第9話 悪魔の背には青い翼が




 密告は成功した。報告した内容はあっさりと受け入れられたのでなんだか拍子抜け。校長先生は前々から化学の先生の素行の悪さに気づいていたそう。私が証言したことについても「やっぱりですか」といった反応で、すぐに対処してくれるとのこと。

 もちろんこのことが校内に知れ渡ることのないよう、女子生徒への配慮も怠らないと誓ってくれた。風紀委員の存続についても前向きに検討してくれるのだとか。

 そして私が夜のバイトをしていたことは報告されなかった。


 一仕事終えたと思うとどっと疲れが押し寄せてきた。夜のいかがわしいバイトがバレて、悪魔みたいな彼女に振り回されて、たくさんのもやもやが生まれて。

 けれど学校でこんなに誰かと会話したのは久しぶりかもしれない。誰かと何かを成し遂げたことなんて、初めてかもしれない。友達がいたら、こんな感じなのかな。

 ちらりと彼女を盗み見ると、満足げな表情を浮かべている。私はずっともやもやと闘っているというのに、自分だけスッキリしちゃってズルい人。結局、風紀室での出来事はなんだったのだろう。もはや夢だったのではないかとさえ思えてきた。

 あれ以降、彼女は何もなかったかのように振る舞うので、私一人で悩んでいるのが恥ずかしいようで悔しいようで。

 利用するだけ利用して、挙句の果てには私の気持ちさえ弄んで、焦らして突き落として楽しんでいただけなのかな。残念そうな、寂しそうなあの表情は演技だったのかな。




 昇降口に着いた。

 さっさと帰ろう。私に好意があるのかも、なんて少しでも期待したら傷つくのは自分だ。禁忌を犯した私を突き出さなかったとはいえ、利用されたことには変わりない。

 下駄箱で上履きとローファーを入れ替えていると、彼女もすぐ横で同じことをしていた。下駄箱の位置から隣のクラスだということがわかった。彼女はちゃんと実在する生徒だった。同じ学年だったなんて気づかなかった。しかも隣のクラス。こんなに綺麗な人が隣のクラスにいたら知っていてもおかしくないんだけれど。

 でも、それはもうどうでもいいこと。頼まれたことはやり遂げたのだから、今後は彼女と関わることはないだろう。


「じゃあ私帰るので……。風紀委員頑張ってくださいね、さようなら」


 彼女に背を向けて歩きだそうとしたところ、すぐに「待って」と呼び止められた。


「もしかしてこれで最後だと思った? 残念。瀬戸ミノリさんは今後もずっと風紀委員の手伝いをするの」

「……え?」


 彼女はあの写真をひらひらと見せびらかし、悪魔的に笑った。


「あ……」


 今後もずっと——この言葉で私のお花畑な脳みそは勝手に甘い解釈をした。君は今後もずっと弱みを握られたまま私の言いなりでいるの。そう言われたはずなのに、今後もずっと傍にいていいんだと。私の学校生活に彼女の存在があり続けるという、甘い解釈。


「異論は認めないからね、瀬戸ミノリさん」

「あ、はい。わかりました。……でも、あの……名前、聞いてもいいですか?」

「えー、一応同じ学年なんだけど知らなかったんだ」


 残念そうに目を伏せた彼女の姿に罪悪感が心にチクリと突き刺さった。「ごめんなさい」と言う前に彼女が先に口を開いた。


「蒼井ツバサ」


 ああ、やっぱり。

 綺麗な名前。見た目の美しさに合う素敵な名前。

 名前を教えてくれたことで、穢れた夜の私さえも受け入れてくれたような気がした。

 独りぼっちを感じても泣くことはなかったのに、今はとても目頭が熱い。喉の奥がカラカラに乾いて、鼻がむずむずして、気を抜けば栓が抜けてあっという間に全て流れ出てしまいそう。

 私の顔を見て何がおかしいのか彼女はふっと笑った。相変わらず悪魔的だけれど今はその笑顔が嫌じゃない。


 彼女——蒼井ツバサさんは私に好意があるから傍にいてほしい。その好意が愛情であるなら私はその気持ちに応えることはできない。でも独りぼっちが嫌な私は、彼女に弱みを握られていることを理由に傍にいる。なんてズルい人間なんだろう。あれだけ利用していた自分に嫌悪感を抱いていたというのに、性懲りもなくまた利用しようとしている。

 彼女も私を利用したのだからおあいこか。なんて、自分のことを正当化した。

 蒼井ツバサさんよりよっぽど私の方が悪魔だった。


「瀬戸ミノリさん駅まで行くでしょ? 僕も駅まで行くから一緒に帰ろうよ」

「はい、いいです、よ……ん? 今、僕って……」

「言ったけど、何かおかしい?」

「…………いえ」


 なんと彼女の一人称は見た目に似つかわしい僕だった。

 ともあれ、私の学校生活は独りぼっちではなくなり、風紀委員である彼女の補佐として一緒に過ごす時間が増えていった。

 時間を共有するうち、私たちに訪れたのは夢のようなラブロマンスなんかではなく奇妙な出来事だった。様々なミステリーが日常に刺激を与える中、最後に待ち受けていた最大のミステリーに大いに悩まされるとは、このときの私は知る由もなかった。




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