第226話、ズィルバードラッケ


 小さな集落を二つ経由し、街道を東進する慧太たち一行。

 その日はあいにくの曇り空だった。アルフォンソが牽く馬車は、ゆったりとした歩調で進んでいたが、最初に異変に気づいたのは例によってリアナだった。


「焦げた臭い」


 風に乗って流れてきた臭気。やがて前方に、かすかに立ち上る煙がうっすらと見え始める。


「村か」


 しかしたどり着いたそこは、村だったもの。

 廃墟だった。

 建物があったと思しき場所は、瓦礫がれきとなっていて、ところどころ建物に使われていた木材が燃えていた。まるで大地震があった後のような有様だ。

 もっとも、それほどの地震ならここに来る前に慧太たちも感じたはずだ。それがなかったから、別の理由――たとえば武装集団の襲撃や、何かしらの武力衝突があったのかもしれない。

 絶句するセラとキアハ。御者台のユウラ、そしてリアナが警戒感をあらわにする。

 村の中央通り――だった場所。瓦礫がほとんどない街道に、武装した兵士たちの姿があった。


「アルトヴュー王国の正規軍のようですね」


 ユウラが言えば、慧太は御者台に移動しつつ、顔を引きつらせた。


「ヌンフトみたいなことにはならんよな……」


 城塞都市の名前を出せば、そこで処刑されかけたキアハがゴクリと唾を飲み込んだ。サターナがそんな彼女の腰を叩いた。


「大丈夫よ。何も問題はないわ」


 元魔人の少女は悪戯っ子のような笑みを浮かべた。


「何か問題があれば、やっつけちゃえばいいのよ」

「楽しそうに言うな」


 慧太はたしなめる。ユウラは言った。


「まあ、ヌンフトの一件があったとしても、あの程度でこの国から指名手配などはされていないでしょうし、サターナ嬢の言うとおり、問題はないでしょう」


 視線の先で、近づいてくる馬車に気づいたのだろう。兵士たちが道を塞ぐように動き、指揮官らしい騎士が右手を上げて『注目』を促した。


「止まれっ!」


 まあ、そうなるだろうな――慧太は心の中で呟く。兵士たちに近づきつつ、ユウラはアルフォンソに止まるよう指示を出す。


「この村の者か?」


 口ひげを生やした騎士が御者台のユウラへと声をかけた。中々精悍な目つきの男だ。


「いえ、旅の者です」

「この馬車はどこへ行く?」

「ライガネンを目指しています」


 ユウラは正直に答えた。騎士は「そうか」と頷く。とくにこちらを疑うそぶりはなかった。どうやら、賊や武装集団がらみでここにいるわけではなさそうだ。


「悪いことは言わん。今すぐ引き返すか、あるいは南へ迂回しろ」

「どういうことです? こちらは先を急いでいるのですが」


 ユウラが聞けば、騎士は顔をしかめた。


「貴様らは、この村がどうしてこうなったか知っているか?」

「いえ……」


 慧太たちは顔を見合わせる。騎士は小さく頭を上下に振った。


「そうだろうな。いま我が国土はズィルバードラッケの脅威にさらされている」

「ズィルバー、ドラッケ……?」

「『銀竜』のことです」


 ユウラが振り返りながら言った。


「希少な種で目撃例はほとんどないのですが、僕の記憶違いでなければ、数十年から百年くらい前に現れて、アルトヴューに災厄をもたらしたとか」

「そう、まさしくそれだ」


 騎士が溜息混じりに言った。


「この村を襲ったのも、そのスィルバードラッケだという目撃証言があってな。その竜は白銀の鱗をもち、一般的に知られる竜より一回りもふた回りも大きいらしい」

「この村、も……?」

「襲われたのはここだけではない。まだ大きな都市は襲われていないが、小さな集落はここを含めて七つやられている。……まあ、討伐されるまでに、おそらく二桁は被害が出るだろうな」


 そんなに――セラが思わず声をあげた。


「国王陛下は非常事態を宣言され、討伐軍を編成されている。竜狩りの傭兵なども募集しているが、ズィルバードラッケが退治されるまでは、その飛行範囲から一般人を退去させる方針だ。……竜に、餌を与えるわけにはいかないからな」


