第243話、旅の終わり

 慧太は歩く。ひたすら前へ。

 その黒い髪は、銀色に代わり、伸びて。

 漆黒の軽甲冑は、白銀に輝く鎧へと代わり、頭には白き翼を模した戦乙女の兜。ほっそりとした少女の身体――


 聖アルゲナムの姫、セラフィナ・アルゲナム。


 レリエンディールに奪われた国を取り戻すために戦う白銀の勇者の末裔。


 白銀の戦乙女。


 その想いを受け継ぎ、聖アルゲナムを救う。


 ひとつの未来。

 彼女のいない世界。

 彼女の代わりとなる世界。



「――慧太くん」


 ぽん、と肩を叩かれた。

 本格的な雪が降り始めたジュルター山。動かなくなったセラの身体を抱きしめていた慧太に、ユウラは優しい声をかけた。


「とりあえず、セラさんを置いてくれませんか?」

「え……?」


 何を言っているかわからなかった。ユウラはセラの身体を慧太から引き剥がし、地面にそっと置いた。


「傷は塞いだんですか?」

「ああ……」


 呆然とした声を返す慧太。青髪の友人が何を言っているのか、それすら頭が働かなかった。


「上出来です。それなら……あと一押しかもしれませんね」


 ユウラは淡々と言う。


「あと慧太くん、彼女、まだ完全に心臓止まってませんからね。……とはいえ、このまま何もしなければ間違いなく死んでしまいますが」

「は?」


 ユウラがセラの胸もとに手を当てる。


「治癒魔法ではありませんが、ちょっと蘇生できるかやってみましょうか。幸い、彼女から魔素は、まだ消えていないですから」


 青髪の魔術師がそう告げた途端、どくん、とセラの身体が小さく跳ねた。


「これで蘇生できなければお手上げです。……だから」


 起きてください、セラさん――ユウラは、もう一度、眠り姫の胸にショックを与えた。



 ・  ・  ・



 翌朝のジュルター山は、寒さを帯びた風に吹かれてはいたが、よく晴れていた。

 山の半分を越え、ライガネン側に達したころには、地下から吹き上がるもやもほとんどなくなっていた。


 そう、いまここから見える東側の土地は、ライガネン王国である。広大な平原が広がるそこは、セラが目指した友好国。その地平線の先にはライガネンの王都があるに違いない。


 朝日を浴びながら、慧太は歩を進める。その背中に背負うは銀髪のお姫様。慧太が傷を癒し、ユウラの一押しで死の淵から生還を果たしたセラだ。


「……どこか痛むか?」


 慧太が顔を向ければ、セラはその身体を密着させながら穏やかに微笑んだ。


「平気」


 昨日の戦いで、セラは腕にわき腹、太ももの三箇所を負傷したが、いまはいずれも傷はない。わき腹は慧太のシェイプシフター体で埋め、腕と太ももはセラ自身が治癒魔法で表面上は治した。


 だが、足に痺れがあるらしく、歩行が困難だった。心肺停止による後遺症かはわからないが、彼女曰く、夜が開けたら少し軽くなったというので、時間を置けば治るかもしれない。……そうであって欲しいと、慧太は思う。


「それより――」


 セラはその長いまつげに縁取られた青い瞳を向けながら言った。


「重くない?」

「大丈夫だ」


 女の子を背負って重いなんて――と思い、ふとセラと初めてあった日のことが脳裏をよぎった。

 疲労困憊。魔人の追跡に寝る間もなく食事も取れずに疲れきった彼女を助け、背負って近くに集落へ運んだあの日も、いまのようにおんぶしたのだ。


 懐かしい。あれからすべてが始まったのだ。もちろん、ライガネンくんだりまで旅をすることになるなど、その時は知る由もなかった。


「どうしたの?」


 優しいセラ、その心地よい声を耳朶に感じながら、慧太は力強く歩を進めた。


「初めてあった日のことを思い出してたんだ……」


 わざと皮肉げに笑みを浮かべる。


「こうやっておんぶしてやったなーって思ってさ」

「そうね……そうだった」


 ぎゅっと、セラが慧太の首まえに伸ばした手に力を込めて抱きしめる。


「おう、どうした?」

「ううん、何でもない」


 そう言いながら密着感が半端ない。彼女のそこそこ育った胸の感触が伝わる。白銀の鎧をつけていないから、よりはっきりと――


「そういえば、おんぶされるの恥ずかしいとか言ってなかったっけ?」

「恥ずかしい」


 セラははにかんだ。


「でも、いまはいいの」


 いいのか――慧太は苦笑する。よくわからない。


 ごつごつした岩場。その緩やかな斜面を下る。先頭を進むリアナは、例によって周辺警戒に聴覚と嗅覚を動員したが、銀竜の姿は影も形もない。分身体による偵察活動でも、付近一帯に竜の姿はなかった。


