第214話、古代魔法の研究家

 

 ユウラ・ワーベルタは、ハイマト傭兵団に所属する数少ない人間であり、古代魔法語研究の専門家だった。

 数十年にひとりの天才らしいが、人間の魔法関係者たちとそりが合わず、辺境の傭兵団に所属していて、勝手気ままに過ごしている。


 慧太は、倉井の職場を教わった後、シアードの町の大図書館へと出かけたユウラと会うべく移動した。当然ながら、その前に仲間たちから質問責めに合った。


「故郷へ帰るんですか?」


 口火を切ったのはキアハだった。その顔には、どこにも行かないで欲しいと書いてあった。

 以前、セラと星空を見上げながら召喚された件を話したから、彼女の口から皆に伝わったとみていいだろう。

 慧太は、やや表情を曇らせて、それでも歩みは止めなかった。


「まあ、帰りたくないと言ったら嘘になる」


 ちら、と彼女らの表情を一瞥いちべつする。

 キアハは、真剣に悩んでいる様子。セラは物憂げで、不安そう。リアナはいつもどおり無表情で、話を聞いていないのか町の様子を物珍しそうに眺めている。サターナは……退屈そうだった。


「だが、別に今すぐどうこうって話じゃない。そもそも、倉井さんの話がどこまで本当かわからないしな」


 帰れないかもしれない。彼がいう方法が、もし『元の世界』に帰れないのなら? ……故郷に帰る帰らないの問題ではなくなる。


「でも、召喚魔法ですか? それで、ケイタさんの故郷に帰れるなら――」

「まあ、いつかは帰る――かもしれない」


 何ともあいまいな返事だと自分でも思った。


「繰り返すが、まだ確実な方法かも確かめてないのに断言できるわけないだろ」


 オレは国に帰るぞ! からの帰れませんでしたでは格好がつかないのだ。変に希望を持ってしまって、それが叶わないと分かった時の絶望など味わいたくない。


「オレのことより倉井さんだ。あの人は、国に帰りたがってる。同郷のよしみだ。方法があるなら、帰してやりたい」

「そう、ね……」


 セラが神妙な口調で言った。


「ケイタは、困っている人を放っておけない人だから――」


 その横顔は寂しげだった。


「帰れるなら、ケイタが帰りたいのなら、私はケイタがしたいようにすればいいと思う」


 セラは微笑をくれた。

 だが、慧太の目には、それが強がっているように見えた。まるでこちらに心配をかけまいとしているようで、むしろこちらが心を締め付けられる。


「たとえ帰れるとしても」


 慧太はじっとセラを見つめ返した。


「たとえ、帰りたいと思ったとしてもだ。君をライガネンに送り届ける――それを途中で投げ出すつもりはない。絶対に、ない」


 断言する。

 慧太のその言葉に、銀髪のお姫様は嬉しそうな顔になったが、それもつかの間だった。

 送り届ける――でも、その後は? それがセラの心に圧し掛かる。

 サターナが淡々と言った。


「セラはそれでよくても、他の子たちは、そう簡単な話ではないのよね」


 その紅玉色の瞳が、慧太へと注がれる。


 ――何が言いたい?


「どうしようとお父様の勝手だけれど……もし帰るなら、残される子たちに対してある程度の責任を果たすべきではないかしら? 今は、あなたが傭兵団のリーダーなんですからね。抜ける、では済まないと思う。違うかしら?」



