第338話 楽観論です

 自然に敬意を払い、決してみだりに動物を殺めない。

 必要な糧以上は求めず、食物を育む自然に感謝をする。

 カシニ列島周辺の文化圏では一般的な物の考え方だ。


 それが『だった』に変貌したのは一体いつからだったのだろうか。


 少なくとも学者たちがこの神秘の島を訪れた段階では、まだ島民たちの自然への敬意は残っていた。ところが調査に夢中になっていた学者たちは、その間に商人たちが次々に島に入り込み、王国式の暮らしや商売を普及させていたことに気付くのが遅れてしまった。


 最初は海外の珍品が物々交換で手に入る程度だったのが、次第に大掛かりになっていき、原住民たちの小さな欲望は雪だるま式に膨れ上がっていった。


 より立派な家に住むことで、自然の厳しさが薄れた。

 より優れた狩猟技術を知ることで、余裕が生まれた。

 身近に存在する生物が貨幣という万能の交換物に化けることを知った住民たちが、間近に存在した当たり前のことを忘れるのに、そう時間はかからなかった。


 かくして、神秘の島々……とりわけアルキオニデス島は着実に自然と多様性の喪失へと向かっている。他ならぬ、人の意思によって。



 ――著、記者パラベラム 『資本主義とトーテムセブン』より抜粋。




 ◇ ◆




 タイミング良く王立魔法研究院の調査支部にいた『月刊ジスタ』記者のパラベラムの原稿の見出しを読んだ俺は、書いた当人に目配せした。パラベラムは頬張ったカットフルーツを咀嚼して飲み込むと、楊枝を次のフルーツに刺す。


「二週間くらいここで密着取材してんだ。根拠のないホラはないぜ」


 プレセペ村以来の再会となったパラベラムはすっかり日焼けしており、花柄のシャツと麦わら帽子を着こなしてすっかり地元住民のようだった。しかも彼はなかなかいい部屋を借りているらしく、外からフロンの町が一望できる見晴らしだ。

 そんな彼から借りた未完成の原稿には、見出しからして不吉な文字が躍っている。


「見ただろ? あの加工品の山。マジでここの生き物滅ぶぜ」

「そりゃ何となくだが分かる。問題は何でこんなに極端に振り切れちまったのかだ。どこの少数民族も多かれ少なかれ『取り過ぎればなくなる』ぐらいの算数は出来る。ここにだってその教えはあった筈だ。それが何でああなる?」

「答えは単純明快、商人たちが原因だ」


 フルーツを食べる手を止めたパラベラムが、港を行き交う商船を親指で差した。その表情は、心なしか不快そうだ。


「近年商人が特権階級に食い込めるようになってから王国の商売は一気に競争が激化したが、その分一山当てるのが難しくなってる。そこで新参商人たちは未開の島の珍品に目を付けたってワケよ。研究院の船に付いていけば航路は簡単に拓けるしな」

「そして手っ取り早く金になると見たのがカシニ列島の固有種って訳か」

「そゆこと」


 確かに事前の資料でざっと見ただけでも、この周辺に生息する生物は本土ではお目に掛かれない珍しいものばかりだ。露店で見かけた極楽鳥の羽の加工品は、悔しいことに非常に見た目が鮮やかで欲しくなるような品だったのを思い出す。

 その他、虫の標本なんかも最近は多いそうだ。


「ペットとしての輸出もあったみたいだけど、輸出後の飼育が厳しすぎてさ。そこで加工品に切り替えたところ、これがメガヒット。土産屋のエンケラドゥストラの毛皮、末端価格で幾らか知ってる?」

「三百万ステーラで売られてたが、違うのか?」

「あれはいわば仕入れ価格よ。実際には状態が良ければ王都で億の値が付くこともある。ボロい商売だぜ、マジで」

「おいおい……その値段じゃ現地側は大損だろ? なんでそんな馬鹿がまかり通ってる?」


 俺の疑問に、パラベラムはちっちっと指を振る。


「どんなに王国化してもここの人たちは所詮カシニ列島の外を知らねぇ。大陸の商売や相場なんて知りもしねぇ。商人側が黙ってるのさ。ハッキリ言うが、あいつらワルだぜ」

「まぁ公正な取引とは言えねぇな……で、地元民の危機感とかは?」

「今俺たちがいる西は、自然への配慮とか全くないのが大多数だな。逆に東側は猛反発してるが、東の民族たちは数が少ないし王国民との接触が少なくて学に乏しい。放っておいたらいいようにやり込められてお終いだな」

