第37話 悲しい別れ



 久しぶりに手を繋いだ。ツバサさんの手は相変わらず氷のように冷たいのに私の体はどんどん熱くなる。最近こういったことはご無沙汰でずいぶんと私の気持ちは振り回された。

 繋いだ手に視線を落としてから前を行くツバサさんの顔を見上げる。私より背の高いツバサさんからは、風に乗ってピリッとした匂いがする。まるで軽薄で危険な男の人みたい。肉食動物を思わせる匂いにピクリと反応した私の体はあれやこれやと妄想を掻き立てられて興奮する。

 けれどツバサさんはもう以前のように触れてはくれない。以前は戸惑ってばかりだったけれど、今はいやらしい手つきや甘ったるぅいキスが欲しくてたまらない。


 どうにもおかしくなってしまったみたい。それもこれも全てツバサさんのせい。ツバサさんの一言が私をもう一つの世界へ引きずりこんだ。

 突然吹き抜けた強い風に思わず身を縮めた。もう一度繋いだ手に視線を落とし、ツバサさんの体温を感じたくて指を絡めようとした。その刹那、するりと離れていったツバサさんの白い指先が風に揺れる粉雪のように踊った。


「ミノリさん、あそこ見える?」


 宙を舞った白い指先はある一点を指差していた。私たちがさっきまでいた第三校舎の方角、校舎に沿って作られた小さな花壇。さきほど廊下から眺めていた花壇だ。そしてその花壇の手入れをしている人は、


「白崎先生?」

「あら、瀬戸さんと……蒼井さん。どうしたの?」


 花壇にかがみこんで花の手入れをしていたのは美術の顧問である白崎先生だった。丸い銀縁眼鏡をかけなおし、ほつれた髪を耳にかけてこちらをみつめる白崎先生は不思議そうに首を傾げている。

 上から眺めていたときに見えた花、緑の中に散りばめられた白い花は名前の知らない花だった。


「白崎先生を探しに来たんだよ。美術室に挑戦状みたいな絵を置いていったの先生でしょう?」

「あら、そうだったの。よくわかったわね。蒼井さんが気づいてくれたの?」

「はい。簡単でしたよ」


 鼻を高々に微笑むツバサさん。


「そう、凄いじゃない。じゃあ、美術部のみんなはわからなかったのね。ふふ、仕返し成功ね」

「先生、拗ねてたの?」

「もしかしてみんなに話聞いたの? 拗ねてないわよ。ただみんながトリックを教えてくれないから悔しくて先生からもなぞなぞをだしたのよ」


 白崎先生は嬉しそうにクスクスと笑い「さてと」と呟いた。


「じゃあ戻りましょうか。部員のみんなは待ってるのかしら?」

「はい。いろんなところを探していたみたいですけど、美術部に集まるように伝えておきました」

「ありがとう。……あら? 瀬戸さん、どうかしたの?」


 二人が会話している間、私はぼうっと白い花を眺めていた。白い星のような花と、ネギのようなニラのような細長い葉っぱ。


「その花、ハナニラっていうのよ。名前の通りニラの匂いがするの。食べれないんだけどね。これでもユリ科の花なのよ」

「そ、そうなんですか。私、この花見たことなくて……」

「見とれちゃうわよね。星みたいに可愛い見た目だけれど、儚げなところが先生は好きなのよ」


 儚げ。この花を見ているとどうしてかツバサさんを思い浮かべてしまう。なぜだろう。黙っていれば儚げな可憐さのあるツバサさんだけれど、口を開けば儚さなんてどこかへ飛んでいってしまう。可愛らしいハナニラとは似て非なるもの。……言い過ぎかな。


「へえ。どの辺が儚げなの?」

「あら、蒼井さんも興味あるの? そうねぇ、この花は丈夫で手入れに手間がかからない強い子なんだけれど、儚いのは花言葉にあるのよ」

「その花言葉ってなんですか?」

「ふふ、調べてみるといいわ。さあ、戻りましょう。二人も美術室行くでしょう? 巻き込んじゃったお詫びにいいものあげる」


 そう言って白崎先生は一人で先に行ってしまった。

 ツバサさんと私は顔を見合わせ「行きましょうか」と私が言うと、ツバサさんは苦笑して首を横に振った。


「僕、用事があるから」

「じゃあ私も帰っ……」

「ミノリさんは白崎先生からいいもの貰ってきて。あと金森さんによろしく伝えといてね。じゃあまた明日ね」


 一方的に告げるだけ告げて校門へむかって行ってしまった。ぽつんと取り残された私は花壇を一瞥し、先生の遠ざかる背中を追いかけた。

 白崎先生に追いつくと、ツバサさんの姿がないことに気づいた先生は「瀬戸さんは蒼井さんと仲がいいの?」と訊いてきた。なぜ確認するように訊くのだろうと不思議に思ったけれどすぐに肯定した。


「そう。……これからも傍にいてあげてね」


 白崎先生の丸眼鏡が傾いた陽の光を反射していて表情は窺えない。「わざわざどうしてそんなことを言うのですか」と尋ねようとして口を噤んだ。先の発言を誤魔化すかのようにほつれ髪を耳にかけ、くるりと振り返った先生は私の言葉を遮って「もうこんな時間。急ぐわよ、瀬戸さん」と興奮気味に言うので聞きそびれてしまった。

 美術室に着くまでに白崎先生と会話をしながらさりげなくスマホで調べたのだけれど、ハナニラの花言葉は『悲しい別れ』だった。


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