第24話 無粋者は嫌われます

 先程のコメディーに不快感を露わにした周囲によって酒場の外に連行されたお間抜けな男を見送り、改めて俺は木刀を構えてナギに向き合った。


(改めて見るとあの槍構え、ガーモン先輩の構えとはちょっとだけ違うな)


 槍に指をかける場所や姿勢が先輩より少し前傾的で、攻撃を主眼に置いている印象を受けた。

 恐らく兄から教わった槍術を我流に崩したものなのだろう。

 それでも端から見ると兄そっくりなのは、それだけガーモン先輩の槍術が完成されているということだ。


 さて、実の事を言うとガーモン先輩と本気で戦った経験が俺にはあまりない。

 ガーモン先輩はどちらかと言うと守りが主体の戦術を取るため、俺もなかなか取っ掛かりが掴めず攻め切れない。必然、俺と先輩の戦いは長期化して練習時間が終わってしまう。御前試合では先輩より強い相手を俺が倒したという構図になっているが、相性などを考慮すると楽観視は出来ない。

 接待されていたとはいえ先輩と互角に近い戦いを繰り広げた男に、油断は禁物だ。


 オークを殺す時のように静かに、腰を落として右手に木刀を構える。

 帯刀した剣は騎士の義務上誰かに預ける訳にもいかず、布で鍔をきつく縛って戦いでうっかり抜けないようにしてある。あとはルールに関してだ。


「先に確認しておく。これは手合わせであって決闘ではないが、形式だけ決闘に則ったものとする。戦うのは俺とお前。褒章の類はなし。先に負けを認めるか、もしくは倒れ込んだ方の負けの一本勝負だ。見届け人はこの飲み屋の人間。物言いはなし。急所狙いもなし。お互い明日の活動に支障がない範囲でやろう」

「異議はねえ。元よりただの個人的な腕比べ……後腐れなく行こうや。副団長、合図まかせた!」

「あい分かった。では、双方名乗りを!」


 視線と視線が真正面から衝突する。


「クリフィア民兵団、団長ナギ!!」

「王立外来危険種対策騎士団、騎士ヴァルナ」


 名乗りと同時に周囲に微かなざわつきが生まれるが、雑音は戦いに必要ない。

 迸る闘志と、研ぎ澄まされた戦意。

 その根底にあるのは、どちらも勝利への渇望でなくてはならない。


「……始めッ!!」

「怨みっこなしだぜ、ヴァルナぁッ!!」

「こちらのセリフだ。俺は接待などせんぞッ!」


 極めて個人的な事情と思惑を刃に乗せ、二人の戦士が激突した。



 ◇ ◆



 生まれてこの方、兄より強い男を知らない。

 生まれてこの方、兄より賢い人間を知らない。

 生まれてこの方、兄より優しい人間を知らない。


 ナギにとってガーモンという男は、そんな男だった。


 祖父母が健在の頃からガーモンはナギとよく遊び、よく頼られる優等生だった。ナギも教えられればすぐに身に着く学習能力の高さで、地元では秀才兄弟だなどと持て囃された時期もあった。


 そんな兄との関係が拗れ、素直に向き合うことが無くなったのはいつからだろうか。

 気付けば年を追うごとにナギは悪童のように聞き訳が無くなっていき、ガーモンはどんどん偉大な男になっていく。嘗ては我が事のように喜ばしかった兄の武勲も今では鼻息と共にどこかに飛ばしてしまいたいと思う自分がいる。


 兄はナギに何も言わない。

 欲しいものがあると言えば買ってくれるし、駄々をこねたら満足するよう手伝う。

 挙句、チェスで勝てないと文句を言ったら手加減を始めた。

 いつもナギを甘やかすようで、どこか距離のあるその態度がナギには腹立たしかった。


(――部下をボコボコにされたらあの温厚な兄でも流石に怒るだろうか)


 そんな歪んだ考えを抱くほどに、重ねた年月の重みと距離はナギという男の心を曲げていた。


 口ではヴァルナという騎士に「後腐れなく」などと言ったが、ナギはヴァルナを力の限りに只管叩きのめしてやろうと考えていた。最低でも顔面に後の残る腫れの三、四個は作って見せしめのようにしてやろうと内心では画策していた。


 全てはあの嫌味なまでに優しい兄の態度を変えたいがために。

 そして、この掴み所のない騎士に一泡吹かせてやろうという意志も込めて。


 だが目の前の現実は違っていて――嫌味なまでに欠点のない兄の部下は、嫌味なまでに強かった。


「でぇやあぁぁぁッ!!」

「甘いな――『水薙』!」


 渾身の力を込めて振るった横薙ぎの一撃が綺麗に木刀にいなされ、瞬間の隙に、だんっ!! と床が揺れるほど深い踏み込みと共に反撃の剣が飛来する。胸の中心を貫くのではないかと思うほど鋭い一撃を辛うじて槍の腹で防ぐが、剣の軌道が突如として変化し、今度は懐から逃すまいと嵐のようなインファイトになる。


「くっ……だぁッ!!」

「………」


 背後に足を下げると同時に今度は足を狙った捌きを入れるが、ヴァルナは無言で床を擦るように瞬時に間合いの外に脱出し、横向きに歩きながら真っすぐこちらに剣を向けてくる。

 息一つ乱さず、無言で、静かにナギの隙を狙っている。

 その姿は激しい戦いをする兄とは対照的に、神経を容赦なく削ってくる。


(おいおい冗談じゃねえぞ……兄貴よりは弱ぇと踏んでたのに、騎士団の人間ってのはどいつもこいつもこんな化け物なのかッ!?)


