第191話、疾走する馬車


 馬車は走る。ディリー司祭が手配したボックス型の客車を持つ二頭牽きのそれは、出しうる限りの速度でヌンフトの町中を突き進む。

 セラは祈るように両手を合わせ握りこむ。祈りの先は、当然ながら仲間の無事。

 唐突にディリー司祭が客車の戸を開けた。吹き込んだ風に、セラは思わず目を開ける。疾走中に戸を開けるのは危険行為だ。ましてディリー司祭は、その身体つきはまだまだ子供のそれだ。


「道を開けろ! 聖教会だ!」


 少年司祭は声を張り上げ、聖教会の司祭服姿の自らをアピールする。道にいた守備隊の兵たちが慌てて道を開けた。馬車はその間を駆け抜けた。

 そして都市を囲む城壁、その門をも通過した。


「これで、大丈夫……」


 ディリー司祭は戸を閉め、セラの隣に座った。朗らかな笑みを浮かべて。


 ――いえ、ちょっと待って。


 セラは客車の後ろの窓を見やる。


「ディリー!? あの、町の外に出てますが……」

「ええ、出ました」


 悪戯っ子のような表情になるディリー司祭。歳相応というべきか、セラが動揺するさまを見て面白がっているようだった。


「中央広場へ行くのでは……?」 

「私は……ボクはそんなこと言いました?」


 口調を改めて、ディリーは言った。


「実験動物に同情はしましたけど、助けに行くなんて一言も言ってませんが」

「実験、動物……って」


 絶句するセラ。ディリーは、何の前触れもなくセラに抱きつく。


「え!?」


 吃驚してしてしまうセラの顔を見やり、手に持っていたそれを彼女の首もとへ運ぶ。


「これは、ボクからのプレゼントだよ、セラフィナ」


 ガチャリ、とセラの首に嵌められたのはネックレス――ではなく首輪だった。くすくすと少年司祭は笑う。


「あぁ、やっぱりだ。よく似合うよ、セラフィナ……」

「ディリー……これは?」


 わけがわからない。突然、抱きついたかと思えば人に首輪をつけるなど……司祭、いや人間として、その行為は疑わざるを得ない。


「ディリー? 違うよセラフィナ」


 少年――ディリーだったものは小動物を痛めつけるような残虐な笑みを浮かべた。


「ボクの名前はキャハルだ。ディリーなんて名前、適当についた嘘だし、そもそも」


 キャハルと名乗った少年は、両手を広げ、自ら着込んでいる祭服を見せ付けるような姿勢になった。


「聖教会の司祭でもないんだ。……ボクはあんな狂った教会連中とは違う」

「教会の人間ではない……!?」


 セラは愕然とする。キャハルは手を伸ばし、銀髪姫の頬を両側から軽く押さえた。


「そう。トラハダスと言えばわかるよね? まあ、ボクは聖教会にとっては敵さ」

「トラハダス!」

「大丈夫、怖くないから」


 キャハルはセラを押し倒し、その腰の上に馬乗りになった。揺れる馬車。セラは抵抗しようとしたが、少年はその手首を掴み、すさまじい力で押さえつけた。顔を近づけ、アルゲナムの姫君、その銀髪の香りを嗅ぐ。


「あぁ、愛しいセラフィナ。ボクが君を守ってあげるからね」

「放して!」

「君はボクの言うことだけ聞いていればいい。セラフィナ、君はボクのものだ」


 くっく、と笑い声を上げるキャハル。少年の目には、しかし狂信的なまでの何かが浮かぶ。


「君を見ていた。地下でツヴィクルークに立ち向かった神々しいまでの君の姿に、ボクは心を奪われたんだ……!」



 ・  ・  ・



 ヌンフトの町、その石畳の通路を兵員輸送馬車が猛スピードで駆け抜ける。

 御者台に立ち、馬を御しているのはリアナ。

 慧、ユウラ、アスモディア、キアハは荷台に乗り、追手である守備隊騎兵を睨む。


「炎の矢!」


 アスモディアが簡素な炎魔法を生成し、後方へと放つ。しかし当てる気のないそれは、追手の追走をわずかながら遅らせる効果しかない。


「……っ、本気で当てたらダメなの!?」


 苛立ち混じりにシスター服の女魔人が言えば、黒マントに仮面といったいでたちの少女に化けた慧が即答した。


「ダメだ。あくまで牽制に徹しろ」


 守備隊連中を殺してしまえば、その追跡はよりしつこくなる。無用な恨みは買わない。


「次、右に曲がる!」


 リアナが一瞥をくれる。慧は吠えた。


「全員、姿勢を低く! 踏ん張れっ」


 馬車が民家の立ち並ぶ区画、その通路を右折する。スピードが出ている上に、旋回時に遠心力がかかるため、皆で姿勢を低くすることで重心を下げ、馬車が横転するのを防ぐのだ。

