第6話 ずっと見てたもん



 風紀室のドアをノックするとすぐに彼女が顔を出した。


「ちゃんと見てきたみたいだね。中入って」


 私の顔色を見て解ったのだろう。彼女はそっと私の背中に手を回して中に招き入れた。促されるままにパイプ椅子に座らされストンと脱力した。


「大丈夫? 顔、青いけど」


 凪いだ海のように穏やかな話し方。冷たくもあり優しくもある、歳を重ねたようなハスキーボイスとピリッとする匂いが、大人の男の人のように傷ついた私を包み込もうとする。


「あれは……どうして私にあんなものを、見せたんですか……?」

「証人」

「え?」


 すぐに返ってきた言葉は仮説にかすりもしないものだった。


「あの現場を見て証言してくれる人が欲しかったんだ」


 彼女は巨大な書棚の前に立つと、すすす——っと引き戸を開いて中からお菓子を引っ張り出した。再びすすす——っと音を立てながら戸を閉めると、子供をあやすかのように「はい、お礼のお菓子だよ」と言ってそれを私の手の中に落とした。あの巨大な書棚、本はカモフラージュで戸がついたところは全て食べ物が詰まってるのかもしれない。

 手の中のお菓子、クッキーが入った小袋を眺めていると、彼女は事務机に座って話し始めた。


「あの現場を見て証言してくれる人が欲しかったんだ。その理由の一つ目、あの先生をこらしめたかったから」


 彼女は足を揃えて姿勢よく座った状態で、回転椅子をくるりと回してこちらを見据えた。今の彼女には人をからかうような笑みはなく、青く冷たい陶器のような印象で恐怖を感じた。悪魔的な恐怖とは違う、悲しい恐怖。

 彼女は淡々と言葉を紡いでいく。


「理由二つ目、風紀委員存続のため」

「……? それは、どういう……?」


 風紀委員がなくなる? それと今回のことにどういった繋がりが?


「あの先生ね、風紀委員の顧問なの。あいさつ運動のときに一緒にいたでしょう?」


 記憶にない。あのときは恐怖でいっぱいで、先生なんて見ていなかった。


「あー、知らないって顔してる。ふふっ、面白い子。まあ、いいんだけど。あの先生、風紀委員を担当してるのに、風紀委員は必要ないから来年から無くそうって話をしてきたんだ。他の委員とまとめて生活委員にって」


 別にいいんじゃないかな、なんて言ったら怒られそう。でも私にはそれのどこが問題なのかがわからない。


「不思議そうだね。他人にはわからないだろうけど、この風紀委員には価値があるから守りたいんだ」

「だから、風紀委員をなくそうとしてる先生を……こらしめたいんですか?」

「そうだよ」


 彼女が私の手元を指差して「それ、食べていいよ」と言うので、おずおずと小袋を開けてクッキーを口に運んだ。中にチョコレートが入っている。今度はちゃんと味がした。


「今、風紀委員は存続の危機に瀕している。だから風紀委員の必要性を知らしめるため、風紀を乱す行為を取り締まって学校に報告する。単純だけど実績があれば存続できるかなと思ったの。そこで掴んだあの先生の悪質な行為。ただ、風紀委員を存続させたい立場にある風紀委員の発言は信憑性に掛けてしまう。存続させたいがためについた必死の嘘ってね。相手が教師だから尚更。だから風紀委員以外の証人が必要。これが理由三つ目。そこで更に掴んだ瀬戸ミノリさんの情報。脅せば動いてくれるかなと思ってね」


 脅せばって……。綺麗な顔をしているけれど中身は本当に悪魔なのかも。


「理由はわかりました……でも、どうして私を脅してまで証人にしようと? その……と、友だちに頼めばよかったんじゃ……」

「お願いしてもよかったんだけど、もしその人が見た現場を口外してしまったら、噂は学校中に広まるでしょ? 信用してないわけじゃないけど、どこから漏れるかわからないから。男子はこういうネタを面白おかしく話しちゃいそうだし、女子は噂話好きだし。ICレコーダーで録音したり盗撮して証拠を残すことも却下。手元にあるデータは消せるけど漏洩しない保証はないし、撮られたって事実があるだけで被害者の女子は傷つくからね。そうしたらその子は学校に居辛くなる」

「でも……私が口外しない理由なんて……」

「瀬戸ミノリさんは独りぼっちだから。これが理由四つ目」


 先生をこらしめようとする傍ら、被害者の女の子に対する細心の配慮。もしかしてこの人、本当はとても優しい人なのかもしれない――そう思った矢先にこの言葉。

 彼女の言った悲しい事実は私の心を容易く貫いた。そうだ。学校では私、独りぼっちだった。


 窓は開いていないのに、耳元で風がそよぐような、小波が浜に上がるような、そんな音がした。サァァ――……ッて。話す言葉も聞く耳も、彼女を見る目も攫っていくような音。独りぼっちという言葉に酷く傷ついたんだ。頭の中が真っ白になって、サァァ――……ッという音だけが漂い続けた。

 昨夜から今までの間、自分が独りぼっちだったことを忘れていた。不思議、本当に不思議。ずっと彼女に与えられた恐怖、いや彼女自身が頭の中を埋めつくしていたせいで忘れていたんだ。

 独りぼっちを忘れてしまうほどの恐怖で押さえつけて利用する酷い人。


「知ってるよ、瀬戸ミノリさんのこと。ずっと見てたもん。…………あれ? どうしたの?」


 相も変わらず悪魔的な笑い方をする彼女。この人も同じだ。お金を積めばなんでもしていいと勘違いしている男と。利用できるものは利用した。化学準備室にいた先生も女子生徒も、独りぼっちの私も利用されたんだ。独りぼっちのところをずっと見てた? なんて嫌味な人。

 もう私の中の恐怖は蟻んこみたいに小さくなっていた。それよりも私の心を埋め尽くしたのは憤り。この人は悪魔的に笑う人間じゃない、本物の悪魔なんだ。

 精一杯の威嚇のつもりで彼女を睨み上げた。彼女はなんとも思っていないような風でふふふと微笑むばかり。

 二人の視線を断つかのように五限目の予鈴が鳴った。



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