翼は太陽に焼かれるより青空を奪われた方が辛い説

第40話 春の陽気に当てられて



 春休み目前。

 親しくなってからまだ三ヶ月ほどしか経っていないという事実に驚かずにはいられない。ツバサさんとはずっと前から知り合っていて、一般的な友人とは違う深い関係にあると思っている。

 というのは私が一方的に感じていることで、ツバサさんはそうでもないのかもしれない。

 ツバサさんに対してこんなに特別な感情を抱いているのは全て彼女のせい。


 彼女と出会う前の私はふらりふらりと夜の街へ赴き、快楽を追い求めて溺れかけていた。初恋の彼と過ごした夜の時間が忘れられなくて、生々しくイヤラシイその快楽をもう一度味わいたくて。惨めに汚れていくだけだとは気づかずに。

 そんな私のことをツバサさんは痴女だと言った。

 その通りだと思った。

 痴女だと罵ったばかりの私の欲望を満たしてくれるとも言った。

 それに期待した。


 ツバサさんが私に手を差し伸べ、正常な道へと導いてくれた。そして異常な性癖を芽生えさせた。女の子同士が好き合う異常な世界。私の知らない世界。お互いに異常な秘密を知った私たちは特別な関係にあると思っている。

 私の中にあるツバサさんはもうなくてはならない存在で、気になって仕方ない存在で、ずっと視界に留めておきたくて、欲を言うなら触れたくて、自分だけのものにしたくて。

 こんなにも求めているのに彼女は特別なことをしてくれない。触れてすらくれない。私はすっかりおかしくなってしまったというのに。責任、とってくれるのかな。




 女の子同士が愛し合う世界、それに理解できなかったはずの私は、いつのまにか二人の日常にラブロマンスを求めていたみたい。けれどやってくるのはミステリーばかり。消えたチョコレート事件や一瞬で黒板に現れたメッセージ、姿を隠した先生、ロマンチックラブレター。

 謎解きに味をしめたツバサさんはミステリーを追い求める妖怪にでもなってしまったようで、不思議なことがないと子供のように駄々をこねるのだ。ミステリー小説を読みあさるほどに、日々ミステリーを欲している。私はこんなにもツバサさんが欲しいのに。

 ああ、だめ。本当に私どうかしてる。


 初めて会った時はツバサさんのことを悪魔みたいな人だと思った。ポーカーフェイスで何を考えているか分からないし、唯一の感情表現が悪魔的な笑みだから怖くて怖くて。

 最近はすっかり人間らしくなったツバサさん。

 放課後、風紀室で一緒に過ごすことは日課になっていて、静謐な空間でお茶を嗜んだり読書をする。優雅で贅沢な時間。容姿端麗なツバサさんがそうしていると、おとぎの国に登場するお姫様みたいで、もう彼女に対する恐怖なんてどこにもない。


 あまり人が来ない静かな第三校舎。その三階の最奥が風紀室。

 今日は静かに本を読むお姫様だろうか。それともミステリーを追い求め駄々をこねる悪魔だろうか。

 ノックもせず、風紀室の扉に手をかけて中に入った。

 春の陽気に当てられたのか、窓から差し込む日の光を受けたツバサさんは、事務机に突っ伏して眠っていた。その傍らには一冊の本。案の定ミステリー小説だ。

 自室のように寛ぐ彼女。本当に最近はよく人間らしい姿を見せてくれる。幽霊だの悪魔だの失礼なことを思ったけれど、こうして見ると彼女はちゃんと人間だった。


「お昼寝ですか?」


 そうひとりごち、起こさぬよう静かに近づいた。華奢な印象だけれど、意外と私より広い背中。その背中がゆっくりと上下する様を見て自然と笑みが溢れる。

 けれどそれも束の間。覗き込んだツバサさんの顔には汗で髪がへばりつき、表情はとても険しかった。


「ツバサさん?」


 穏やかだった寝息は次第に荒くなり、表情も一層にキツく、歯を食いしばっている。


「い、や……だ」

「ツバサさん、大丈夫ですか!」


 苦しそうに顔を顰め、寝言を吐くツバサさん。体を揺すり呼びかけても反応がない。


「ツバサさん!」


 強く揺さぶり耳元でツバサさんの名前を叫ぶと、彼女はやっと目を開けてくれた。潤んだ瞳でこちらを見据え、艶やかな唇がゆっくりと開かれた。


「ソラ……、どうして……」


 ツバサさんは何かに縋るような目で手を伸ばしてきた。その手は私の頬に触れ、怯えたように震えつつも優しく撫でた。

 こんなに感情を表に出したツバサさんを見るのは初めて。泣きそうで壊れてしまいそうで傷ついて苦しんでいるようなツバサさん。

 私はツバサさんの手に自分の手を重ね、もう一度呼びかけた。


「ツバサさん」


 私の声に気づいたのか、ツバサさんははっと目を見開いた。ツバサさんは慌てて手を引っ込めて飛び上がった。顔にへばりついた髪を払い、手の甲で汗を拭って誤魔化すように笑っている。


「ごめんね、ミノリさん。怖い夢見ちゃったよ」

「大丈夫です……けど」


 ——ソラって誰ですか?

 きっとこの質問を今はしてはいけない。そんな気がして飲み込んだ。

 ピリッとした軽薄で危険な匂いが濡れている。憧れるほどの白い肌が今は青白い。広い背中が弱々しく震えている。魘されていたのは夢のせいだけじゃない。そんな気がした。


「ミノリさん、今日は帰ろうか。汗かいちゃって気持ち悪いし」


 そう言ってこちらに笑顔を向けるツバサさんの表情からは、もう苦痛や恐怖は窺えない。笑顔のお面をつけているみたいで、そんなツバサさんに不満を抱いた。

 私には話せないことなのかな。

 ブレザーを脱ぎ制服のシャツをつまんでぱたぱたと仰いでいるツバサさんを見ながら、苛々する感情を必死に抑えた。

 首元を伝う汗がシャツに吸い込まれていく。細いけれどしっかりとした体躯、貧相な胸元にくびれた腰。ブレザーの上からではわからない身体つき、隠れていたものが露わになり、思わず手を伸ばしたくなった。

 まだ私の知らないツバサさんがいる。体だけじゃない、どんな生活を送ってきたのか、風紀室以外ではどう過ごしているのか、身長とか体重、誕生日だって知らない。どうして辛そうな表情を浮かべるのか、ソラって人が誰なのか私は何も知らない。


「帰ろうか」

「はい」


 それなのに私は、ツバサさんに何も聞けなかった。


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