第285話 それはしたことありません

 王都より北を暫く行くと、山間を隔てて荒れた土地になっている。

 インダステラ山脈に囲われるように広がる王国唯一の『砂漠』は、その名をバノプス砂漠という。範囲としてはそう広くないが、このバノプス砂漠とインダステラ山脈のせいで人々が北に行くにはどうしても北西を大回りするのが安定したルートになる。また、北西は砂漠の影響で荒れ地となっており、痩せた土地であるため住まう人間は少ない。


 幸いにしてバノプス砂漠はそれ以上周辺を侵食することなく収まっているが、過酷すぎるこの砂漠には人が殆ど住んでいない。肥沃な大地である王国で何故この場所だけが綺麗に砂漠化しているのかは長年学者の間で疑問視されてきたが、一つ与太話の類として噂されるものがある。


 曰く、嘗てここには高度な古代文明が存在したが、禁忌に触れたことで女神の神罰が下った結果、バノプス砂漠が生まれた、というものだ。


 で、この与太話に微かな信憑性を与えているのが、件のインダステラ山脈に存在するカリナ古代遺跡群である。


「今回のオークはその遺跡群に入り込んでいる、と?」

「そうなんですよ……しかも、よりにもよって現在発掘作業中の遺跡にです」


 ローニー副団長は頭が痛いとばかりに側頭部を掻く。


 王国がこの島に移民するより遥か前から存在したこのカリナ遺跡は、いつ、誰が築いたのかも不明なほど古いらしい。下手をすると現存する最古の文明遺産かもしれないとまで言われる王国公認の貴重な文化遺産だ。


 そんな文化遺産ならしっかり守っておけよ、と思わないでもないが、そうも言えない事情がある。


 実は、カリナ遺跡群の周辺には町や村がなく、調査する王立学院の人々のキャンプがあるだけなので衛兵が少ない。一応常駐する見張りの衛兵がはいるにはいるが、とりあえず遺跡が盗掘、破壊されないように監視だけしとけという連中である。

 はっきり言ってカリナ遺跡は僻地なので、問題を起こして島流しになったような連中もいる。士気も練度も低いし、遺跡を守る信念に燃えもしない。野犬程度ならともかく、オークの群れを相手に勇敢に戦えというのは彼らに酷な要求だ。

 

 他にも、遺跡そのものの問題もある。

 遺跡発掘は金にならないので国からの援助が安く、学院側からも潤沢と呼ぶには程遠い資金しか提供されない。にも拘らず、重要な遺産である為に遺跡を保全する法律が存在する。つまりオークを追い出すために遺跡を汚したり破損させようものなら、いくら騎士が任務で行ったとしても始末書、減給、最悪謹慎まであり得る。

 議会の聖靴派は鬼の首を取ったように喜ぶだろう。

 やはり田舎者の平民集団は役に立たない、と。


「遺跡を傷つけずに中に籠ったオークを追い出せとは……オーク共も何で態々ここに入ったんだか」

「雨季が過ぎて暑くなってきましたからね。涼んでいるのか、もっと涼しい土地に移動する途中の拠点としたのか……流石に永住する気はありますまいが、ああ……追い出した後の遺跡の中が怖い……」


 脳裏に浮かぶのは「この壁邪魔だブヒ!」と貴重な遺跡を破壊するオーク。

 「便所がないからその辺でするブヒ!」と糞尿を床にまき散らかすオーク。

 もう色々と最悪である。殺すしかねぇ。


 一刻も早く皆殺しにしたいところだが、ここで更なる問題が発生する。

 前提として、ここは遺跡群である。しかも発掘が終了していない遺跡群だ。つまり、その辺の土を掘り返しただけで新たな発見が出てくるかもしれない。そして発掘作業とは極めて慎重に、時間をかけて行うものである。


「ぶっ殺したオークの血を回収する為に土を掘って、万一遺跡や遺物を破壊したら責任問題です……薬品で解毒するにも、解毒薬が遺跡、遺物に反応して劣化等が起きないとは言い切れず……」

