第36話 謎は謎をつれてくる



 ツバサさんは手の中で文庫本をくるりと回して言った。


「このミステリー小説に同じようなのが載ってたから」

「プライド高いんじゃなかったんですか? ツバサさんずるいです」

「ずるくないよ。自分で本を読んで自分で得た知識だもん」


 その本を読まなかったらツバサさんにも解けない謎だったのでは。私と同じじゃないか、と思うと悔しくて堪らなくなった。

 ツバサさんの言う通り、自分で得た知識なのだから何もずるいことはないのに、上から目線で自慢げに種明かしをする様子に苛立ちを覚える。


「ミノリさん、覚えておくといいよ。知識や情報っていうのは自分のためになる。武器にも盾にもなる、何をするにも有利になるんだよ。僕とミノリさんが初めて会ったときのこと思い出して。僕は自分で情報を集めてちゃーんと目的を果たしていたでしょう? 知っていることが多ければ多いほど、できることも増えるんだよ」

「わかってますよ、それくらい誰だってわかることです。急にお説教じみたこと言ってどうしたんですか?」

「…………なんでもないよ。それより、もう不思議なことはないかな」


 真剣な顔で一方的に意味深なことを言っておいて話を逸らす。なんなの。ミステリーを求める悪魔にでも取り憑かれたのか、この人。

 呆れて思わず溜め息が出る。


「そんなに不思議なことが転がってるわけないじゃないですか」

「そっか。それもそうだよね。じゃあこれ返してこよっか。ついでに帰ろう」


 ツバサさんはくるくるに巻いた黒板の絵を手に持った。カバンにも手をかけて本をしまい始めたので、私も慌てて帰り支度をした。荷物をしまい、マフラーをぐるぐる巻いて防寒対策は万全。

 とくに会話もなく、廊下に出て風紀室の鍵を閉めると、まずは二人で美術室へむかった。




 先を行くツバサさんからは時々ピリッとした匂いが漂ってくる。その度に私は夜の街を思い出す。行かなくなってから二ヶ月経くらい。たったそれだけの期間離れていただけなのに、ツバサさんの匂いを嗅ぐと心臓がぎゅうぎゅうに締め付けられ、お腹の下辺りが疼き出す。きっとこれは禁断症状。

 愚かで浅はかなことをしていたと思う。夜の街に繰り出し、快楽を求めて男の人を取っ替え引っ替え。痴女だと言ったのは誰だっけ。ああ、ツバサさんだ。本当にその通りだ。けれどあの頃はそれで欲しいものが手に入ると思っていた。生々しくてイヤラシイ幸せな時間があると信じていた。…………バカだなぁ。


 三階から一階へ。階段を一段、また一段、と下りるたびにツバサさんの長い髪が静かに舞う。ピリッとした匂いが漂う。軽薄で危険な匂いが男性的で魅惑する。

 快楽が欲しいよ。

 ツバサさん、あげるって言ったじゃない。欲望を満たしてあげるって。足りない、足りないんだよう。キスだけじゃ、手を繋ぐだけじゃ。最近は触れることすらないじゃない。どんどん離れていくのはどうして? 好きって言ったのは嘘だったの? その凍てつくような冷たい手で私の手を握ってよ。

 ツバサさんに触れようと手を伸ばし、はたと思い止めた。


 なんだこれ。これじゃあまるで私からツバサさんを求めているみたいじゃない。愛がないと得られないはずの快感、それをツバサさんに求めてるって……。

 女の子のツバサさんに何を求めているのだろう。どうして期待してしまっていたのだろう。

 きっと全部ツバサさんのせいだ。ツバサさんがその気もないくせに好きだなんていうから。そんなこと言われたら気になるに決まってる。今まで触れてくれたのに、それがなくなったら不安になるに決まったる。そうして私をまんまとハメたんだ。