 リアナは巧みに馬を操る。石畳を削り、きしみを立てる車輪。荷台が外に引っ張られ――慧太は自らの体の一部を石に変え、馬車がひっくり返らないように踏ん張る。


「……少し浮いたか?」

「何とか持ちこたえたようです」


 ユウラが苦笑した。


「ひどいコーナリングでしたね!」

「まだまだ続くぞ」


 慧は、石の変身を解いて御者台へ這う。馬車の前方を行くは、サターナと彼女が駆る魔馬アルフォンソ。その黒髪の彼女が、ちらと振り返る。……その意味を悟った慧は口を開いた。


「リアナ、もっと狭い道もいけるか?」

「大丈夫」


 淡々と、しかし力強く狐娘フェネックの相棒は返事した。


「この子たちの癖、つかめた」


 さすがリアナ。大抵のことを器用にこなせる才能の持ち主である。

 慧は再び、こちらを見やるサターナに視線を飛ばし、頷いて見せた。


 サターナと魔馬は速度を上げ、三つ先の十字路を左折した。……仕掛けるらしい。

 慧は、右腕にクロスボウ型投射機を作り、荷台後方――追手の騎兵を見やる。四、五騎か。さすがに荷台を引く馬車と騎兵では速度差がある。その距離はみるみる縮まっていく。

 だから、牽制して――慧は投射機から玉を発射する。石畳に叩きつけられ、噴き出す煙が騎兵を巻く。だがそれもわずか、騎兵らは煙を突き抜ける。


「それなら――」


 放たれる玉を変更する。煙玉ではなく爆竹。

 小さな爆発と共に弾け、その爆発音が建物に反響した。先頭を行く馬が、その音を嫌がり怯んだ。騎兵もまた、突然の爆発にその速度を緩める。


「次、左旋回!」


 リアナの声。荷台の者たちは再び身を沈める。慧は叫んだ。


「リアナ、曲がったら、すぐに左の路地に入り込め!」


 狐少女が、わずかに振り向く。


「いいな! 先導のあとを追わなくていい!」


 コクリと彼女は返した。そして、馬車は左へと曲がる。荷台が右へと引っ張られ、民家の壁が間近に迫る。

 ガッ、と車輪側面が建物にこすれた。もう数センチずれていたらクラッシュしていた。


「危ねえ!」


 慧は、煙玉と爆竹を立て続けに放ち、一時的に後方の視界から馬車の姿を消した。

 馬車を御するリアナは、慧に言われたとおり、すぐ左側の路地へと馬車を滑り込ませる。先ほどの旋回で速度が落ちていたので、今度は余裕をもって曲がった。

 慧の視界に、一瞬前方を行く騎兵が馬車の形に変わるように見えたが、曲がったことですぐに見えなくなる。


「ケイタ、行き止まり!」


 リアナが前方を見やる。慧は「大丈夫」と答え、止まるよう指示を出した。

 馬車は停止する。

 皆が後方を見やれば、追手の騎兵は路地に見向きもせずに通過していった。自然と息を押し殺していたアスモディアが、ゆっくりと息をついた。

 どうやら追手を撒けたようだ。


「……なんで」


 死にそうな声でキアハが口を開いた。


「彼らは、こっちに気づかなかったんです……?」


 うっ、と青い顔をしたキアハが口もとを押さえる。

 どうやらあの恐るべき機動によって乗り物酔いを誘発したようだった。どおりでさっきから大人しかったわけだ。


「連中は、アルフォンソたちを追ってる」


 正確には、馬車の形に変身して追われる役を引き継いだのだ。守備隊が今追っているのは慧たちではなく、アルフォンソとサターナが化けた馬車なのである。


「よし、みんな降りろ。ここからは徒歩だ」


 荷台から飛び降りる面々。慧は視線を転ずる。


「東門へ。ヌンフトを脱出する」

「セラさんは?」


 キアハが問うた。現状、全員揃っていない。


「心配するな。セラなら、もう町の外でオレたちを待ってる」

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