第314話 あの日の借りを返しにきました

 度を超えて強固な個体に対抗するには、数で攻めるしかない。

 それはこれまでの魔物討伐の歴史が証明しているし、直接的な戦い以外でも同じことが言える。一つ一つは小さな力でも、重なり集うことで強大な個に対抗しうる力となれる。


 しかし、それは個の側からすれば寄ってたかって暴行を受けているだけに他ならない。数と集団による暴力を用いた個の否定は、時として不条理な排斥を生むこともある。


 だが、これは生存競争だ。

 殺さねば殺される相手と戦うのだ。

 ならば、何故躊躇う必要があろうか。


 遺跡一階まで無様に落下した狩り獣のダッバートを待っていたのは、情け容赦のない暴力の嵐であった。


「我等ナーガの戦士の誇りに懸けてッ!!」

「渾身の力で叩け!! 叩いた者はすぐさま交代しろ!!」

「奴に何もさせるな!! 全方位波状攻撃だ!!」

「決して躊躇うな!! 相手が死んでも叩く気で攻め続けろ!!」


 殴打。

 殴打、殴打、殴打。

 殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打。


 空を裂いてしなるナーガの尾による嵐の連撃が降り注ぐ。

 人ならば間違いなく死に至る威力と量だが、ダッバートはそれに耐える。ダッバートは魔力を使って全身の皮膚を硬化するだけでなく、肥大化させることで緩衝材の役割を持たせている。


 しかし、それでもナーガの尾の衝撃は完全に逸らせない。姿勢を崩さない為に全力で防御に徹することで吹き飛ばされることは免れているが、殴打一つ一つが防御を貫いて体の芯に衝撃を与えてくる。


 ナーガたちによる絶え間ない連撃の合間を縫って、先端に重りのついた鞭がダッバートの関節や顔に衝突する。鞭を操るのは外対騎士団のウィリアムだ。たかが人間の攻撃――しかしダッバートはそれに、確かな痛みを感じていた。


 理解出来ない。

 これほど強固な力を手に入れたにも拘らず、何故今更人間の攻撃などで。

 困惑するダッバートを嘲笑うように、ウィリアムは次々に入れ替わるナーガの間隙を神がかり的なタイミングで縫って鞭をぶつける。


「鞭を振り抜いた瞬間にバチっと鳴る音……たまに勘違いしてるお子様がいるが、あれは鞭の繊維の音じゃない。鞭の先端は音速を超え、衝撃波を生んでいる。どんなに堅牢な皮膚を持っていようが体の内側まで伝わる衝撃波は防げまい! チェックだ、でくの坊!!」


 ダッバートに言葉の意味は理解できなかったが、自分のプライドが傷つけられたことだけは鋭敏に感じ取った。今すぐあの人間を縊り殺したいという激情が腹の底に渦巻く。しかし、それは出来ない。


 ナーガの尻尾は殆ど筋肉だ。いわば筋肉で出来た天然の鞭であり、全力で放てば先端は当然のように音速を超える。純粋な質量と威力だけでも十分すぎる凶器であるにもかかわらず、ナーガの絶え間ない連撃は、受けた分だけ必ずダメージが蓄積する。 

 しかもナーガだけではない。時折ナーガの攻撃で絶対に防御が解けないタイミングを縫って、ウィリアム以外の人間も攻撃を仕掛けてきている。

 正面から四体のナーガが同時にダッバートの足を攻撃した瞬間、ダッバートの足の反対側面に衝撃が奔った。道具作成班班長アキナによる強烈な斧の一撃である。綺麗に膝の裏の関節に命中した斧を皮膚は防ぎきったが、骨に響くような衝撃があった。


 来ているのは理解していたが、もし足で反撃すればナーガの攻撃でバランスを崩し転倒していた。蠅に顔をたかられるような不快感と怒りに苛まれる。

 だが、人間が使ったのは大型の斧。遠心力を乗せた一撃はダッバートだけでなく人間にも反動を生む。その一瞬の隙を縫ってダッバートは蹴りを入れようとして――再度、怒る。


「っしゃらぁ!! 撤退!!」


 戦士ならば手放そうとはしない武器を、アキナはあっさり手放して撤退した。

 ならば武器を蹴り飛ばして攻撃しようと思った矢先、武器にフック付きの縄が引っ掛かり、一瞬で人間の下に引き戻されていく。


「斧回収するぜぇ!!」


 工作班班長、ロンビードの縄投げによるフォローだ。

 行き場を失った足は動かす訳には行かなくなり、その瞬間にまたナーガ達の尻尾が全身を打ち付ける。


『ガ、ウ、オ、アァァァァァァァッ!!!』


 今すぐ周囲を皆殺しにしたい衝動と、それを実現できない理不尽な現実への怒りがないまぜになり、ダッバートは吼える。その口や目を狙って、ナーガや人間の投擲した砂の塊が降り注いでダッバートの気を全力で散らす。