「見なかったことにするか、最初から破壊されていたと報告したいですね」

「その為にはヤガラ記録官を始末する必要があります」

「ロック先輩を呼んでおきましょう。ルルズでコブラ入りの珍酒買ったみたいですし」


 もちろんジョークである。

 総合するに、いつもの鉄板戦術が使えないという非常にヤバイ状況だ。

 こうなれば毒殺戦法で静かに息絶えて貰いたい所だが、ノノカさんとタマエ料理長が難色を示すのは目に見えている。なので代案を考えるのがこれからの会議だ。


 なるべく早く終わらせて、次の仕事を終わらせよう。

 この討伐の後に、今度は王立魔法研究院の仕事が控えている。


 ――なお、オーク撃滅作戦は最終的に睡眠ガスを使うことが決定した。


 遺跡は構造的に出入り口が一つしかないのが幸運だった。これなら睡眠ガスが通じるので、あとは眠ったオークの顔面に粘土でも張りつけて窒息させるだけである。途中で起きないかが課題だが、そこはディジャーヤの戦士も絶賛のノノカさんの腕を信じよう。


 そんな便利なものあるならいつも使えよ、と思うかもしれないが、実は睡眠ガスはあまり便利ではない。平地ではガスが拡散するから確実性に欠けるというのは当然だが、実はこの作戦はオークの大好きな洞窟でも確実性が低い。というのも、騎士物語で竜が潜むようなどん詰まりの洞窟というのは意外なほどに少ないのだ。あちこちに出入り口があるし、高低差もあるので空気より比重を軽くしても重くしても割と逃げ切るオークが出てくる。あと睡眠ガスの調合にお金がかかる。


 この作戦に唯一問題点があるとすれば、オークを始末すべき騎士もガスで眠る可能性があること。そこを解決するのもノノカさんの仕事になりそうだ。後で肩を揉んであげよう。

 ローニー副団長は話が早く纏まって満足げだった。


「ムリだったらヴァルナくんが息止めて突入してオーク仕留めてくださいね?」


 副団長から段々と人の心が掠れてきてる気がして俺は悲しい。




 ◇ ◆




 さて、ここでの討伐が終わったら王立魔法研究院から請けた仕事がある訳だが、その関係で実は一度クリフィアに寄る。それを聞いたとある男が、ルルズからここまで騎士団に着いてきていた。

 そう、大会で再会したナギである。


「へー、これがカリナ遺跡群か……この目で見るのは初めてだなぁ」


 岩肌が目立ち、木もまばらな山肌に立ち並ぶ積石の遺跡たちを見渡し、ナギは感嘆の声を漏らした。その隣には彼の兄に当たるガーモン班長が並んでいる。


「俺も間近で見るのは初めてだ。遺跡の発掘が終了する頃には俺たちはおじいさんになっているらしいぞ」

「ほーん、気の長い話だなぁおい。お宝でも見つかればいいけど」


 暢気に語らっている二人だが、先ほどまでは激しい練習試合を行っていたりする。結果は時間切れで終わったが、俺の私見ではかなりナギの技量がガーモン班長に迫っている。対人経験の差で今はガーモン班長が押してはいるが、最後らへんの班長は顔に全く余裕がなかった。


 ナギはこのまま騎道車に乗るかと思っていたが、オーク討伐に数日かかると知ると先にクリフィア行きの馬車で発つことにしたらしい。この後また海外修行に出る予定の彼としては、あまり悠長に留まる気はないようだ。 


 最初に出会った頃はどんだけすれ違ってるんだってくらい話の噛み合っていなかった二人だが、今はナギが大陸で見知った話をガーモン班長に聞かせたりと、まともに家族らしい会話が出来ている。


「……じゃ、そろそろ行くよ。兄貴は精々、俺に追い越されないようにヴァルナに頭下げて氣でも習うんだな」

「おや、それはいけないな。ヴァルナくんのせいで強くなり過ぎてしまうかもしれない」

「言ってろ言ってろ! じゃ、任務でヘマすんなよー!」


 快活な笑みで別れを告げたナギは、近づいていたこちらにも「飯、最高に美味かったぜ!」と言い残して風のように颯爽と去っていった。ガーモン班長はそんな弟の成長にほろり涙を流すかと思いきや、ナギが見えなくなると同時に俺にずいっと接近してくる。


「氣というものを教えてください、今すぐに」

「弟に追い越されそうになって滅茶苦茶焦ってるじゃないですか……」

「いつか追い越されると感じるからって負けたい訳じゃないんですよ、俺は!」


 弟の前ではええかっこしいでいたいのか、いい年こいてムキになる先輩。

 大事な作戦を前に何やってるんだとも思うが、オーク掃討作戦は決まっても任務が始まるまで遊撃班は割と暇なので別にいいだろう。ついでだから氣の話を全員に共有しよう。これ知っておけば知らないのとだいぶ違うってことが大会で判明したし。


