第4話 悪魔だった



 サンドイッチを食べ終わる頃を見計らって「今日の本題だけど」と、彼女が切り出した。なかなか次の言葉が聞こえてこないので視線を上げると、そこには楽しそうな彼女の顔。その悪魔的な笑顔は心臓によくないからやめてほしい。

 彼女は立ち上がると、何も言わずに私の背後に回った。恐怖を煽るのが趣味なのか。視界から消えた代わりに絶えず背中から注がれるオーラは、彼女の期待通り私を震え上がらせた。

 自分のうるさい鼓動を聞いていると背後からすっと手が伸びてきた。その手は私を捕らえることなく机上へ行き着いた。


「これなんだけど」


 机の上に提示されたのは一枚の写真。そこにはホテルから出てきた私が写っていた。扉と壁の狭間で夜の私と本当の私が入れ替わる瞬間だ。ご丁寧にホテルの名前がわかり、尚且つ顔が鮮明に写るアングルで。これは言い逃れできない確固たる証拠だ。


「す、すす、すみません! ……あ、ああ、あのあの、それ」

「謝るってことは認めるってことだよね。実際に昨日会ってるから嘘なんてつけないと思うけど」


 あのときの光、カメラのフラッシュだったんだ。ってことは私がホテルから出てくるのを待ち構えていた? 私の名前を知っていたのは事前に調べられていたから? 夜のバイトをしていたことはとっくに知られていたんだ。

 先のことを考えると恐ろしくて堪らない。謝って許してもらえるかわからないけれど謝るしかない。

 彼女の口調は落ち着いていて、凪いだ海のように穏やかだ。彼女はふうっと息を吐くと変わらぬ口調で言葉を紡いだ。


「瀬戸ミノリさんって大人しそうな子って思ってたけど意外と大胆なことするんだね。風紀を乱すようなこと、しちゃだめなんだけどなぁ」

「す、すみませっ……ん」

「そんなに怯えなくてもいいよ。学校に報告しようだなんて思ってないから」


 そう言って彼女は私の肩にそっと手を置いた。それだけのことなのに飛び上がるほど驚いてしまう。その反応を喜んでいるのか、ふふっと静かな笑い声が聞こえた。かと思うとピリッとする匂いが近づいてきて、ついに耳元で彼女が囁いた。


「ただね、協力してほしいことがあるんだ」


 机についた彼女の手がす——っと写真に伸びた。この証拠がある限り、あなたには断る権利はないのと言われている気がした。実際そうだ。

 彼女の手が再びす——っと動きだし、机上を這って私の手元へ辿り着く。冷たい手。意外と大きな彼女の手が私の手に覆いかぶさり、有無を言わせない低い声音で訊ねた。


「引き受けてくれるかな?」


 私はすぐに震える声で答えた。「はい」と。すると私の身体はぱっと解放された。やっとまともに呼吸ができた気がして深く息を吸った。しかしそれも束の間、左側に立った彼女が顔を覗いてきた。


「じゃあまずスマホ出してくれる?」


 唐突な指示に戸惑いつつ、言われるがままにスマホを机の上に置くと、彼女はそれを素早く取り上げてしまった。


「あ、あのっ……?」

「これは人質。物質かな? 協力してくれたら写真もスマホもちゃんと返してあげるから安心して」

「でも……」

「そしてこれ」


 はい、と差し出されたのは折り畳まれた一枚のメモ用紙。


「……なんですか? これ」

「指示書だよ?」


 そう言って彼女は小首を傾げた。


「ほら立って。早くしないと時間なくなっちゃう」

「い、今からですか?」

「そうだよ? 制限時間は昼休みのうちに」

「えっ、あの、何をすれば……?」


 状況が掴めぬまま立たされて、戸惑っている間にあれよあれよと風紀室から追い出されてしまった。


「見たら戻ってきてね」

「え、何をっ……」


 振り返って訊こうとしたところ、背中をぽんっと押されて風紀室のドアがぴしゃりと閉まった。しんと静まり返った廊下にぽつんと一人。今まで忘れていた寒さがつま先から迫り上がってきた。

 早く終わらせよう。昼休みの間に指示通りに動いて何かを見て戻ってくる。行った先に何があるかは皆目見当もつかない。でも今はこの指示書通りに——……なんだろうこれ。

 指示書には『第三校舎の階段の踊り場にある机の中を見て』とだけ記されていた。

 第三校舎はここだ。そういえば風紀室へ来る途中、一階と二階の間の踊り場に一台の机があった。何故あそこに? どこかの教室からかハブられたのかな? と疑問に思ったけれど、そっか、あの中に何かがあるんだ。

 思ったより早く終わりそう。寒さはあるけれど恐怖は半減。だって机の中を確認したらそれで罰は終わるのだから。


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