 ジュルター山は竜の山だった。今でこそ穏やかだったが、昨日はズィルバードラッケ、そして魔人軍の特殊戦闘隊『ヴェーアヴォルフ』と交戦した。

 敵対者は退けたが、こちらもまたセラは死にかけ、少なからぬ被害を受けた。幸いだったのは、誰も死ななかったことだ。


 一番最初に銀竜の尻尾で弾き飛ばされたキアハは意識を失った。本来なら全身の骨が折れ、内臓破損で命はなかっただろう。

 だが、半魔人の身体――彼女が忌み嫌っていた魔人化処置による強化が、皮肉なことにその命を救った。頑丈さに加え、常人のそれを凌駕する自己再生能力。

 これに初期治療として治癒を試みたセラの魔法も加わり、キアハは死を回避した。改造手術とセラの治癒がなければ、おそらくキアハは助からなかった。


 そのキアハは、体高二メートル強ほどのゴーレム型をしているアルフォンソの肩に乗っていた。死の淵からの生還を果たしたとはいえ、実はセラ以上に全身にダメージがあり、何をするにしても痛みが残っているのだそうだ。とはいえ、おそらく一日二日あれば治ると当人は言っていた。


 アルフォンソもまた、ヴェーアヴォルフの戦いで構成するシェイプシフター体の大半を失った。運良く一部を切り離すことに成功したが、もし彼が慧太の一部から作られたものではなく、純粋なシェイプシフターだったならおそらく炎の包まれてそのままやられていただろう。

 身体の大半を喪失したアルフォンソだったが、いまは魔人との交戦前以上の身体に戻っている。銀竜の死体を一体取り込むことで不足分を回復させたのだ。

 結果、山を降りたらすぐに馬車形態に変身して、皆を乗せられる。


 ふふ――と艶やかな笑い声がした。見れば、サターナがにんまりとした顔で、慧太とその背中のセラを見ていた。


「何だ?」

「いいえ。……お二人とも、仲がとてもよろしいようで、微笑ましいわ」


 何を言ってるんだ――慧太が首を横に振れば、セラは上ずった声を返した。


「な、何その言い方! 私はいま、その、歩けなくて――」

「ええ、知っているわよそんなこと。……お似合いよ、あなたたち」

「だ、だから! そういうんじゃなくて!」

「いまさら恥ずかしがること?」


 ごちそうさま――そういったのはアスモディアだった。ユウラも何かわざとらしく顔をにやにやさせている。

 昨日は、複数の銀竜を相手にした二人だが、特に怪我もなく無事だった。想定外の事態にも上手く対処してくれた。この二人にも感謝だな、と慧太は思う。


「そんなことより、サターナ」


 慧太が言えば、「そんなこと……!」とセラが小さく呟いたのが聞こえたがとりあえず無視する。


「ヴェーアヴォルフの連中は倒したが、シェイプシフターの秘密は魔人軍に伝わったと思うか?」


 シェイプシフターの弱点を突いてきた敵である。こちらがシェイプシフターであることが周知の事実となれば、今後もその手で攻めてくるに違いない。


「その心配はないわ、お父様」


 サターナは暢気な口調だった。


「魔人軍の前線は、まだアルトヴューには達していないわ。彼らの任務の性格上、簡単に他の味方には合流しないし、まして人間のテリトリー深くに単独で潜入しているから、ワタシたちがシェイプシフターであることは伝わっていないでしょうね。……それに」


 黒髪に漆黒ドレスの少女は、先導する狐娘を見た。


「リアナが、ヴェーアヴォルフの兵を一人残らず狩り出して始末したから問題なんてあるわけないわ。ねぇ、リアナ?」


 うん、と金髪碧眼の狐娘フェネックは頷いた。

 彼女の優れた嗅覚と聴力。

 姿を背景に溶け込ませる敵でさえ、一度臭いがわかればもはや隠れることもあたわず。暗殺者として敵を狩り出し殺すことにかけては、リアナの右に出る者はいない。


 きちんとエグいことを、いとも容易くやってくれる狐人の暗殺者、それがリアナである。


「ほんと、頼もしいな、まったく……」


 ジュルター山の麓に到着する頃には昼になっていた。

 ユウラが振り返ると見回した。


「さあ、みなさん。ようこそ、ライガネンへ」

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