第30話 思い出不足



 第三校舎は相変わらず人の気配がない。ツバサさんを付け回していた(なんて言ったら失礼だけれど)金森さんは、あれ以来ここへは来なくなった。疎かにしていた部活動に勤しんでいるらしい。

 雪のせいだろうか。足音も、吐息も、コートやマフラーが擦れる音もすぐに吸収されて消えていく。

 中に着込んだカーディガンの袖から出た指先が、温もりを求めてツバサさんの手元に伸びた。けれど何も掴むことなく腕を下ろした。また拒絶されたら今度こそ心が粉砕してしまいそう。

 昇降口で靴を履き替えながらツバサさんに視線を送る。

 ツバサさん、どうしちゃったんですか?

 そう聞こうとした瞬間、私の声は別の声に遮られてしまった。 


 「ツバサ!」


 初めて聞く男子の声。

 声がした方へ視線を移すと、私の知らない男子生徒が立っていた。背は高くがっしりとした体躯、短髪で爽やかな印象。夏の日焼けが残る肌はキメが細かくて顔も整っている。思春期の出来物さえもなく清潔感のあるスポーツマンといった感じの人。


「ノリト」


 ツバサさんは彼をノリトと呼んだ。下の名前で呼び合う二人はどんな関係なんだろう。

 彼はツバサさんの後ろにいた私に気づくと、キリリとした眉尻を垂らして申し訳なさそうに頭をかいた。


「ごめん、邪魔した?」

「大丈夫。この子は瀬戸ミノリさん。僕の友達ね。ミノリさん、こっちは幼馴染の松岡徳人。小さい頃にノリトって間違えて名前覚えてそれっきりずっとノリトって呼んでる」

「瀬戸さんもノリトって呼んでいいからね、よろしく」

「よ、よろしくお願いします」

「それで、ノリトは何か用だった?」

「あ、いや……」


 ノリトさんは何か言いたげに口をパクパクさせつつ、ちらりと私に視線を送ってきた。

 ああ、なるほど。


「ツバサさん、私先に行ってます。ゆっくり歩いてますから」

「うん、わかったよ。間に合うようだったら追いかけるね」

「なんか、ごめんな」

「気にしないでください」


 二人で話したそうにしていたので先に帰ることにした。

 幼馴染とは言っていたけれどずいぶん親しそうな二人。ああして男子と並ぶとツバサさんの美しさはより際立って、女の私と並ぶより魅力的だった。

 男女の幼馴染が惹かれ合わないなんてことあるのかな。

 二人きりで何を話すのかな。


 金森さんもそうだけれど、ノリトさんも私の知らないツバサさんを知っている。そう思うと決まって私の心臓はぎゅうぎゅうと締め付けられた。

 分厚い雲が覆っているせいかいつもより暗い帰り道。悲観的になるのはきっと、しんしんと降り続ける雪が私を孤独にするからだ。

 積もった雪に足をとられないよう、寒さに堪えながらゆっくり歩いていたけれど、ツバサさんが追いかけてくることはなかった。


    * * *


 翌日、ツバサさんに呼び出された。場所は風紀室ではなく保健室。体調でも悪いのか、はたまた怪我でもしてしまったのかと大急ぎで駆けつけたのに、その心配は杞憂に終わった。


「ミノリさん、早かったね」

「な、何事……」


 保健室にいたのはツバサさんだけではなく、保健室の先生とノリトさんだった。三人は一台のベッドを囲うように座っている。


「あ、えーと、頭大丈夫?」


 と、先生。バレンタインデーのときに保健室で頭をぶつけたところを見られていたのだけれど、そのときのことを言ってるのかな。だとしても言い方が失礼だ。


「だ、大丈夫です。ちょ、ちょっと、ツバサさん笑わないでください。肩が震えてるのバレバレです」

「ごめんごめん。でも、頭大丈夫って……ふふっ」

「ツバサ、失礼だぞ。瀬戸さんごめんね。こいつ昔からこういうとこあって」

「あ、えと……慣れてきたので大丈夫ですよ。それより、ノリトさんと先生まで集まって何事ですか?」

「俺関係ないから抜けたいんだけど」

「生徒が困ってるんだからそんなこと言わないでよ」

「瀬戸さん、ここ座りなよ」


 ノリトさんとツバサさんの間に椅子が一つ。ノリトさんへ頭を下げつつ、そこへ座らせてもらった。


「あ、ミノリでいいですよ。私、ノリトさんって呼んじゃってますし」

「じゃあ遠慮なく」

「遠慮してよ」


 隣からぼそっとツバサさんの呟きが聞こえた。


「ツバサ、何か言った?」

「ノリトのためにみんな集まってるんだから、口じゃなくて頭働かせてよって言ったの」

「絶対違うだろ、それ」

「俺、必要? お前たちだけでやってよ。保健室使ってていいからさぁ」


 ベッドに突っ伏して項垂れる先生。保健室の先生ってこんな人だっけ。先生からは大人の匂いがした。タバコとコーヒーの苦い香り。


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