第152話、雪上の魔物
「逃げた、か。クク、そう思いたいだけだろう」
黒ローブの男は、おかしな話だとばかりに笑みをこぼした。
「連中は、我らから逃げたつもりだったのだろうが、実際のところは、場所が変わっただけで、監視を逃れたわけではない。依然として、我らの管理下にある」
「管理……」
さっきもそう言いやがったな――慧太は両手を腰に当てる。
「あんたら、マラフ村の住人たちの生活に何かしてきたのか? ただ監視しているのを管理とは言わないと思うが」
「ミュルエ」
ローブの男は言った。
「あの植物を村のまわりで繁殖させていたのは我々だ。村人が飢餓で死なぬように、な。管理に足る行為であると言えるのではないか?」
あのにんじんみたいな野菜――村人らの貴重な食糧源になっていた。
「なるほど、餌は与えていた、というんだな」
「そのとおりだ」
餌という言葉に、聞いていたセラは顔をこわばらせた。話の対象となっているキアハは、先ほどか震えていて、青ざめた顔を黒ローブの男に向けている。
「さあ、私はあとどれくらいこの不毛なやりとりをせねばならないのかな? さっさと娘を置いて立ち去れ。今なら我らの領域を侵犯したことを見逃してやる」
随分と上から言ってくれる。慧太は歪な笑みを浮かべた。――お前はこのナルヒェン山の持ち主だとでもいうつもりか。……言うんだろうな、おそらく。
慧太の目はとことん冷めていた。
黒ローブの言い分は、マラフ村の住人は自分たちのものであり、住民らは逃げたと思っていたが、実際はそんなこともなく管理下にあった。住人らが黒ローブの所有物――奴隷と言い換えてもいい――であるなら、なるほどこちらが口出しするのも筋違いと言える。
あくまで、男の言い分を信じるなら、であるが。
――いや、まあ、多分本当なんだろうが。
キアハの怯えを見れば。関わりがあるのは間違いないのだ。慧太は小声で言った。
「キアハ、君はどうしたい?」
黒髪の半魔人の少女が視線を寄越す。
「見たところ、あいつは君にご執心のようだが、君自身は戻りたくないように見えるが……?」
「わ、私は……」
キアハは俯く。言葉が続かなかった。その表情は、まるでいじめを受けているのを親や教師に言い出せない子供のようだった。……報復が怖いのだ、きっと。
「まあ、戻りたくはないよな。半魔人なんかに改造されちまった、その原因があいつらなら」
その連中から逃げたのだ。
嫌だから、そこにいたくないから。
どれだけ酷い仕打ちを受けかはわからない。だが逃げる機会があって、実際に逃亡したのだ。……それ以上の答えなどいるだろうか。
「ユウラ、セラ」
慧太はダガーに手をかける。
「悪いが、オレはこれから喧嘩を買う。巻き込んじまうから先に謝っておくわ」
「知ってました」
ユウラは微笑を浮かべた。
「なので謝罪は不要です」
「私にも謝らなくていいですよ、ケイタ」
セラは銀魔剣の柄を握った。
「正直に言って、あの男の言い分には頭にきてましたから」
「リアナ……は言うまでもないか」
狐人の少女を見やれば、彼女はすでに弓を構えていた。一人驚いた顔をするキアハに、背を向け、慧太は前へと踏み出す。
「キアハ、君の気持ちは理解した。戻りたくないというなら、傭兵団の仲間として君を守る!」
武器を抜く。その動作を見やり、黒ローブの男は失笑した。
「交渉決裂、か」
「そういうこった。まあ、あんたもどうせ、オレたちを生かして返すつもりはなかったんだろう? いいぜ、伏せてる連中を出せよ。相手になるぜ」
「気づいていたか」
黒ローブは指を鳴らした。すると周囲の雪が盛り上がり、伏せていた大型魔獣が二頭、姿を現す。
右にいたのは大トカゲ――ヌメヌメした身体に丸い頭を持つそれは、オオサンショウウオにも似た魔獣だ。その大きさは体長十五、六メートルといったところか。
左にいるのはヘビ型――鎌首を上げているさまは、コブラを連想させた。だがその長さは、オオサンショウウオ型の魔獣よりもさらに長く、頭から首まわりの太さは大の大人がすっぽり入るほど太かった。まさに化け物クラスの大蛇だ。
リッケンシルト兵たちの顔がみるみる青ざめる。慧太もまた、予想外の大物に少し早まったかなと思った。
さらにその魔獣のそばには、黒いフードローブをまとった人間と思しき連中が十名。
「愚かな連中だ。死んで魔獣らの血肉となれ。万が一にも息があれば、我々が新たな生を与えてやろう!」
黒ローブの男が手を掲げると、七つの火球が具現化。それをこちらへ放ってきた。
「障壁」
ユウラの一言。迫ってきた火球は突如見えない壁に当たったように霧散する。
戦端は開かれた。
先に動いたのは二頭の大型魔獣だ。左の大蛇の化け物が持ち上げていた頭を下げ、身体をくねらせながら突進してくる。さすがにこれを防ぐのは無理だ!
