第8話 物好きなサキュバス




 会話は必要最低限。石油ストーブの上に置かれたヤカンがカタカタと音を立てたり、木枯らしが窓を打つ音以外は聞こえない。無機質な部屋に利用する者と利用される者が二人きり。なんて居心地が悪いのだろう。

 気不味さを誤魔化すように目の前にあったお菓子を掴んで口に放り込んだ。


「お腹すいてたの?」


 無心でお菓子を次々と口に運んでいたみたい。居心地の悪い空気に堪えきれなかったとはいえ、お菓子をバクバクと食べるはしたない姿を見られて恥ずかしく、顔が熱くなってきた。含み笑いをしつつも咀嚼が止まない彼女の口元。


「……あなたも、じゃないですか」

「食べるの好きだから」


 それきり会話は途切れ、また無言の時間が続いた。聞こえるのはヤカンがカタカタ揺れる音、木枯らしが窓を打つ音、お菓子の袋を開ける音、居心地の悪さに身を捩る音。

 お互いに何かを競うかのように次から次へとお菓子を口に放り込んだ。ポテトチップスを食べて、食べて、食べて。次はチョコレートを舐めて、舐めて、舐めて。おせんべいを齧って、齧って、齧って。一つだけのマカロンを取り合って。

 そんな中、先に無言の争いを終わらせたのは彼女だった。


「ねぇ、瀬戸ミノリさん。化学準備室であれ見たとき、どんな気持ちだった?」

「えっ……あのっ、どうして……そんなこと」


 意表を突かれた。普通聞かないよ、そんなこと。

 あまりのデリカシーの無さに驚きを隠せない。そんな私の表情を見ても彼女は構わず身を乗り出し、煽るように「聞かせてよ」と催促した。

 じっとこちらを見据える彼女。何を思ってそんなことを聞くのだろう。先生をこらしめるための証人とか言いつつ、やっぱり私の反応を見てからかってるの? いかがわしいことを自覚させて咎めるつもり? 利用した後は用済みってこと? なんてタチが悪いのだろう。

 どうしよう、胃に落としたお菓子が甘ったるぅくなって食道をよじのぼろうとしている。


「どんな気持ちになったの?」


 何を言わせたいのだろう。

 彼女の顔がついに目の前まで近づいてきて、あのピリッとした匂いが夜を思い出させる。


「わ、私、苦手です……ああいうの。他の人のなんて、見たことないですし」

「瀬戸ミノリさんも同じことしてたでしょう? やることやって、お金もらって? ああ、買われただけだったのかな」

「ち、違います! 私は、あの子とは違う……替えがきく商品じゃない、はずです。でも……」

「でも?」

「男の人の気持ちが、わからなくなりました。いつも優しいけど……今日見た先生のようなのが本心なのかな、と」


 この人はなんて酷いことを言わせるのだろう。まるで誘導尋問のようだ。言いたくないことを言わせて、考えたくないことを考えさせる。胃の中に溜まっている甘ったるぅいお菓子がどんどん這い上がってくる。

 私はただ快楽が欲しかった。十五歳のとき、初めての夜に感じた熱を、刺激を。火照った身体と痺れる脊髄の先にある快楽を。

 お金はそのついで。相手が気持ちと言って渡すから受け取っただけ。私は商品じゃない……利用されてなんか、ない————違う。利用していたのは私も同じだ。快楽を得る為に男の人を利用していた。


「男が嫌になった?」


 嫌いじゃない。ただ信じられないだけ。でも相手も同じ気持ちだったかもしれない。私のことが信用できないからお金で買って割り切っていたのかも。

 私も同じだ。目の前にいる悪魔のような彼女と。お金で女の子を買う人と。自分のために他人を利用していた。私は、私が憤りの感情を抱いた人と同じ人間だったんだ。


「…………そうですね。嫌いです」


 自分は悪くない。お金で買われた可哀想な被害者で、決して利用した加害者ではない。悪いのは全部男の人。

 自分を肯定するため、守るため、同情してほしいために嘘をついてしまった。


「そう……。じゃあ、こういうのは平気?」


 私はただ「可哀想だね」と言ってほしかっただけなのに。

 彼女は悪魔的に口角を吊り上げて笑うと「さっきから気になってたけど、ここ……」と、私の唇に指を押し当てた。そのままゆっくりと顔が近づいてきて、


「食べ屑、ついてるよ」


 私の唇が食べらた。

 一瞬の出来事に脳が追いつかず、理解した頃には身体中が火照っていた。


「な、ななっ、……何をするん、ですかっ!」


 突然オオカミと化した彼女から逃れようと退いたところ、パイプ椅子がガタンと傾いた。倒れかけたところを彼女の力強い手が食い止め、そのまま私を抱えるように支えた。

 彼女は椅子ごと倒れようとする私を容易く支え、変わらぬ口調で言葉を紡いだ。


「男は嫌いって言うから試してみようかなって。女だったら大丈夫そうだね」

「だ、だからって……どうしてこんなことするんですか! い、い、意味がわかりませんっ。からかうにしてもタチが悪すぎます…………こういうのって好きな人と……異性とするものじゃないですか」


 どの口が言ってるのだろう。お礼貰って、好きでもない人としてたじゃない。

 椅子ごと倒れそうになったところを助けられて、支えられた状態で反抗して、墓穴を掘って、一体私は何をしているのだろう。

 格好悪い自分の恥ずかしさに視線を逸らし、耳をも塞ぎたかったのだけれど、彼女の言葉がそれをさせなかった。


「昼休みに言ったこと忘れたの? ずっと瀬戸ミノリさんを見てたって」

「忘れてませんよ! 独りぼっちの私をずっと見てて心の中で哀れんでたんでしょう? 馬鹿にしないでくださいよ」

「ん? そういうことじゃないんだけど。今さっきミノリさん自身言ったじゃない。こういうことするのは、どういう相手とすることなの?」


 彼女は悪魔的に笑った。

 独りぼっちの私を見てほくそ笑んでいたわけじゃなくて? 唇を重ねるのは好きな人とすることで……、彼女は私のことをずっと見てた————私に好意がある?

 今までの言動から全く想像もしなかった展開に戸惑う。そもそも彼女は女の子なわけで、同性なわけで、同性にあってもいいのは友情だけで。

 彼女にとってのキスがどんな意味を持つかわからない。……遊んでそうだし。


「全部ハッキリ言わないとわかってくれないの?」


 なんて答えたらいいのだろう。

 依然として椅子ごと体を支えられたまま、近い距離で見つめ合うこの状況。彼女の言う言葉の意味は想像がつくものの、今の私には信じ難い。女の子同士で恋愛なんて有り得ないもん。

 私の精一杯の答えは、


「友達になりたいって、こと……ですか?」


 彼女の切れ長の目が見開かれた。でもすぐに目を伏せて「そう」と呟いて離れていった。期待外れだとでも言いたげな態度。寂しそうに肩を落として離れていく彼女の背中に、何か言葉をかけるべきかと迷ったけれど、次に彼女の顔を見たときにはいつもの悪魔的な笑顔が浮かんでいた。


「そろそろ時間だね。行こうか」


 どうしてそんな顔をするのだろう。

 私の中に生まれたもやもやは、甘ったるぅいお菓子とともにしばらくお腹の底に棲みつくこととなった。



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