 槍と剣である以上は間合いの有利があると踏んでいたが、ヴァルナには全く付け入る隙がない。


 間合いを図れば嫌らしい位置に付き、攻めて主導権を握ろうとすれば急に攻撃的に間合いを詰めて槍を振るいにくい間合いに迫ってくる。大振りの攻撃は捌かれ、手数で攻めようとすると横の動きで翻弄してくる。


 今のところは懐からなんとか弾いてきたが、一度の攻防にこれほど神経を使うのは初めての経験だ。

 堅牢な守りと徹底的にペースを崩してくる変則的な動きにナギは翻弄されていた。


 ――もしもナギがもう少し騎士団について詳しければ、ヴァルナという名前に心当たりがあったかもしれない。しかし、兄が心の大きな割合を占め過ぎているナギは、目の前の男の正体に気付けなかった。


 次第に精細さを欠き、重くなっていく体。

 対して精密なからくりのように動きを乱さないヴァルナ。

 勝負の趨勢は、堅実に、確実に、ナギを追い詰めていった。


 そして――勝敗が決する時が来る。


 激しい攻撃のさなか、ヴァルナの剣を防ぐ腕が僅かに遅れる。


「ぐぅっ、まだ……まだぁッ!!」


 強引に立て直すように槍で防ぎ、また遅れる。一撃一撃をいなす度にその遅れや型のずれは増大していき、捌き切れなくなっていく。再び体勢を立て直したいのに、立て直すための隙を一切許さないとばかりにヴァルナの攻撃は激しさを増していく。

 やがて訪れる限界と、その限界を見越した鋭い一撃。


「八の型――白鶴はくつる

「ぐおおおおッ!?」


 まるで死角から突然現れたような袈裟懸けの切り上げが、疲労に鈍った両腕ごと槍を上方にかち上げた。


 直後、ヴァルナの木刀の切っ先がナギの喉元寸前で停止する。

 頭が真っ白に染まっていく中で、脳裏に浮かぶ敗北の二文字だけが鮮明になっていく。


(負けた? 俺が、兄貴の部下に……兄貴以外のヤツに……?)


 しん、と静まり返った酒場にナギの荒い息だけが空しく響く。

 喉が上手く動かない。しかし、これ程までに明確な状況は存在しない。

 敗北――そう、これは敗北だ。

 突き付けられた木刀を前に、ナギはやっと事実を認識した。


「まだ、続けるか?」

「………ッ」


 ヴァルナの落ち着き払った声に、ナギは何も言えなかった。

 頭が真っ白になって、次に何をすればいいのか分からない。

 呆然自失で立ち竦むナギやがてその沈黙を一種の答えと解釈したのかヴァルナが木刀を引こうとしたその刹那――静観を決め込んでいた自警団のメンバーがナギを護るように一斉に訓練用の武器をヴァルナに突き付けた。


 皆が何をやっているのか、ナギは一瞬理解できなかった。

 だがヴァルナはすぐさま目を細め、棘のある声で周囲に問う。


「……何のつもりかな、各々方?」

「そこまでだ、騎士殿。それ以上は黙って見過ごせねえなぁ……この訓練は、団長が勝って終わるんだ。意味が分かるか?」

「いくら優秀で強かろうと、この人数を同時に相手できねぇ。俺達の懐に入り込んでおいて勝たせる訳ねーだろ、間抜けが!」

「調子に乗るなよ、ガキが! ここは俺達のテリトリーだぞ!? デカい顔すればどうなるか、考えりゃ分かるだろう!!」


 周囲の剣呑な雰囲気と飛び交う罵声に、やっと停止した頭脳が回転を再開する。

 先ほどは気が動転していたが、勝負は勝負。ナギは、事ここに至って今更結果にいちゃもんを付ける気などない。しかし、周囲は明らかにナギの意図とは違う方向へ向いている。

 

(こいつら、脅しで結果を捻じ曲げる気か!?)


