第190話、暗殺者のエントリー


 発煙弾が投げ込まれた。中央広場に吹き上がる煙は、集まった住民を混乱させ、警備をしていた守備隊兵を硬直させた。


 刑執行の合図は、ヌンフト領ボルツァー伯爵の振り上げた腕が下ろされた瞬間、執行人が囚人の乗る台座を蹴飛ばすことで行われる。

 発煙弾によって住民らが声を上げたその時、伯爵は背を向けており、またそのまま腕を振り下ろしたことで、執行人は台座を蹴飛ばした。


 かくて、キアハは首を吊られ、いま死への苦痛と窒息にさいなまれながらもがいていた。


 広場に打ち込んだロープ付きアンカー。そのロープをたどり、漆黒のマントを風になびかせながら仮面の暗殺者が中央広場に舞い降りた。

 騒ぎに振り返ったボルツァー伯爵は、ほぼ正面に降り立ったそれに目が合い、ビクリと身をすくませた。


 頭蓋骨を思わず不気味な仮面をした黒ずくめの子供――小柄だった上に男か女か、一瞬判断がつかなかったのだ――は右腕をあげ、絞首台に向ける。


 黒いクロスボウのような形のものがついた右腕から、矢のようなモノが発射された。伯爵は慌てて頭を下げ、大げさに地面にしゃがんだ。

 放たれた矢、いや黒い玉は、キアハを吊るす縄が結えられた木材の両側を支える柱、その片方に当たり、直後、小さく爆発した。

 支えていた柱が折れて、絞首台が傾く。斜めになったおかげで、自然とキアハの足が床につき、さらにそのまま倒れ込んだ。


 ――まったく、早まったマネをしてくれる!


 仮面の人物――けいは絞首台に向かって駆ける。腰を抜かした伯爵を無視し、一気にキアハのもとへ。

 背を向ける仮面の人物を見やり、ボルツァー伯爵は思い出したように声を荒らげた。


「誰か! 奴を捕まえろ! 賊だ、魔人の仲間だぞ!」


その瞬間、ふっと影がよぎり、伯爵は顔をあげた。

 漆黒の騎馬――しかしその馬の髪は炎のように捻じ曲がり、黄金色の目を持ったおぞましき死霊の愛馬と言った姿だった。

 それは魔馬。

 レリエンディールの魔人たちが好んで騎馬に用いる馬だ。


 それに騎乗するは黒い髪をなびかせた、こちらも仮面の女。女とわかるのは服装が漆黒色のドレスをまとっていたからだ。仮面の奥の瞳は、灼炎の色。手には一角獣(ユニコーン)の角を模した巨大な騎兵槍。仮面の女はボルツァー伯爵を冷徹に見下ろす。


「次にその口を開いたら、処女以外を貫くこの槍が、あなたのドタマをぶち抜くわよ?」

「ひぃっ!?」


 伯爵はみっともなく悲鳴をあげ、這ってでも逃げようと背を向けた。

 白煙によって住民らは広場を離れつつあった。民の統制にかかる数名を除き、何人かが絞首台へと向かおうとする。

 その前に立ちふさがるのは、漆黒の騎兵を狩るサターナ。

 一方、慧はキアハの首に巻かれた縄を短剣で切り、彼女の手を拘束する手枷を開錠する。シェイプシフターの指は鍵穴に合う形に変化し、その縛めを解いた。


「無事か?」

「……っ、あなたは?」


 キアハが呼吸を繰り返しながら問うた。


「助けに来た。この姿は仮の姿だけど、とりあえず慧と名乗っておく」

「K? あの伝説の暗殺者の!?」

「伝説とは大げさな」


 慧は仮面の奥で表情を緩める。こちらとしては仮面をしていても正体がわかりそうなものだが、少女の身体をしていると慧太だとわからないようだった。


 ――まあ、そりゃ外見上性別が変わればな……。


 むしろ、ここで一発で正体がバレても困る。せっかく別人に偽装しているのだから。


「立てるな? ここを逃げるぞ」

「なぜ、私を助けて――」

「そういうのは後! 皆が待ってるぞ」


 慧は促し、キアハを立ち上がらせる。


「サターナ! 行くぞ!」

「はいな! しっかりついてきなさい!」


 漆黒の騎兵は、対峙する兵たちめがけて突撃を開始する。

 耳ざわりな悲鳴じみた咆哮を上げる漆黒の魔馬と、騎兵の迫力に兵たちは道を慌てて左右へと分かれる。留まれば踏み潰されるとわかっているからだ。

 そのこじ開けた道めがけて、慧は左腕にクロスボウ型投射機を作ると発煙弾を放つ。瞬く間に吹き上がった煙に、守備隊兵がさらに動揺する中、慧はキアハを引き、サターナが切り開いた道を突き進む。