 餌とは人間のことか。慧太は視線を、かつて村だったそれに向ける。見たところ、十近い建物があったようだが、はたしてどれくらいの犠牲者が出たのだろうか。


「そんなわけで、ここから先は一般人は通せない。まあ、好き好んでズィルバードラッケに襲われるかもしれないところに行く奴なんていないだろうがな」

「……まあ、そうですね」


 ユウラはにこりと笑った。作り笑いだった。騎士は廃墟を見回した。


「ここもすでに奴の飛行範囲に入ってるからな。貴様らもさっさと離れたほうがいいぞ」

「そのようですね」


 ここにいるアルドヴューの兵は、およそ二十人程度。噂の銀竜がどれほどかはわからないが、村ひとつ潰せる竜を相手にするにはおそらく無理だろう。


「でも、ユウラさん……」


 セラが言いかけ、その青髪の魔術師は指を上げて「静かに」と仕草で示した。


「我々も先を急いでいるのですが、南へ迂回となるとどういうルートを通ればいいですかね? できれば現在封鎖されている場所を……地図などあれば教えていただきたいのですが。……僕らもドラッケの餌にはなりたくないですから」

「……うーん。従者、地図だ。地図をもってこい!」


 騎士が地図を持ってこさせる。ユウラは慧太を手招きする。ややして、従者が来て地図を広げた。馬車を降りたユウラと慧太が、騎士と共に地図を眺める。

 どこに銀竜が現れ、どのあたりまでが危険なのか、騎士とユウラが話し合うなか、慧太は地図を見やり、それを記憶に留めた。



 ・  ・  ・



 アルトヴュー王国軍の小部隊と別れ、少し後退した街道の脇に、慧太たち一行はいた。

 アルフォンソの馬車は止まり、残る面々は客車部分に集まっている。進行役はユウラだった。


「僕たちがとるべき道は三つ。一つ、王国騎士の言葉に従い、南側へ大きく迂回する」

「迂回するとどれくらい時間を食う?」


 慧太が問う。セラの関心は、もっぱらそこにあるので視線も鋭くなる。


「銀竜は飛行が可能なので、風に乗ってかなり遠方まで進出可能です」


 ユウラは、床に置いた地図を指でなぞった。ちなみにこの地図はシアードの大図書館でアスモディアが模写したものだ。意外な才能である。


「余計な遠回りをさせられますから、普通に二週間ほど遅れますね。ライガネンに到着するのは、来月になってしまいますね」


 ちら、と一同の視線がセラへと向く。彼女は無言だったが、その顔を見れば許容できないと見て取れた。


「二つ目、アルトヴュー王国の精鋭たちが銀竜を退治し、ここが通れるまで待つ」

「論外」


 サターナが首を横に振った。


「それなら迂回したほうがマシじゃない?」

「騎士団の動員にもよるのでしょうが、もしかしたら迂回するより若干、早くケリがつくかもしれない」


 ユウラは、どこか白々しく言った。まるでそんなことにはならないとわかっているような口ぶりだった。


「何もかも上手く行けばの話ですね」


 アスモディアが、いつものように腕を組めば、その豊か過ぎる胸が下から押し上げられる。


「大型の竜は強固な鱗を持ち、並大抵の武器や魔法では歯が立たない相手。退治されるのを待っていては時間を空費するのは間違いありません。迂回したほうが早いと思います」


 人間の軍隊など、端から話にならないと言わんばかりだった。

 セラが赤毛のシスターを見やる。


「銀竜とは、それほど凄いの?」

「話に聞く銀竜を実際に見たことがないから、一般的な大型竜の話になるけれど、正直に言って、ここにいるわたくしたちでも相手ができるかどうか……」


 そんなに。慧太は、魔術の天才であるユウラや白銀の勇者の力を持つセラを見回しながら思った。話に聞く重装甲ぶりでは、おそらく慧太やリアナではその主な部分は貫けないだろうし……。


「できれば、遭遇したくないね」


 本音が出た。セラは難しい顔で押し黙っている。ぽつり、とサターナは言った。


「もしかして、セラ。銀竜を退治したいとか思っていないでしょうね?」

「とても危険な竜なんですよね」


 セラは顔を上げた。


「すでに幾つもの集落が破壊されて、犠牲者も出ている。それは放置するのは――」

「気が引ける。まことに勇者の末裔らしい考え方ね」


 どこかトゲのある言い回しをするサターナ。


「あなたがライガネンを目指す途中でなければ、どうぞお好きにと言えるけれど……。わかってる? 空を飛んで移動して、どこにいるかもわからない銀竜を追いかけようとすると、ヘタすると迂回どころじゃすまないほど時間をロスするわよ?」

「……」


 セラは押し黙る。内心ではわかっていても、放っておけないという気持ち。魔人軍によって制圧された故国と、目の前の危機――どちらを選ぼうとも、セラにとっては苦しい選択となる。


「そこで、三つ目ですが……」


 ユウラは一同を見回した。

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