第26話 餌付けには甘いもの



「つ、ツバサさん、いたぁ!」


 風紀室のドアを開けるとツバサさんがいつものように事務机を陣取っていた。私の声で振り向いた彼女の表情もまたいつもと同じ。そんな彼女の目の前には山のように積まれた色とりどりの化粧箱。バレンタインデーのチョコレートは大収穫だったみたい。

 さすがツバサさん。圧倒的に本命チョコが多いんだろうなぁ。


「そんなに叫んでどうしたの。僕はいつもここにいるじゃない」

「だって今日ずっとメッセージの返事こなかったですし、ツバサさんのクラスを何度も見に行ってもいなかったですし……」

「ふぅーん。ずっと僕を探しててくれたんだ」


 ツバサさんが悪魔的な笑みを浮かべた。面白いおもちゃを見つけた悪戯っ子のような目で私を見据えている。こういうときは大概からかわれる。


「そ、そうですよ! 連絡とれなくて探しても見つからないので、もしかしたら病欠なのかとか、ツバサさんが噂の幽霊で実在しない人だったらどうしようなんて考えちゃいましたよ」


 ふっとツバサさんの顔から笑みが消えた。目線は合わせたまま、一歩、また一歩、と近づいてくる。その度に気圧されて一歩、また一歩、と後退り追い詰められていく。ついには背中が巨大な書棚に当たり退路を失った。それでもツバサさんはどんどん近づいて目の前までやってきた。これ以上逃げられない。


「それ、本当だったらどうする?」

「え?」


 右にも左にも逃げられないよう、ツバサさんの両腕が阻んでいた。書棚についた彼女の両手に力が入ったのか、微かに軋む音がした。


「僕が風紀室に棲む幽霊だったら——」

「そ、そんなこと、あるわけないじゃないですか……。だってツバサさんは今目の前に……」


 ちゃんと存在している。ツバサさんの静かな吐息が顔にかかっている。声がしっかり耳に届いている。行く手を阻む彼女の両腕にも、ほら、こうして触れることができる。

 でも改めて思うと奇妙な点は多くて。こんなに際立って綺麗なツバサさんのことを、あの夜に出会うまで知らなかったこと。探しても校内で見かけなかったこと。幽霊が出るという噂の風紀室に入り浸っているということ。

 急に不安になり、ツバサさんの腕を掴んだ手に力が入った。すると自信に満ちていたツバサさんの目が泳ぎだし、突然おろおろし始めた。


「そ、その……もう少しからかってあげたいところなんだけど、カバンから覗いてる箱、何、かな……?」

「え? あ、それは……」


 会ったらすぐに渡そうと思っていたチョコケーキ。ツバサさんは、机上に置いたカバンから覗く化粧箱にちらちらと視線を送っていた。


「バレンタインの……」

「チョコ? 誰に貰ったの?」


 ツバサさん、顔怖い。


「いえ、ツバサさんに……」

「ミノリさんが? 僕に?」


 こくんと頷くとツバサさんの表情がぱあっと晴れた。


「本当に?」

「はい、あの……」


 ツバサさんの腕をくぐってカバンの元へ行き、チョコレートケーキが入った化粧箱を取り出して差し出した。


「どうぞ」

「あ、ありがとう」


 含羞の笑みを浮かべるツバサさん。

 ツバサさんもこんな顔するんだ。

 無垢な表情が珍しく惚けていると、嬉々として目を輝かせるツバサさんが顔を覗き込んできた。 


「これ何チョコ? 何チョコ?」

「と、……友チョコです」

「…………」


 じっとりとした目でこちらを見据えるツバサさん。


「な、なんですか? 手作りですよ?」

「なんでもなーい」


 また機嫌を損ねてしまっただろうか。チョコレートケーキを持ったまま事務机の方へと離れていったツバサさんは椅子にストンと腰を下ろし、山のように積まれたチョコレートを掻き分けて机に突っ伏してしまった。


「ツバサさん?」


 返事はない。

 でも仕方ないじゃない。まだ女の子同士の世界を受け入れられていないのに、本命チョコだなんて無責任なこと言えないよ。

 何度呼びかけても返事はなく、もそもそと上体を起こしたけれど項垂れたまま。沈黙が続くのも耐え難いので「そのチョコケーキ、いろいろあって大変だったんですよ」と、独り言のように今日あったことを話し始めた。

 教室から十三個の手作りチョコが盗まれたこと。私のチョコレートケーキもそのうちの一つだったこと。いつどうやって持ち出されたかとか、どこに隠してあっただとか、犯人が金森梓さんでなぜか憎まれていたとか。少々愚痴っぽく零してしまった。

 一通り話し終えたがツバサさんは相変わらず凹んでいるよう。


「ツバサさん、私の話聞いてました? もう、機嫌直してくださいよう」

「ふむ」

「ふむ?」

「ん~」

「…………ツバサさん?」


 口に何かを含んでいるような篭った声。よく見るとツバサさん、もぞもぞと動いている。


「な、何してるんですか?」


 近づいておそるおそる覗き込むと、チョコレートケーキを小さな口でもぐもぐとハムスターみたいに咀嚼しているところだった。


「落ち込んでないじゃないですか」

「落ち込んだよ。これ友チョコでしょう? 本命がよかったのに。だから落ち込んだフリしてミノリさんの良心を痛めつけようと思って。でも箱開けたらいい匂いするから我慢できなくて」


 我慢できなくなるほどだなんて。嬉しくて顔が緩みそうだったけれど、悔しいのでなんてことない風を装った。


「美味しかった! ミノリさん、ありがとう!」

「ど、どういたしまして。……さっきの話聞いてました? 本当に大変だったんですから」

「聞いてたよ。チョコがなくなって大変だったって話でしょう? 話に出てた金森梓って子ね、どうしてミノリさんを憎んでるかわかっちゃった。それ、僕のせいなんだよね」

「え、それってどういうことですか」


 チョコケーキを完食し、手を合わせて律儀に「ごちそうさまです」と呟いた後、おもむろに立ち上がると風紀室の出入り口まで歩いていった。


「ツバサさん? 帰るんですか? そんな、話の途中で……」


 金森さんが私を憎む理由って何? ツバサさんのせいって……?

 ツバサさんは振り返ることなくドアに手をかけて勢いよく開けた。そして廊下にむかって声を張り上げた。


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