 煙を抜ける。広場に面する通りを進むヌンフト守備隊が用いる兵員輸送馬車。それが慧たちの前で止まった。御者台で馬を操るにはリアナ。荷台にはユウラとアスモディアが乗っていた。慧はキアハを引いたまま、荷台へ飛び乗る。


「タイミングばっちりだな!」

「どうも慧さん」


 ユウラが答える。仲間たち――その無事な姿に、キアハは思わず涙ぐむ。


「キアハ、大丈夫?」

「アスモディアさん!」


 あれだけ痛めつけられたはずなのに、元気そうな彼女を見て、思わずその胸に飛び込んでしまう。


「もう、どうしたのよ。……あぁ、怖い思いをしたのね」


 アスモディアが抱きつくキアハの背中を撫でる。その豊かな胸で泣き出した少女を受け止め慰める。慧は御者台のリアナへ。


「いいぞ、出せ!」


 リアナは手綱を握り、馬車が走り出した。城塞都市ヌンフトからの脱出――しかし、まだ危機を脱したわけではない。東門を目指す馬車、その傍らにサターナの駆る魔馬が寄り添う。


「慧! 追手がついたわ!」


 振り返る。ヌンフト守備隊の騎兵だ。数自体は少ないが、中央広場警備に配備されていたのだろう。


「予定通りだ!」


 慧は声を張り上げた。


「追いつかれない程度に、町を進むぞ。先導は任せる!」

「任せなさい。この町の道は全部頭の中に叩き込んであるんだから」


 サターナは快活な調子で返した。



 ・  ・  ・



 中央広場で騒動が起こる少し前、ヌンフト守備隊本部でもまたひと騒動が起きた。

 突如として正面入り口が吹き飛ばされた。そして駐車していた兵員輸送馬車が一台、強奪された。

 ニーダ騎士長が、壊れた正面入り口に到達した時、兵たちが駆け回り、次いで被害報告がもたらされた。


「騎士長! 囚人収容区より、例の魔人女が連れ出されました!」

「この破壊は、外から救出にきた仲間の仕業かっ!」


 くそっ――ニーダは力強い口調で言った。

 採掘場と中央広場で多くの兵が出払っている時に、まんまとしてやられた。目は副官へと向く。


「ゴレムの格納庫は無事だな!?」

「は、そちらは特に被害はなかったと」


 被害報告をまとめていた副官は、チェックを入れていたリストを確認しながら答えた。ニーダ騎士長は吠えた。


「では、伝令を出せ。ただちにゴレムを出動させろ!」

「はッ! ……いや、しかし騎士長、ゴレムの足では馬車に追いつけませんが」

「奴らは馬車を奪った。その足で中央広場に殴り込みをかけるつもりだ」


 あそこでは連中の仲間の一人が処刑されようとしているのだ。守備隊本部を襲撃してくるような奴らが、仲間を見殺しにするはずがない。


「その後、よそから来た奴らはこの町から脱出しようとするだろう! となれば、東西どちらかの門へと向かうはずだ。カーマリアンの隊にはここから近い東門に向かわせろ。西門はただちに封鎖だ!」


 敵の足を考えると、東門はともかく西門にはこちらからの増援が間に合わない。であるなら、門を封鎖してしまえば馬車を使っての脱出は不可能になるのだ。


「東門は閉めないのでありますか?」

「連中をそこに誘導するのだ。待ち伏せだ」


 そのためには東門は開けたままにしなくては。下手に退路を断たれたと連中が知れば、その後何をしでかすか見当がつかなくなる。


「オレも東門に行くぞ。残っている兵を集めろ。二個分隊でいい。副官、この場の処理は任せる!」


 ニーダ騎士長は装具を準備させると、兵を集めている間に手早く甲冑を着込んだ。胸甲、肩当、手甲、脛当てと、最低限に留める。


「待っていろ悪党どもめ。これ以上の狼藉はこのオレが許さん!」


 そんなニーダの耳に、重量物が石畳を踏みしめる音が連続して聞こえた。守備隊本部の前を機械の駆動音が木霊した。

 ヌンフトの町が何を採掘しているのか、連中はそれを思い知らされることになるだろう。ニーダの口もとが、自然と笑みの形に歪むのだった。

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