「そうか……」

「で――王立外来危険種対策騎士団は何しにここまで来たんだ?」


 パラベラムはにやにやしながら問いかける。

 これは取材で、俺の口から出た言葉を記事にするということだろう。何の名目で来たかなどすぐに知れ渡ることなので隠すまでもない。


「オーク討伐」

「極めて簡潔な回答どーも……ブレねぇなぁあんた。でも今回ばかりはそれで終わるかな?」


 パラベラムが語気を強めた。彼の言う通り、今回の任務はオークを討伐して帰るという簡単な構図で終わりそうにない。


「王立外来危険種対策騎士団の活動目的は原則一つ。王国の環境に仇なす特定外来危険種を討伐することだ。だからオークが出たら討伐する。成程確かにこれほどわかりやすい組織はねぇ。だが今回果たして真に外来種なのはオークかな? それとも商人かな?」


 国内外来種、という考え方がある。

 例え王国内に生息する生物であっても、生息域を越えて本来いない場所に人の手で運ばれれば、それは外来種になる。これはノノカさんの理論であり一般的ではないが、広い目で見れば王国商人もある種の異物、外来種と似たようなものだ。


 パラベラムは恐らく研究者たちに感情移入し、商人という外来種をどうにかして欲しいと思っているのだろう。だが、この外来種は人権を持ち、納税の義務を果たしている。


「うちの騎士団に商人どもをここから追い出す権限はねぇよ。それに環境保護のための討伐と環境保護活動そのものは別のものだ。それでも不備が出るなら法律を改正して対応するってのが筋だが……」

「だが、なんだよ?」

「お前、王都の外にろくすっぽ出やしない王国議会が本土でもない辺境の島の動物の保護だ何だに金出すと思うか?」

「……、……無理くせぇ」

「な?」


 パラベラムは渋柿の汁を煮詰めて飲んだような渋面になる。

 自然界の食物連鎖や生物多様性などと唱えても議会は聞こえぬふりだが、『放っておくと農作物に損害が出る』とか『高級山菜が採れなくなる』と言えば耳がピクリと動く。そんな連中にとって、動物由来の珍品で小銭を稼いでるだけのカシニ列島の重要性は限りなく低い。しかも少数民族の多いカシニ列島はほぼ自治区であり、なんなら同じ王国民という認識も殆どないだろう。


 そんな地域ならもう動物を狩り尽くして小遣い稼いだら後は捨てておこう、という方向性に議会なら持っていきかねない。環境対策にどれだけ手間がかかるか分かったものではないという事情もある。


「地元住民西側の殆どがこの狩猟に異を唱えないんだろ? 仮に法整備が進んで狩猟に制限が出来たとして、取り締まる人間が取り締まり切れなければ意味はない。狩猟を禁じられた彼らが今度は何を糧に商売すればいいのかって話にもなる。そもそもこの島々の為に法整備が行われるかも怪しい。間違いなく優先順位は最低ラインだ」

「そりゃそうだろうけどよー! ここの研究者たち、動植物が絶滅の危機に瀕してることにマジで凹んでるんだ。俺に少しでも詳細にこの島の事を書いてもらって王都で記事を売りまくってくれとまで言うんだぜ?」

「民意に訴えようって訳か。アイデアとしては悪くないが……」

「わーってるよ。一過性になるってんだろ?」


 ペンを上唇と鼻の間に挟んで変顔するパラベラムは、そのペンを手に取ってくるくる回しながら不機嫌そうに部屋の隅へ目を反らす。


「俺も色々考えたけど、業突く張りの商人共を法的に追い出すのは難しすぎる。正直手詰まり感が強い。それこそ『トーテムセブン』なんて伝説に縋っちまうほどな」

「記事のタイトルにもあるな、トーテムセブン。なんなんだ、これ?」

「この辺の言い伝えの一つなんだ。島に災いありしとき、姿を現すトーテムセブン。地、水、火、風、獣、森の化身とそれを束ねるトーテムの王。トーテムたちは調和を尊び、過ぎたる存在を駆逐する……口伝だから聞き出すのに苦労したなぁ」