「おいおいカルメ、お前スリングショットも使いこなせんのかよ!!」

「くっ、砂弾は空気抵抗が独特だ……撃ったことないから狙いが2センチずれた!! 次弾お願いします!!」


 騎士団随一の狙撃手カルメのスリングショットによって打ち出されるのは、砂の弾。ダッバートが瓦礫で攻撃したのと同じように、本来発射する物質として不向きな砂をナーガが魔法で絶妙な硬度に堅め、次々にカルメに渡していく。


「任せろ、勇猛な女の戦士よ!!」

「男ですッ!!」

「ははは、確かにその気迫は男顔負けだな! さあ、次の弾だ!!」

「男ですってばぁ!!」


 ナーガの兵士はカルメの主張を一切信じていないが、世界大会を経て精神力を鍛えたカルメの手は一切の失敗を許さない。ナーガの放つ魔法の砂攻撃より正確に、その弾はダッバートの顔面を捉えていく。


 その包囲網は、何をどう転がしても無事に突破できるものではなかった。


 無限に沸き上がる屈辱、憤怒、殺意を抱えながら、ダッバートは思考する。

 この絶えぬ思考能力こそ、ダッバートが大陸で戦闘能力に釣りあわない危険度七の評価を得た最大の理由。プライドを持ちながらプライドを投げ捨てて生き延びる、合理的生存本能。


 生存本能は、この場を無事に突破するのは不可能だという結論を出した。


 包囲網もそうだが、もっと大きな問題が二つ。


 包囲網の中で一人だけ、いつでもダッバートを殺せるよう準備して微動だにしない戦士がいる。鍬を抱えたピオニーだ。数多くの冒険者を殺してきたダッバートは、この包囲網の中でピオニーだけは自らの魔力の鎧を貫通させる可能性があると判断した。

 あの男はダッバートが弱るか、自棄を起こして攻撃に打って出る瞬間を待ちわびている。


 そしてもう一つ。

 あの男――ダッバートを遺跡の屋根から中まで突き落としたヴァルナ。このまま手をこまねいていればあの男がこの包囲網に参戦する。そうなればダッバートからは万に一つの勝算さえ消失する。


 終わる。

 死ぬ。

 こんなところで、もっと殺したいのに、こんな弱卒の集団にいいようにいたぶられて力を発揮できずに果てる。なにもさせてもらえない、認めがたい感情を抱いて――。


 駄目だ。許せない。許容できない。

 絶対に死にたくない。

 絶対に生き延びなければならない。

 嘗てあの戦士が自分を死の直前まで追い詰めたあの時のように、死を覚悟して――『逃走』しなければならない。


 ダッバートは、己の肺を極限まで膨張させ、その声帯からこれまで一度たりとて出したことのない限界を超えた咆哮を絞り出した。


『ブギャアアアアアアオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!』


 命を賭した咆哮が遺跡を駆け巡り、騎士たちの耳を劈き、ナーガ達の動きを一瞬止める。常軌を逸して迸る生存本能が齎した気迫が、その場の全員を威圧した。それは、ただの獣ではなく自意識を強烈に持つダッバートだからこそ出来た芸当だった。


 もはやダッバートはなりふり構わない。

 全身に張り巡らせていた防御の魔力を削り、周囲に散らばる砂を全身に纏う。防御力は下がるが、受け流す力がこれで増す。そして砂を纏いながら、ダッバートは一直線に何もない壁に走り寄る。

 ナーガたちが立ちはだかるが、ダメージを覚悟してしまえばこの程度はどうとでも出来る。


「一体どこへ向かう気だ!!」

「ここは通さな――ウッ!?」


 両手でナーガを殴り飛ばす。吹き飛んだナーガは壁に叩きつけられてバウンドする。死に至らしめてはいないが、倒れ伏した頭からは血が流れ出ている。本当ならば頭蓋を踏み割って脳梁をかき乱してやりたいが、攻撃で生まれた隙に別のナーガが尻尾で攻撃を叩き込んでくる。

