第18話 ネオン街に消えた光の粒



 駅にむかって歩いていると、ホテル街を抜けて飲み屋が並ぶ賑やかな通りに出た。ここもまたネオンが煌めく夜の街だけれど、私たちを隠すかのように多くの人が行き来している。ネオンの光を受けて煌びやかな色を映すツバサさんの白い肌、そこに血が滲んでいるのに気づいて慌てて引き止めた。


「ツバサさん、やっぱり病院行かないとダメです。血が出てますよ」

「これくらい平気」

「でも……」

「平気ったら平気なの。僕の気持ちも察してほしいな」


 同性を好きになっちゃうようなツバサさんの気持ちなんてどう察しろっていうの。

 引かれる手に視線を落とした。今はどんな気持ちで、どんな表情を浮かべているのだろう。こっそりと顔を覗き込もうとしたとき、それを遮るかのようにツバサさんが口を開いた。


「ミノリさんってさ、夜出歩くようになったのはどうして?」


 ツバサさんはまっすぐ前を見たままで、長い髪が影を落として表情が窺えない。恥ずかしくて言いたくないことだけれど、夜の街の喧騒がツバサさんだけに言葉を届けてくれる気がして全てを話した。話している間ツバサさんは無言で相槌すらなくて不安になった。こんな私のことをどう思っただろうか。初恋の人と過ごした夜の快楽と同じものを求めて夜の街に繰り出したなんて。いくらなんでも嫌われたかな。

 一通り話し終わると、ツバサさんは呆れたように大きな溜め息を吐いた。


「そんな理由だったんだ」

「ご、ごめんなさい」

「嫌だからね、ああいうの。自分の価値を自ら下げるなんて愚かなことはしないこと」

「もうしません」

「初体験が気持ちよかったからもう一度気持ちよくなりたくて手当たり次第取っ替え引っ替えでしたって、痴女じゃん」

「ちっ……ちっ……」

「だってそうでしょう?」

「…………はい」


 ツバサさんが再び大きな溜め息を吐く。相変わらず表情が窺えないせいで、ツバサさんの吐いた溜め息がひどく咎めているようで胸が苦しくなる。


「ねえ、どうして欲しいものを得られなかったかわかる?」


 そんなこと、考えたこともなかった。探し続けていたらいつかは必ず手に入るものだと思っていたから。


「愛がないからだよ」

「愛……」

「そう。好きでもない人としても欲しいものなんて得られないんだよ。身体は正直だね」

「うう……」


 どうしてそんなにも恥ずかしい台詞を平然と言えてしまうのだろう。愛だとか、痴女だとか。まるで全てを知った大人みたいな物言い。同い年の彼女は切れ長のその目で何を見たのだろう。

 ツバサさんが見ているものを見てみたい、ツバサさんのいる世界に行ってみたい。ほんの少しだけそう思った瞬間、ツバサさんの笑顔がこちらを向いていた。


「そんなに欲しいなら僕があげるよ。ミノリさんの欲望を満たしてあげる。だからもう夜の街なんて行かないこと。僕の言うことだけ聞いていればいいの。わかった?」


 そう言って悪魔的に笑う彼女はいつものツバサさんだ。その余裕のある様が狡くて悔しくて、つい反抗したくなる。


「私、まだツバサさんの気持ちに応えるなんて言ってませんよ?」

「ミノリさん、言うようになったね。怯えてる様子見てて面白かったのに残念」

「……ひどいです」


 夜の街のせいか私はいつもよりお喋りで、ツバサさんはいつもより感情が顔を出している。それがなんだかおかしくて、どちらからともなくぷっと吹き出して笑ってしまった。


「とにかく、もう夜に出歩くのは禁止だから。約束」

「はい、わかりました」


 ツバサさんに抱いていた恐怖は小さくなっていた。怖かったのは彼女のことを何も知らなかったから。こうしてたくさん話をして、いろんな表情を見て、ツバサさんのことを知っていけば、彼女の気持ちに応えられる日がくるはず。


「ツバサさん」

「なあに?」

「私、女の子同士とかそういうのわからないです。でもツバサさんの気持ちにはちゃんと答えたくて。だから、もう少し考える時間ください」

「そう? じゃあ待っててあげる」


 案外あっさりと了承を得られたことに驚いた。もっと強引に返事を求められていると思ったから。


「でも答えはイエスしか受け取らないよ」


 えぇー……。

 やっぱり強引だった。

 引かれていた手はいつのまにか指が絡まり合い、横に並んで歩いていた。すれ違う街の人たちの目には、私たちの姿はどう映っているのだろう。

 地下鉄に乗って移動している間も絡めた指はそのまま。

 先に私が電車を降りた。手を離す瞬間はとても名残惜しく、最後の最後まで触れていたいかのように手を伸ばし合った。


「ミノリさん、また明日」

「はい。おやすみなさい」


 電車を降りてきた人たちに邪魔だと言わんばかりの怪訝な視線を向けられつつも、ツバサさんを乗せた地下鉄が見えなくなるまで見送った。

 地下鉄が遠ざかり、強い風が私の髪を巻き上げたとき、自分の髪からツバサさんの匂いがした。




 帰宅してスマホを開いた。いつものSNSを覗いてみたけれど、すでに高見さんのアカウントは消えていた。『友達を大事に』と言った高見さんの言葉がいつまでも胸の中に残っている。

 スマホの画面にそっと触れ、夜の私のアカウントを消した。こうして夜の私は、あの怪しく煌めくネオン街に消えていった高見さんのように光の粒となっていなくなった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます