第41話 冬の汗



 風紀室を後にし、昇降口へむかって歩いているとき、私は何度もツバサさんに「大丈夫ですか?」と声をかけた。その言葉の裏に、私を頼ってくれませんか? という願いがあるなんてツバサさんは知る由もない。

 言わなければ伝わらない。そんなことわかっているけれど、察して欲しいだなんて思ってしまう自分に苛立った。ワガママを言っている場合ではない。いろいろと察して欲しいのはツバサさんの方なのに。


「本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ。ありがとう」


 ツバサさんは明るく笑って見せるだけで、やはり何も話してはくれなかった。

 昇降口で靴を履き変えようと下駄箱に手をかけたとき「ミノリさん、あの……」と声をかけられたけれど、その続きは別の声に掻き消されてしまった。


「あ」

「あ、ノリト」


 ノリトさん。なんてタイミングで現れるの。

 背が高くがっしりとした体躯、短髪で爽やかな印象。嫌味のない整った顔にはなんの悪びれもなく笑顔が浮かんでいた。


「今帰り? 俺も帰るとこ」

「部活は?」

「今日は補習だったんだよ」

「頭悪いと苦労するね」

「違う。部活の関係で受けられなかった授業の埋め合わせだよ」

「へー」


 そっけなくも信頼し合った会話。さすが幼馴染。すっかり私は置いてきぼりで、さっきツバサさんが言いかけたのはなんだったんだろうとぼんやり考えていた。


「あ、ごめん、邪魔した?」


 今更私の存在に気づいたように謝罪しながら頭を掻くノリトさん。


「大丈夫ですよ」

「そっか……」


 なにこの沈黙。

 付き合いたてのカップルに度々訪れる、話したいことはたくさんあるのに気持ちがまとまらなくて何を話したらいいのかわからないの的な沈黙。ツバサさんは私に、ノリトさんはツバサさんに、私は二人を交互に。視線だけが声をかけようとしている。


「ノリト、何か用だった?」

「あ、いや……」


 ノリトさんは何か言いたげに口をパクパクさせつつ、ちらりと私に視線を送ってきた。あー、はいはい。私には言えないことね。前にもこんなことあったなぁ。


「私、先に帰りますね。さようなら」

「えっ、ミノリさん……!」

「悪いな、気ぃ遣わせて」

「いえ、気にしないでください。じゃあ」


 背を向けた私にツバサさんが手を伸ばした気がした。……気がしただけ。

 今更求められたって遅いんだから。




 駅までの道のり。帰るときは当たり前のようにツバサさんが隣にいた。いないときもあったけれど、冬なのに寒さを感じなかったのは彼女がいたからだと思う。

 いつかの百合カップルはまだ仲がいいのだろうか。寒さを理由に手を繋いでいた彼女たちを理解できなかった私が懐かしい。ツバサさんの手は凍てつくように冷たいけれど、手を繋ぐと不思議と温かい。どうしてか? 今の私なら解かる。

 寒いよ、ツバサさん。

 雪は降っていない。今日は遅く歩く理由はない。これ以上孤独を感じる必要もない。さっさと帰宅して布団にくるまってしまおう。

 歩調を早めた瞬間、荒い息遣いが背後から追いかけてきた。


「ミノリさん!」

「うわっ、ツバサさん?」

「歩くの早すぎるよ」

「す、すみません。まさか追いかけてくるなんて思ってなくて。早かったですね」

「少し話しただけだから」


 嬉しくて堪らなかった。息を切らしてまで私に追いついて来てくれた。それがとても嬉しくて、嬉しくて。

 この気持ちを伝えてもいいだろうか? 

 もう少し一緒にいてもいいだろうか?

 ううん、私は一緒にいたい。


「ツ、ツバサさん。よかったらどこかへ寄っていきませんか。ほら、学校以外でお話ししたことってないじゃないですか。たまにはカフェとかでゆっくり……」

「ごめんね、今日は帰るよ。汗かいたから早く着替えたい」

「あ、そうですよね、そうでしたね……。早く帰って着替えた方がいいです、風邪ひいちゃいますから」

「ごめんね、ありがとう」


 一人で盛り上がってしまった。

 たったこれだけのことでポッキリと折れてしまった私の心は、すっかり落ち込んでしまって会話をすることができなくなった。ツバサさんも話すことがないのか、しばらく沈黙が流れる。


「ミノリさんってさ、男嫌いだよね」


 突然の質問に頭が追いつかなかった。どこからその話題に繋がったの。

 ツバサさんの質問で思い出したのは、夜に出会った男の人たち、いかがわしいバイトのこと。私の中ではすっかり黒歴史みたいに思い出すと恥ずかしくて苛立つ過去になっていた。


「あのときのことですよね。一度、男の人が嫌いと言いましたが、なんていうか、そうじゃなくて…………偽る人が嫌なんです」

「偽る人」

「はい。私が以前していたこと……その相手は皆さんお金をくれました。最初はお礼だからと素直に受け取っていましたけど、お金で買われていたことに気づいて嫌になりました。嘘を、つかれていた気分です。私はそれなりに信用していた人としか会わなかったのに……。だから嘘をついたり何かを偽る人は嫌いです。裏切られた気持ちになるので」


 どの口が言っているのだろう。偽ってきたのは私も同じなのに。

 どう思っただろうか。上目にツバサさんを見上げると、彼女は嘆息し「そっか……」と呟いた。

 それ以降の会話はなかった。最後に「さようなら」と控えめに手を振っただけ。もっと話をすればよかった。強引にでもこちらから話を訊くべきだった。だってまさか夢に魘されていたツバサさんが、想像を遥かに超えるほど心に傷を負っているなんて思わないじゃない。

 後悔しても遅い。話を訊くはずだった明日はこなかったのだから。


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