「灼炎の輪……我が手を離れ……!」
赤毛のシスター――アスモディアが素早く指先で虚空に字を描く。
「焼き尽くせっ!」
ごうっ、と炎の傍流が放たれ、突進してきた大蛇を焼き尽くす!
巨大蛇の姿焼きの出来上がり――と思いきや、魔獣はアスモディアの炎を耐えた。いや鱗の一部が燃えているようだが、大したダメージもないようだ。だが痛みは感じたらしく、突進を中断し鎌首上げると、軋むような咆哮を上げた。
一方、サンショウウオ型もその短く太い四肢を動かしながら前進を始めた。もとが巨体なだけに距離を詰めるのが早い。
「石柱!」
ユウラの呪文詠唱。地を這うようなサンショウウオの化け物の顎を、地面から突き出た石の壁が直撃する。一瞬の仰け反り、巨獣の足が止まる。
「……とりあえず、アレは僕が相手しましょう」
青髪の魔術師は、ウィラー十人長を一瞥した。
「あの黒い連中は任せます」
「了解です。野郎ども行くぞっ」
リッケンシルト親衛隊兵は、黒いフードローブ集団へと向かう。敵もまた短剣や斧を振り上げ、突撃してくる。たちまち武器同士のぶつかる音が雪原に響き渡った。
右はユウラが抑えている。しかし左の大蛇は、アスモディアの魔法を受けてもビクともしない。
彼女とてレリエンディールでは高い魔術の素養を持つ。その火力は複数の敵を消し炭に変えるほどだ。だがその力を持ってしても、大蛇の化け物には火力が不足していた。
正面を迂回する大蛇。雪をかきわけ、側面に回り込もうとしている。有効打にはならなかったが、大蛇とて、アスモディアの魔法を嫌だと感じる程度の威力はあったのだろう。
慧太は、後衛の親衛隊兵に叫んだ。
「こっちはいい! あんたたちは前の連中の援護に行け!」
あの蛇の化け物を、普通の人間が相手するのはまず無理だ。そこで無為に犠牲者を出すくらいなら、黒ローブの連中と戦っているお仲間を助けに行かせたほうがまだ意味がある。
わかった、と親衛隊兵が強張った表情で頷き、大蛇とは反対側へと走る。残るは、慧太、セラ、キアハにアスモディア、そしてリアナとアルフォンソ。
――右は、ユウラ一人で何とかしているんだけどな……。
慧太は頭を働かせる。
――アスモディアの魔法攻撃はこの大蛇には威力不足。おそらくリアナの弓も奴に致命傷は無理。キアハはおそらく殴り一択なので、大蛇が元気なうちは危ない。セラは『聖天』の一撃なら、あるいは……ダメだ。奴の動きを止めないとチャージしてる間がヤバイ。
そのセラが光の槍を具現化させて大蛇に放つ。巻き上げた雪の壁が、光の魔法の頭への直撃を阻む。ぐるりと後方へと回りこんだ大蛇はその進路を変えた。
「……来るぞ!」
雪を割り進む大蛇の化け物は身体をうねらせながら突っ込んでくる。リアナが弓を、セラが光の魔法で反撃を試みようとするが、敵は巨体ゆえに距離が縮まるのが早い。
「無理だ、かわせ!」
とっさに左右へ散る。慧太は右、セラ、アスモディアは左へ。リアナとキアハも分かれるが、大蛇の化け物は大口を開けて、キアハのほうへと方向を変える。
「……!?」
逃げるキアハ。恐怖に引きつるその表情。おそらくトラウマものなのだろう。黒ローブの男と遭遇してからの彼女の動きが硬い。
逃げられない――このままではキアハは大蛇に丸呑みにされる。
慧太は素早く、その手に拳ほどの塊を具現化する。
「これで、ビビれよっ!」
爆弾に似たそれをスローイング。それはグンと伸び、キアハと大蛇の間に飛び込むと、眩いばかりの光を放った。
閃光弾。
眼前で光の目潰しを喰らった大蛇が悲鳴をあげ、一時的に獲物であるキアハを見失った。
そのあいだに、慧太は走る。のたうつ大蛇の化け物を恐怖の目で見上げているキアハのもとにたどり着くと、その手を引っ張った。
「こっちへ来い!」
だが逃げるだけでは、何ともならない。慧太は憎らしげに魔獣を見やる。それでなくてもこの巨体だ。戦場をうろつかれるだけでも、周りへの影響も計り知れない。
「ケイタ!」
セラの声。大蛇の化け物、その目が慧太とキアハを見やる。牙をむき出し、再び魔獣は襲い掛かってきた。
その大きな口は、まるで地獄の入り口のように暗く、そして深かった。
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