 遠い目をするパラベラムを尻目に、俺は彼の記事を流し読みしながら『トーテムセブン』を探す。トーテムセブンが記事とどう繋がっているのかピンと来なかったからだ。

 やがて、俺はその答えに辿り着き、絶句する。


「おいパラベラム、これマジで書いてんのか?」

「俺も色々考えたり学者と話し合って何度も悩んだんだけど、そう捉えるしかなくなっちゃってよぉ」

「そんな、まさか……いやしかし……ともあれ実態を調べんことには何とも言えんか? ちきしょー整理しないといけない情報多すぎだろ!」


 トーテムセブンの正体、それは騎士団的には少々受け入れがたい存在だった。

 できれば記事が間違いであって欲しいと願いつつも、俺には心のどこかでそれが事実であることに確信に似た思いを抱いていた。

 嫌な予感に限って、何故か大体当たる人生である。なんでや。




 ◇ ◆




 ヴァルナが現地の情報を収集しているその頃、騎士キャリバンはリンダ教授と共に突発的な森の調査に付き合わされていた。


「……」


 リンダ教授の表情は険しい。

 その理由はキャリバンもすぐに理解出来た。

 明らかに人間が捨てたゴミが多い。

 ほとんど人の手が入ってこなかった筈の原生森に散らばるカラフルな紙屑、ビン、布切れ。それらは必ずしも自然に悪影響とまでは言わないが、決して良いものではない。


 それだけではない。村に近い森に尋常ではない量の切り株がある。切り口の新しさからしてここ最近で短期的に伐採されたのだ。木がなくなって剥げてしまった大地が何とも物悲しい。しかしリンダ教授はその奥に進み、更なる問題を見つけた。


「部分的にだけど土壌の流出が始まってる……」


 そこは、雨水か何かで抉られたのか、地面が崩れて剥き出しになった形跡が見られる。キャリバンにとっては余り見た事のない抉れ方だ。


「土壌の流出が起きると、どうなるんすか?」

「そもそも森というのは木の根によって大地を固定している側面がある。それに木は栄養を大地から吸い取り、葉を茂らせ、その葉が地面に落ちて小さな生物たちがそれを分解するというサイクルで大地の栄養分を保っている。木がなくなればそれが崩壊し、土は削れ、大地が痩せて様々な植物の繁殖が妨げられ、無事な木も土壌流出に巻き込まれて枯れる。もちろん木に登る生物、木に巣を作る生物、木の葉を食べる生物などの全てがその煽りを受ける」

「……ヤバイじゃないっすか! どうにか止めないと!」


 リンダはその言葉に頷くが、いつになく表情が暗い。


「本来、急な伐採をしなければ自然と木は生える。それでも異常な伐採を続けているのは農作地が欲しくて開拓してるから。でも……恐らくこの人たちはこう考えてる。『昔からあった森なんだから無くなることはない。無くなっても放っておけばまた元通りになる』……森が滅ぶまで、きっとそう思い続ける。肝心の農作物を育む大地を自ら追い詰めながら」


 それは、遠回しに「人間さえいなければこの森は復活する」と告げている気がした。

 と――二人の近くをまだ森が残っている側からやってきた原住民たちが通る。クロスボウと沢山の鳥をぶらさけた姿と満足げな表情が、彼らのやったことを物語っていた。


「いやぁ、沢山捕れたな! いい値がつくぞ、こいつは!」

「ここ最近ここいらに出なくなったから、だいぶ森の奥にいかないと見つからないんだよなぁ」

「あの余所者の学者共も何を心配してんだか。鳥や猿なんて幾らでもいるんだから捕っても放っておけばまた出てくるだろうに」

「でも最近やっぱ減った気がするなぁ」

「バーカ、偶然だ偶然。今年はたまたま風の巡りが悪いのさ」


 彼らが抱える鳥たちは、数にして合計数十羽。その他、よく見れば猿らしきものも見える。全てがカシニ列島の固有種で、矢で貫かれたのか死んでいる。リンダもキャリバンも、彼らの危機感のなさに愕然とした。


「……鳥、いなくなっちまったらどうする気だよあの人たち」


 もしそうなれば、取り返しなど永遠につかないのに。

 誰も責任を取ることなどできないのに。

 しかし、リンダは首を横に振った。


「次の鳥を探しに別の島に行く……いのちに無関心な人間とは、そういうもの。どこまでも、どこまでも、自分以外に無関心でいられる。だから、だから私は……」


 リンダが爪が手に食い込むほど拳を握りしめる。彼女はたぶん、ここと似たようなことが起きた場所や消えた生き物の事を知っているのだとキャリバンは悟った。そしてそれは、彼女を人を避ける人間に変えたのかもしれない、とも。

 或いは、人を嫌う人間に――。


「……一度戻りましょう、師匠せんせい。情報を整理して対策を練らないと」

「……」


 リンダは何も言わなかった。

 ただ、キャリバンの手を拒むことはなかった。

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