第154話、ハイマト傭兵団の精神
黒ローブの集団は、リーダーと思しき魔術師の離脱と共に逃亡した。オオサンショウウオ型の魔獣と半数近くの黒ローブの死体を残して。
リッケンシルト親衛隊も六名の死者を出した。生き残ったウィラー十人長は、自分たちが戦った黒ローブの戦士を見下ろして吐き捨てるように言った。
「トラハダスですよ、こいつら」
邪神教団の名前が飛び出す。
ユウラが見守る中、兵士の一人が、死亡した黒ローブの腕――そこに刻まれた紋様を指し示した。悪魔にも亜人にも見える顔と、何らかの文字の入った紋章の絵柄だ。
「狂信者め」
ウィラーの声には深い憎しみの色があった。部下を失った手前、その苛立ちを隠そうともしなかった。
「あの娘、どうします?」
十人長が、岩を椅子代わりに座っているキアハを見やる。その周りには慧太(けいた)たちがいた。
「連中の狙いは彼女ですよね?」
「ええ」
ユウラは小さく頷いた。
「少し事情を聞く必要があるでしょうね。ウィラー十人長、兵たちに言って周囲の警戒を。敵が戻ってくるとは思えませんが、念のために」
「承知しました」
ウィラーは頷くと、生き残りで怪我人以外の兵を動員して、全周に警戒の兵を配置する。ユウラは慧太たちのもとへと歩いた。
すっかり消沈した様子のキアハが口を開く。
「……あいつらが、ずっと私たちを監視していたなんて」
自らの身体を抱きしめるようにしたのは、寒さのせいではないだろう。
「それを知らずに、私たちは――」
「あいつら、というのは、トラハダス……邪神教団の連中で間違いないな?」
慧太が問う。キアハは、こわばった顔で地面を見やり頷いた。
「トラハダス……多分。その言葉を、彼らから何度か聞いたことがあります」
ぐっ、と少女の顔が歪む。
「あいつらに、私……!」
ガタガタと身体が震え、キアハは目に涙を浮かべる。思い出したことが、相当トラウマものだったのかもしれない。
リアナがキアハの隣にしゃがみと、彼女の肩をぽんぽんと叩いてやる。無表情な狐娘には珍しく、その動作はキアハを慰めていた。
「慧太くん」
ユウラは声をかける。黒髪のシェイプシフターは視線を寄越した。
「トラハダスは、キアハを狙っている」
「ええ」
「あいつらは彼女を『所有物』だと言いやがった」
「我々から取り戻すつもりです」
「取り戻す……!」
キアハは震えた。
「いや、です……! あいつらのところには――」
「そんなことはさせないさ」
慧太は迷いも躊躇いもない口調で言った。
「とりあえず、この山が連中の管理下だって言うなら、さっさと離れるのが吉だ」
「山を下りる……」
キアハが顔を上げた。捨てられるのを嫌がる小動物のような目だった。
「でも、外の世界は、私……」
「ここに残っても連中に捕まるだけだ。そうだろ、ユウラ?」
「そうですね」
青髪の魔術師は首肯した。それは間違いない。
だがこの娘は脅えている――ユウラは、キアハの抱いているだろう不安の種を慧太に告げた。
「でも、彼女が不安がるのはわかります。半魔人の身体を抱えてこの山の外を出るのは、とかく人間たちには少々よろしくない」
このような辺鄙な土地で隠れ住んでいる理由など、人間たちからの迫害を避けるために他ならない。――さあ、どう答える慧太くん?