 自警団の皆は常日頃から騎士団を悪く言う俺がとうとう本格的に事に当たろうとしていると判断し、どうあってもここでヴァルナの敗北という事実をでっちあげる気なのだ。それも人の覚悟に泥を塗るどころか数に物を言わせて脅す、人間として最悪の裏切り行為によって、だ。

 それに気づいた瞬間、ナギは烈火の如き怒りを覚えて叫んだ。


「止めろお前ら! これは――!!」

「――これは俺とナギの戦いだ。ナギの同意に後から茶々入れるってんなら、そんな無粋は俺が許さんッ!!」


 叫びが響くより僅かに早く、ヴァルナの木刀と鞘に収まった剣が眼にもとまらぬ速度で周囲の武器を弾き飛ばした。十数個にも及ぶ本物の刃を、寸分の狂いなく誰も怪我しない方向に、しかも両腕の武器をバラバラに扱って弾き飛ばす妙技――いや、絶技に、周囲の顔色が青くなる。


 一対一の誇りある戦いを穢されたことへの憤怒からか、ヴァルナの目は獣のように鋭い。

 その場の全員が、鬼神の如き強さと威圧感を目の前に指一本動かせないでいた。


「はっ……はははっ」

「だ、団長……!?」


 そんな中で、ナギは笑った。

 よりにもよって一番何を考えているか分からないと思っていたその男の怒りは、きっとナギが抱いたそれとほとんど違いのないもの。要するに、このヴァルナという騎士はどこまでも馬鹿正直でいられる人間。ナギが一番そうであるよう心掛けている「馬鹿」の類だったらしい。


「ちくしょうめ……目の前でここまで格好よくキメられたらよぉ、負けを認めるしかなくなっちまうだろうがっ! 参った、完敗だ!!」


 人生で碌に負けたことがないナギの表情は、ここ数年で一番に晴れやかだった。



 ◇ ◆



 ちなみにその頃、騎士団では……。


「ヴァルナ君がいないぃ?」

「はい。出たまま戻ってきてないらしくて……そろそろ消灯時間なのに部屋にもいないなんて何処に行ってしまったんでしょう?」


 ヴァルナの数少ない後輩であるカルメの心配そうな顔に、ロックはアルコール漬けになってなお機能する頭脳でしばし考える。

 行方知れずの彼と同室であるロック的には別にヴァルナがいなくても困らないし、いっそいない方が好き放題出来るとさえ考えている。しかし仮にも騎士団の末席を汚す人間が無断で規則を破るというのは余り宜しいことではない。

 一瞬「夜遊びか?」などと考えたロックだったが、毎日10時までには眠りについて5時に目を覚ますという年寄りみたいな生活サイクルを送っている真面目なヴァルナが任務を控えてそんな事をするとは思えなかった。


「ロック先輩、こんな時ぐらい奇跡的に役に立ってくれません?」

「もう完全に俺のことナメてるよねぇカルメ君? まぁ心当たりはないでもないか……十中八九ガーモン班長の弟さんの所に威力偵察中かな?」

「班長の弟……というか威力偵察!?それは物の例えですよね!?」


 もし威力偵察の意味がカルメの想像通りだったら非常に心配だろう。

 ……主にヴァルナに襲撃された側の首が物理的につながっているかどうかが。


「その辺は本人に聞くが吉かな。分かった、あとはオジサンが何とかするよ。知らせてくれてありがとねん♪」

「え、ええ……まぁロック先輩が何とかしてくれるんなら有難いですが……先輩の代わりに濡れ衣を着て処罰されて謹慎部屋に引っ越ししてくれたらもっと有難いですが……」

「カルメくん一人部屋だもんねぇ。オジサンが代わってあげたいくらいだよぅ♪」


 カルメの部屋は何故か女性部屋と男性部屋の境に存在するので男性的には非常にオイシイ場所と言えなくもない。ついでにカルメ的にも親しいヴァルナと同室なら有難いのだろう。多分だが。

 なお、言うまでもないが万が一女性部屋に勝手に侵入しようものならサンドバックにされた挙句訓練場のカカシに磔にされ、一日食事抜きである。強制執行なので逃れる術はあんまりない。


 ともかく、寝る前にやるべきことはやっておかなければならないだろう。

 王国最強騎士の経歴にしょうもないシミが着くと困るヒゲに恩を売るため、酔っ払いは立ち上がった。


「さぁて、そうと分かれば可愛い後輩にして我が騎士団の未来の為に、ちょっくら策を弄しますか……」

「……ロック先輩、その策を弄すというのにムカデ入りのお酒が本当に必要なんですか?」

「モチのロン! 一番五月蠅そうな記録官を黙らせるにはこれが一番キくからねぃ♪」

「あー、成程そういう……あの人の肝臓とか大丈夫ですかね?」

「肝臓より脳に効いてくれたほうがありがたいねぇ~♪ 都合の悪い記憶を全部アルコールで吹っ飛ばすぞぅ~!」


 今日もヤガラ記録官に安息の日はない。

 これから起きるのは、飲みニケーションという時代錯誤な儀式の皮を被った唯の不正行為である。酒に飲まれる方が悪いのだとばかりに繰り返される記憶喪失の悲劇は、今宵もヤガラ記録官の安酒アレルギーを想起させるのであろう。

 特定の人物以外に対しては優しいカルメは、ちょっとだけヤガラを哀れに思って内心で黙祷を捧げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る