 なんてずるい人。

 ふてくされた表情を隠すように首に巻いたマフラーに顔を埋めた。




 階段を一階まで下り、今日も何も起きることなくこのまま帰宅するのか、と考えながら歩いていたところ、昇降口から駆け寄ってくる人影と行き当たった。


「ツバサくん!」


 金森さんだ。


「金森さん、さっきはありがとう。見事にミノリさんの驚いた顔が見れたよ」

「ちょ、ツバサさん……恥ずかしいこと言わないでください」

「ツバサくんの力になれてよかったわ。あの、それで、……ごめんなさい。今度は私を助けてほしいの」


 金森さんの表情はいつになく弱々しく余裕のない焦りの表情だ。


「美術室に来てほしいの。部活でのことなんだけど少し厄介なことになってしまって……ここで説明するよりも部室へ行った方が話しやすいわ」

「わかったよ。僕に任せて」

「ありがとう、ツバサくん。瀬戸さん、あなたも来なさいよ」

「え、私もですか?」

「先月の……バレンタインのとき、あなたが私を突き止めたんでしょう? もしかしたら役に立つかもしれないじゃない」


 謎を突き止めた私が役に立つ? 何かの事件だろうか。

 ちらりとツバサさんを見ると、穏やかな微笑の向こうに期待に疼く喜びが窺えた。ああ、きっと待ちに待ったミステリーの謎解きをしたくてうずうずしているんだなぁ。

 早く、と急かす金森さんについて廊下を小走りに移動した。ツバサさんは返すつもりだった黒板の絵のことなんてすっかり忘れて手に持ったまま、金森さんの後ろをスキップでもしそうなほど軽々しくついていく。


 つくづく思うのだけれど、ツバサさんは以前より明るくなった。はじめの頃はポーカーフェイスで、唯一の感情を表す表情が悪魔的な笑顔だけ。変わってきたことに私が影響しているのなら、どれだけ嬉しいだろう。けれどこうして他の人にまで見せてしまうのは嫌な気分。

 なんだか私って嫌な人間になってしまったみたい。




 あれこれ考えていると美術室に着いた。金森さんがドアを開け、私とツバサさんは中を覗き込む。


「えっ……」


 思わず声が漏れてしまった。

 まず視界に飛び込んできたのは大きなイーゼルに立てかけられたキャンパス。そしてその一面に描かれた白い花たち。


『先生をみつけてご覧なさい』


 華やかな絵の中央にはそう記されていた。


「どういうことなの」

「先生、拗ねちゃったの」

「…………」


 私とツバサさんは顔を見合わせて首を傾げた。金森さんは大きく溜め息を吐き、初めから説明してくれた。

 聞くと、先日の先生の誕生日会で見せたあの黒板のサプライズ、あの種明かしをしなかったら先生が拗ねて対抗してきたのだとか。

 ミステリーにはミステリーを、か。


「かくれんぼかな」

「みたいですね」

「ちょっと、他人事じゃないのよ。これ見なさいよ」


 金森さんがキャンパスの下の方を指さした。そこには小さな文字で『追伸、みつかるまで先生はここから動きません』と。


「美術室を隈無く探したのにみつからないの。責任も感じるし早くみつけないと。みつけるまで動かないって書いてあるし、このまま先生をみつけられなかったら……」

「他の美術部員は?」

「校内を探し回っているわ」

「じゃあ美術室に戻るように伝えてくれる?」

「どうして?」

「ツバサさん、もしかして……?」

「うん、先生をつれてきてあげるよ」

「本当?」

「うん。だから美術室で待ってて。ミノリさん、行こうか」


 ツバサさんはさりげなく私の手を引いて廊下に出た。引かれるままについて行こうとすると、背後から焦りの声音が追いかけてきた。


「待って、ツバサくん。私も行くわ」

「他の美術部員が戻ってきたら引き止めておいて。その役割があるから来ちゃダメ」

「……わかったわ」


 金森さんは渋々了承し、肩を落として美術室へ引き返して行った。その寂しげな背中を一瞥し、ツバサさんと一緒に校舎を出た。


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