「おいおい、ユウラ、本気でそんなことを言っているのか?」
さも皮肉な調子で慧太は言った。
「いつからオレたちは、『人間たちから好かれるお行儀よい集団』になったんだ?」
慧太は笑みを貼り付けた。――ああ、またやった。周囲を安心させようとするやつ。
「ただでさえ傭兵ってのは悪評高いのに、獣人の傭兵団ともなれば差別なんて当たり前だろ? いまさら半魔人が一人加わったくらいで、評判が悪くなることなんてねえよ」
元から悪いからな、と笑い飛ばす慧太。これにはユウラも苦笑である。
「まあ……そうですね」
否定の余地がないのは何とも。
慧太は腰に手を当て言い放つ。
「トラハダスの連中が仕掛けてくるなら、返り討ちにするだけのことだ。つか、あいつら放置しておくほうがよくないんじゃないか?」
彼がセラを見やる。銀髪の元姫は「そうですね」と同意した。
「罪のない人々に魔人化などという神をも冒涜する所業に及んでいる者たち。……彼らを野放しにしておくのは、さらなる犠牲者を生むだけ。彼らは討伐しなくてはならない」
そう言うと思った――ユウラは目を細めた。潔白な彼女の性格だ。こういうことは見過ごせないし、見過ごさないだろう。とはいえ――
「今はライガネンへあなたを送り届けることが先決です」
ユウラは、セラ姫に言った。
「もちろん、トラハダスが仕掛けてくるなら迎え撃ちますが」
「まあ、そんなわけだから」
慧太がキアハの前でしゃがんで視線を合わせた。
「もうキアハはオレたちの仲間だからな。仲間に手を出すような奴がいるなら、オレたちが全力でそいつらから守る。それが――」
一瞬、慧太の姿が、熊獣人であるハイマト傭兵団団長のドラウトと重なった。
「オレたち傭兵団のルールだ」
ああ、ドラウト団長――ユウラは思わず天を仰いだ。
――あなたの精神は、この少年に受け継がれたみたいですよ。
ユウラは思い出す。迫害され、疲れ果てた獣人たちを、その大きな身体と力でもって守り、助けてきた熊獣人を。
そして目の前の、シェイプシフターとなった少年もまた、傭兵団に誘われた一人だったのだ。
・ ・ ・
ナルヒェン山を下山するため、展開した兵たちを呼び戻す。
話し合っている間に敵の襲撃はなかった。念のため、アルフォンソ――黒山羊の姿に戻っている――から、分離させた鷹型分身体を複数、進路上と後方に偵察に出した。前方はトラハダスの逆襲に備えて、後方へは魔人軍の追跡の有無だ。
その間、慧太は周囲の目を盗んで、アルフォンソの背中に触れる。トラハダスの連中が使役していた大蛇の化け物一体を丸々喰ったことで、アルフォンソは、十分な量の身体を補充したのだ。そこから慧太は自身の予備分を増やすため、彼の一部を移し込む。
傍目にはただ、山羊の背中に触れているだけに見える。だがその触れた手を通して、アルフォンソの身体を構成するシェイプシフター分が慧太の身体を流れ、影へと移っているのだ。
いつもは逆だ。慧太が溜め込んだ分、影に入れておくにしても余るほどの量になる前にアルフォンソへと回していた。だから彼は、この旅に出る前、太ったような身体になっていたのだが。
――まあ、こういう時のための予備のつもりで分離したんだよなぁ。
慧太は、アルフォンソを最初に作り出した時のことを思い出していた。
そう、最初はただ、いざという時のための余剰分として造ったに過ぎない。傭兵団のアジトの部屋に置いた家具類も、そうした余剰分を外部に置いておく、言ってみれば貯金箱のような扱いだった。
最近では少し感情のようなものを持っているが、当初は感情を込めないモノ扱いでアルフォンソを作った。まだ分身体に、慧太と同じ感情を移すことが上手く出来なかった頃だ。
――これが、アルフォンソの……見てきたものか。
ぼんやりと、慧太は脳裏によぎるビジョンを眺める。それはやがて、慧太のまったく知らない景色がより強く流れ――思わず顔をしかめた。
アルフォンソは、そ知らぬ顔のままそっぽを向くような仕草を見せた。
慧太は手を離す。補充が済んだ、ではあるが、それとは別の感情が表情をよぎる。
――お前……!
いま身体に取り込んだアルフォンソの一部、それが見せる記憶の欠片が、慧太から表情を奪った。開きかけた口はしかし、慧太を呼ぶセラの声で出ることはなかった。
「出発だけど……どうしたの?」
「いいや、何でもない」
呼びに来たセラに対し、慧太は小さく笑みを浮かべて答えた。
だが内心では、とてつもなく激しい嵐が吹き荒れていた。
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