 と、いう訳で……俺は暇してる騎士を掻き集めて氣についてざっくり説明した。


「……てな感じで、氣ってのは自分の内側から出てくるものな訳で。これを用途に応じて出し入れするのが基本になる訳ですけど」

「わからん」

「わからん」

「わかった!」

「わからん」

 

 だいぶ分かってない率が高い。しかも分かったと元気よく叫んでいるのが騎士団随一のおバカさんであるアマルなので実は分かってない率も高いのが酷い。まぁ、王国は驚くほど氣の情報が伝わってないので無理もないが。


「大事な事はですね……王国攻性抜剣術は、実は氣と関係があるってことなんですよ」


 絢爛武闘大会でこの知識を得られたのはまさに僥倖だった。こればかりはアストラエに感謝だ。


「王国攻性抜剣術の型っていうのは、瞬間的に氣を発生させ、それを体の中で凝縮させることで奥義の威力を高めてるんです。つまり、奥義を一つでも使える人は既に氣を使っているってことです」

「じゃあ俺達、もう氣を使ってるってことか?」

「かなり特殊な運用法だとは思いますけどね」


 周囲の世界を感じる外氣それを取り込む内氣という習得過程を完全に無視して、持てる氣を最初から体内に収束させるなど、恐らく宗国の氣の使い手も知らない技術だろう。俺も氣の基本くらいは知ってるから分かるが、かなり異端的な方法である。


「こいつは俺の私見ですが……氣の呼吸法を覚えて感覚を少しでも感じ取れるようになれば、奥義の練度の底上げに繋がると思います。外氣も内氣も学ぶ必要はないです。ただ、自分たちが放つ奥義が何の力の作用でオークを殺しているのか理解出来れば、より能動的な奥義の運用が出来るようになる筈です」


 奥義の詳しい作用を知って以来、俺は氣の呼吸と奥義の呼吸法に符合する点を見つけた。つまり、その部分を弄ることで奥義をさらに高みへ押し上げることができる。

 と、ロザリンドが手を挙げた。


「あの、大会の騒ぎのせいで聞きそびれていたのですが……決勝戦でヴァルナ先輩が見せたあの『凝縮された氣』が奥義運用の終着点なのでしょうか? シアリーズさんの纏う不思議なオーラと互角に渡り合っていましたが……」

「ああ。あれは全然ダメ。付け焼刃だよ」

「駄目なんですの!?」


 あれは、氣の運用について俺が出来るその場での精一杯だっただけだ。


 前提として――竜殺しマルトスクは分かりやすく氣を撒き散らして戦っていないにも拘らず、恐ろしく強かった。これは本来外に放出出来る氣を全て余すことなく体内に留めるという運用をしていたから。つまり、王国攻性抜剣術の神髄を忠実に守った結果だ。


 ところが俺はその辺の神髄を完全に捉えきれなかったため、外氣を纏ってしまった。もちろん外氣は身体強化に効果的な力だが、そもそも王国攻性抜剣術は外氣だ内氣だかの修行をやってられないからと開発された技術だ。


「あれは氣を可能な限り体内に戻すことで、王国攻性抜剣術本来の爆発力を少しでも高めようとしてただけさ。きちんと極めれば、マルトスクみたいに一切外氣を纏わず高いポテンシャルを発揮できるようになる筈だ」


 俺のこれまでの王国攻性抜剣術の出力を五〇%とする。

 すると、凝縮した氣を使った場合は七〇~八〇%と、強くはなっている。

 しかし、もし神髄を発揮した王国攻性抜剣術を使えれば一〇〇%か、或いはそれ以上。

 あの時の方法でも効率は高まっているが、最大効率ではないのだ。


「あれだけの力を発揮しておいて、付け焼刃……」


 ステージの破壊痕を思い出してか、茫然とするロザリンド。

 まぁ、最後らへんとんでもなく派手な戦いになってたから言わんとすることは分からないでもない。彼女もどうやら暇を見てシアリーズからオーラの基礎くらいは習ったらしいが、見た感じ氣の凝縮には着手出来ていないようだ。覚えればまだまだ強くなるよ、君は。