 ・  ・  ・



 大図書館の外観は、どちらかというと大聖堂といったおもむきで、はじめは教会施設の一部だろうかと思った。

 四階建ての建物に相当する高さは、まるで石造りの城のようにも見える。

 尖塔がそびえ、急傾斜の三角屋根と、壁に無数に、しかし規則性を感じさせる窓の配置など、どこか荘厳なる美をかもし出していた。

 高さ四メートルほどの入り口をくぐると、中には無数の本棚が立ち並び、窓から差し込む光が室内に充分な光源を提供した。

 古い紙のにおい。壁一面に設えられた棚に並べられた書物がびっしりと。


「……」

「本は珍しいですか?」


 ユウラが言えば、慧太は現代にも負けない圧倒的な本の量に圧倒されながら頷いた。


「ここに来てから、こんなに本を見たのは初めてだ」

「アルトヴュー王国は、古代文明発掘も盛んです」


 持つだけで重そうな分厚い本を閉じて、ユウラは言った。


「当然、研究者も集まる。自らの研究資料をまとめた本が作られるのは道理です」

「そういう研究を図書館に寄贈するものなのか?」

「寄贈、というか売るんですよ。図書館を運営する機関は、彼らが調べ上げた研究資料を買い、研究者たちは研究成果を売ることで研究費や生活費を稼ぐ」

「なるほどね。どちらか一方だけが得するシステムではないわけか」


 慧太はふと、隣の魔術師を見やる。


「あんたも、ひょっとして本を書いてたりする?」

「売った事はありませんよ」


 彼は涼しい顔で答えた。


「本ならどんなものでもいいわけではないですからね。モノによっては逮捕されたり、ヘタすれば異端者として罰せられることもありますから」

「怖いねぇ」


 ユウラがテーブル席へ移動するのを慧太は後に続く。セラやキアハら他の者たちは、そびえる本棚を見やり、本を開いたりしていた。基本的に、閲覧は自由だった。ただし持ち出しは許可が必要である。


「それで、話というのは」


 机を挟んで向かい合いながら、魔術師は問うた。静謐せいひつに包まれた大図書館にあっては、小声であっても十分に聞こえる。


「何から話したものか」


 慧太は、かすかに躊躇いを見せる。


「ユウラはこの世界ではない……つまり別の世界があると思うか?」

「あるんじゃないですか」


 彼は澱みなく答えた。迷う時間も考える時間もない、反射的速さで。


「どうしてそう思う?」

「何が聞きたいんです?」


 本題はそれではないことを察し、促しているようだった。慧太は、慎重に切り出すのも馬鹿らしく感じた。


「別の世界――異世界に越える魔法があるが、その魔法を使うために力を貸してほしい」

「帰るんですか? 自分の世界に」


 ユウラはさらりと言った。何げに恐ろしいことを言ったぞ、この人。


「……オレが異世界人だと知っていたのか?」

「この世界の住人ではないことは察してました」


 さも当然と言わんばかりだった。


「この世界のことをまるで知らない割には、自然科学や技術の知識を持ち、教養がある。唐突におかしな言動も、この世界ではそうでも、あなたの世界では普通のことなんだろうな、と最近では思っています」

「……察しがいいのは、この際ありがたいというべきかな」


 皮肉げに言えば、ユウラも微笑した。


「まあ、これでも魔術師の端くれ。やり方はともかく、異世界から人を召喚する魔法があることくらいは知っていますからね。ありえない話ではないんですよ、僕らにとってはね」

「だったら話は早い。さっき町で会った倉井さんを日本に返したい。あとは呪文だけらしいんだが」

「呪文は大事です。特に世界を超えるような魔法にはね」

「その呪文が古い魔法文字らしくて、読めないんだそうだ。そこで古代魔法の研究者の力を借りたい」

「なるほど。古代魔法は専門です」


 ユウラは首肯した。


「僕は、そのクライなる異世界人に会えばいいんですか?」

「メモを預かっている」


 慧太はポケットから古ぼけた羊皮紙の一片を取り出し、机の上に。


「誰か読める人間に会った時のために持ち歩いているんだそうだ。……読めるか?」

「拝見します」


 青髪の魔術師は、羊皮紙を受け取り、それを見やる。記号じみた羅列られつを眺め、眉間にしわを寄せた。

 まさか、読めないとか――慧太は不安になった。ユウラはしばし紙切れを見つめ、いや何事か考えにふけっていたが、やがて顔を上げた。


「ひとつ、聞いてもよろしいですか?」

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