではその赤潮って現象が発生しやすいと考えられてます」
「微生物の死骸なら魚の餌になるのでは?」
「海が赤く染まるほどの大量死です。そんな環境に突っ込んだ魚は呼吸できなくて死んじゃいますよ。あ、ちなみにこれ大規模な干拓や埋め立てを行った場所で起きやすいってデータもあった筈ですよ」
その場の全員が、今いるフロンの町の海沿いを連想した。
商人たちが貿易の為に整え、自分たちも利用した大きな港を。
どうやら海の汚染はいつ目に見えて姿を現してもおかしくないらしい。
「海洋学とか魚類学のことはノノカちゃん齧った程度しか知らないのであんまりアテにしないでくださいね? フィールドワークに出てる学者たちの方が詳しい筈なんでこれ以上は勘弁を!」
この日、折悪く主たるカシニ列島の滞在学者たちが泊まり込みのフィールドワークに出かけており、あまり多くの情報を聞き取ることができていない。当人はああいっているが、暫くお世話になりそうである。
その後、道具作成班は現在トロイヤ、リベリヤ、オスマン三兄弟が島の南端にあるキジーム族の里で情報収集中という以外は何も進展がないことが報告された。ちなみにブッセくんの体調は回復したらしい。よかったね。
我らが遊撃班はというと、フロンの町に出回る商品をひたすら調査していた。報告内容はある意味予想通りだが、島の固有種が大量に殺され、加工されて島の外に持ち出されていることが判明した。しかも島で飼われているネズミ対策の猫が島の固有種を狩っている疑惑も浮上している。
報告するガーモン班長の表情も、やはり少々気が滅入っていた。
「他に気になる報告としては、トカゲや亀などの一部がペットとして持ち出され始めてる点ですね。今のところは少数、しかも大型で繁殖力が低いのが多いですが、もし小型種の持ち出しが始まったら今度は王国の生態系に影響を与えかねません。如何ですか、副団長?」
「む……それは早急な対策が必要ですね。その点であれば聖艇騎士団と連携をとれるかもしれません。早速情報を纏めて本土に送りましょう。で……ヴァルナくんは何か報告がありますか?」
「えー、まぁ、その、したくない報告が一つ」
憂鬱な気持ちで資料を取り出す俺に、ノノカさんが首を傾げる。
「……アレ? ヴァルナくんにしてはミョーに歯切れ悪くないですか?」
「ノノカさんにすれば嬉しい話かもしれませんけど、オークについての未確認情報です」
俺の手に今、パラベラムがこの島の研究者から受け取った資料の写しがある。
そこには、衝撃的な内容が記されていた。
「実はですね、オークたちは島の原生林の最奥周辺で目撃されてるそうなんですが……」
周囲がうんうんと頷く。徒歩で行くしかないのに、辿り着くまでが大変で非常に厄介な立地である。実際今日の偵察に出て泥に塗れず帰ってきた回収班はいないくらいだ。しかし、恐らく周囲と俺との認識は大きくずれている。
「その場所は人間に追い込められた動物たちの最後の楽園と化しているのか、島全体で減少している動物たちが未だに沢山いるのです。しかし、人間が近づくととある生物がいの一番に飛び出して威嚇してくるので現地の人々は近寄れず、結果としてそれが島の生態系を辛うじて繋いで……」
と、退屈していたアキナ班長が口を挟む。
「おい、回りくどすぎて目が回りそうだぞヴァルナ! もっと短く言え!!」
「ええい、じゃあ言いますよ!!」
俺は覚悟を決め、言い放った。
「このエリアに確認されている七匹のオークが島の生態系を実質的に維持してるんです!! このオークたちがいなくなった場合、森の生態系に致命的な被害が及ぶと研究者たちは見ています!! そのため、この七匹のオークは島の伝承に登場する自然の調停者になぞらえ、『トーテムセブン』と呼ばれているそうですッ!!」
「……はい?」
「……オークが?」
「……生態系を、維持してる?」
数秒の間。
そして――。
「「「「「な、何だとぉぉぉぉぉーーーーーーッ!!?」」」」」
王立外来危険種対策騎士団の存在意義を揺るがす強烈な事実に、その場の全員が絶叫した。ただしノノカさんだけ黄色い声だったけど。
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