「あと一応シアリーズのオーラブレイズについても教えとこっか」

「そ……そうです! それも気になっていました!」


 がばっと顔を上げて食い気味なロザリンド。

 俺も当人から説明は受けていないけれど、外氣で何となくどうやってあのオーラを出したかは理解できた。


「ありゃ唯の内氣だ」

「え? 内氣って……氣の基礎だと仰っていた、あの?」

「そう、その内氣」


 宗国式の氣の技術で言えば、シアリーズのあれは単なる内氣である。

 敢えてそこに普通じゃない点を挙げるとするならば、シアリーズが生成する尋常じゃない氣の量とそれを抑え込むこと、運用すること、溜めることを同時に行うという並列処理だろうか。


「内氣って普通、体内に取り込んだまま動くのすげー難しいんだよ。でもシアリーズは内氣のまま動き回って、しかも動き回りながら更に氣を自分に収束させ続けてんの」


 内氣は自らの力以外に自然エネルギーも取り込んでいると推測されているので、理論上は確かに氣を使いながら氣を更に溜めることは出来る。ただ、そんなもん全力疾走しながら大食いやってるようなものだ。普通そんな状態で戦闘していればどこかで破綻する。


 ところがシアリーズは常に氣を取り込みながら氣を使い、更には氣の凝縮によって少しでも多くの氣を体に詰め込もうとしている。しかもシアリーズは恐らく氣を発する力が常人より遥かに強いのか、内氣で溜め込める限界量を突破して氣を集めていた。


「内氣ってのは外の氣を中に取り込む訳だから一種の凝縮ではあるんだけど……多分それをやってるうちに体の中に氣が収まらなくなって外に漏れて、それすら逃すまいと氣を凝縮させた結果があの纏う氣なんだろう」


 聞いた話によると氣を極めた先にある『真氣』というのがそれに近いっぽいのだが、シアリーズの氣は最早従来型の氣の運用とは別物と化している。


 難しい話だが、外氣と内氣がそのままでは扱い辛いから更に御することが宗国式の氣だ。

 それは、御する技術がなければ力をコントロールできないという前提があるからだ。

 しかし、シアリーズはその技術なしに御した結果、宗国式では予想もつかない新たな形に氣を昇華させてしまった。


「まぁ、宗国式ではない『オーラ』という技術体系は力のコントロールより出力の高め方に特化したものっぽいからある意味正解なんだけど……まさか斬撃飛ばしてくるとはなぁ。俺のも飛んだけど、飛斬はシアリーズのが強かったよ」

「分かりました、ヴァルナ先輩!! わたくし、斬撃を飛ばせるよう努力します!!」

「そっちじゃねーよ目指すのは」


 爛々と目を輝かせるロザリンドだが、俺に憧れる余り変な同一化願望持ってないか? 王国攻性抜剣術には剣を投げて斬撃を届かせる技術はあっても斬撃そのものを飛ばす技術ねーだろ。

 そして話を聞いていた騎士団メンバーはというと。


「……え、俺達もしかして人間卒業セミナー受けさせられてんの?」

「斬撃が飛ぶってちょっと何言ってるか分からない。当然のように飛斬とか専門知識持ち出されても困るんですが」

「嫌だぁ!! 俺はまだ人間でいたいぃッ!!」

「俺たちをお前らの道に巻き込むんじゃねぇぇぇぇッ!!」


 阿鼻叫喚である。

 いや、今のは脱線した話であって、あんたらがやるのは氣の呼吸して氣をちょっと齧るだけでいいんですが。そう説明すると、分かった(分かってない)でお馴染みアマルが目を輝かせる。


「つまり息するだけで強くなれるってことですよね!! すごい、楽して強くなれるじゃないですかー!!」

「そう、呼吸法変えるだけで強くなれる簡単なセミナーですよ皆さん。これでみんなも幹部候補生に!」

「嘘を言うなッ!! 洗脳する気だろうッ!!」

「不参加の申し出方法が煩雑すぎて参加を断れなくする気だろうッ!!」

「閉所に閉じ込めて拘束してなくても、言えない空気出したら監禁と同じなんだぞッ!!」

「聞いてますよヴァルナ! ヴァルナ教団の設立を目指してるそうじゃないですか!!」

「俺は目指してねーし許可もしてねーよッ!!」


 ――という訳で、彼らを説得するのに一日かかってしまうのであった。


 なお、アマルは後に「この呼吸続けてれば強くなれるんでしょ?」とアホみたいに一日中氣の呼吸を続け、呼吸のリズムを忘れるたびに俺やロザリンドに「どんなだっけ?」と聞きまくった結果、誰よりも早く氣を纏ってしまうこととなる。


 二十四時間氣の呼吸とか俺もしたことないんだけど、どうしてその集中力を別の場所で発揮できないのだろうか。

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