 防御を緩めたためにその痛みは更に鋭くなったが、無視して必要最低限の敵だけ殴り飛ばす。 壁際まで寄ったダッバートは、そこを全力で殴りつけた。


「何をする気……そうか、そこは奥の部屋にッ!!」


 魔法によって脆くなった壁が呆気なく崩れ去り、そこに騎士たちが封鎖していた通路とは違う道が姿を現す。

 ダッバートはこの建物の構造を熟知しており、その壁を突き破れば、奥の部屋を通して包囲網を突破できることを知っていた。


 だが、壁を破壊して突破するその瞬間だけは、回避など絶対に不可能。

 この瞬間、二人の戦士が同時に攻撃を放った。


 一人は遊撃班班長、ガーモン。


「逃がすかあぁッ!!」


 この短期間で基礎習得に至った氣を限界まで振り絞り、今までの己の殻を突き破る槍の猛撃が放たれる。


 同時に攻撃を放ったのは、ダッバートが警戒していたピオニー。

 ナーガが陣形を崩されたことで接近が難しいと判断した彼は腰を中心に体を縦方向に捻って鍬を限界まで高く振り上げ、投擲した。


「させま――せんッ!!」


 二つの攻撃は重なることなく同時二点でダッバートに直撃。

 ダッバートの背中に巨人に殴られたような衝撃が奔った。


『ッ……ォアアアアッ!!』


 されど、ダッバートは止まらない。

 歯を食いしばって耐えた人狩りの獣は、そのまま壁の奥へと走りながら、全身に纏った砂を後方に全力で放出した。槍を叩き込んだガーモンは吹き飛び、ピオニーも投げた鍬が砕け散って武器がないため即座に追えない。

 全力で逃走しながら、ダッバートは悪態をつくように自らの腹を抑える。


『ハァ、ハァ……ァァッ!!』


 二人の攻撃は、ダッバートの身体に確かな有効打として響いた。

 ピオニーの鍬の投擲は刺さらずとも体の芯を貫かれたような衝撃であったし、ガーモンの槍は背中の皮膚を抉り、その衝撃もまた体の芯に響いた。もしもダッバートがしていなかったならば、死んでいたかもしれない。


 そして、今の一撃でダッバートの古傷が開きかけていた。


 遠い昔、ンジャと呼ばれた戦士が毒を盛った上で与えた致命的な一撃。これを受けて生存したのはまさに奇跡であった。しかし傷は完全に癒えることはなく、変異して強固な皮膚を得た今でも傷跡が消えない。


 傷口が開いていなければ、多少の攻撃が直撃しても防ぎきれる。

 だが、二つの衝撃をまともに受けて傷口が疼く今、ここに相応の攻撃が当たれば――例えばンジャが最後にダッバートに浴びせた攻撃と同等の一撃が叩き込まれれば、それは刺さる。

 ンジャは当時、肝臓を狙った。

 故に、この傷痕を貫けば自動的に肝臓に行き付く。

 傷跡そのものがダッバートの明確な弱点ウィークポイントを示している。


 幸運だった、とダッバートは思う。


 今、ンジャと遭遇したら死の危険がある。

 ダッバートには分かる。

 ンジャは周到な男だ。

 接敵すれば必ず殺せる策を練る。

 あの日、たった一人で自分を追い詰めた悪魔のような戦いぶりは、忘れられるものではない。全ての戦略を暴かれ、誘導され、逃げ場を失って刺されたのだ。


 幸運と言えば――と、ダッバートは周囲を見る。

 ナーガと騎士たちは広間に人員を総集結させていたのか、人が全くいない。いれば人質を取れ、人質がいれば万一ヴァルナが追ってきたときに盾とすることが出来たが、邪魔がいないに越したことは無い。


 だが、何故だろうか。

 とてつもなく嫌な予感が――この道を進んではならない気がする。

 退けばまた袋叩き、別の道を選べば時間のロス。

 真っ当に考えればこれが最善の道だ。


 ――最善の道ほど、行動の予測がつきやすい。


しまいにするぞ、外道。月にさえ見放され、此処にて果てるがよい」


 砂嵐の風が吹き込む遺跡の出口――カンテラによって等間隔に照らされる路の果てに、死神が待っていた。


 ダッバートはそこでやっと、今がンジャに追い詰められた状況と酷似していることに気付いた。

 ンジャの手に、短刀が煌めく。

 ダッバートを殺めそこなった借りを返しに来たが如く。

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