第129話、トラップ


 狼砦の中庭。入り口から正面の位置にある噴水に、いつの間にか人影があった。張り付いた水滴が滴っているのか、ぽたぽたと水面に波紋を作りながら。


 ベルゼは細剣を抜いた。周囲の魔騎兵が武器を構え、魔獣ゴルドルが飛び掛らん勢いで吠え掛かる。

 明かりに乏しく、シルエットじみているそれは、明らかに魔騎兵のそれとは異なる。

 騎士のようだ。兜には、天使の羽根を模した飾りがついている。人間の女――


 噴水の中ほどの台座に座る女騎士は足を組む。右足が噴水の水を飛ばし、ベルゼからさほど離れていない石畳の上を跳ねた。


「いつからそこにいた?」


 ベルゼは問う。魔騎兵がすでに百五十名ほど、同数の魔獣もこの場にいる。それらに気づかれずに、どうやってこの場所に現れることができるのか。

 得体の知れない不気味さ。

 やがて、空を覆っていた雲の狭間から、月明かりが差し込んだ。


 輝く銀の鎧をまとった美女――アルゲナムの姫騎士。

 周囲を取り囲む兵たちが、その姿を捉えたが、正面で対峙しているベルゼは違和感に気づき、次に驚愕の面持ちに変わった。


「な――サ、サターナさまっ!?」


 艶やかな長い黒髪には紅い炎の如き不思議な髪が混じる。つり目がちな目、その瞳は紅玉色。どこか肉食獣を思わす獰猛さを感じさせる顔立ち。


 圧倒的な美女!


 しかし、その衣装は、アルゲナムの姫騎士を思わす銀甲冑に羽根付きの兜。

 ベルゼは困惑を深める。かつて、七大貴族筆頭と言われながら、一年前、任務中に忽然と姿を消した女魔人が何ゆえ、白銀の戦乙女のような格好をしているのか。


「ベルゼぇ……」


 サターナは気だるげな声を出した。


「久しぶりの対面だけど……ちょっと頭が高いかしら?」


 言われたベルゼは、突然の言葉に意味が理解できなかった。


「これは昔の仲間としての忠告」


 白銀の騎士姿のサターナはすっと立ち上がると、ベルゼを睥睨(へいげい)した。


「いまの私のご主人様の命令だから、こんな格好してるけれど」


 芝居がかった口調で、夜空に向けてその手を伸ばす。


「『消えるとわかっていて作られる』ってのも、虚しいわよね」


 それで――サターナは獲物を見つけた獣のように目を細めた。


「伏せなさい」


 クスリと、サターナが笑ったその時、砦の中庭に地獄もかくやの劫火の嵐が吹き荒れた。

 それはたちまち、サターナの姿を消失させ、魔騎兵の集団を飲み込み――ベルゼもまた炎に包まれた



 ・ ・ ・



 砦で一番高い位置にある塔。そこにいたのはユウラとアスモディアだった。

 見張り塔として機能するその場所は、砦の外はもちろん中庭もよく見渡せた。

 セラに化けたシェイプシフターに釣られて、砦の内部に殺到した魔人騎兵部隊。おおよそ二個中隊――百五十騎から二百騎の間くらいが入り込んだところで、ユウラは『爆砕』の魔法を使った。

 あらかじめ砦内の入り口をシェイプシフターが壁に化けることで塞ぎ、城壁の階段も壁に偽装。噴水に化けたアルフォンソの一部に引き寄せられ、魔人兵が明かりに集う羽虫の如く一箇所に集まったところで。


「アルフォンソって、あんな芸達者でしたっけ?」


 敵指揮官であるベルゼと何やら会話していた様子のサターナ――あれはユウラの記憶違いでなければ、慧太ではなくアルフォンソの身体から生み出された分身体だ。


 アスモディアは淡々とした目で、爆炎に包まれた魔騎兵らを見下ろした。……猪突猛進な単細胞であるベルゼと、彼女が自慢にしていた魔騎兵がたった一瞬で炎に消えた。我が主にかかれば、この程度造作もないということだ。

 七大貴族のよしみというべきか、ベルゼに対しては好きではないが嫌いでもなかったアスモディアは、一種の哀れみの感情を抱く。

 だが、これが戦いというものだ。

 ベルゼやその部下たちが、ひとたびマスターであるユウラを攻撃するようなことがあれば、アスモディアは槍を手に同胞と戦う。そうなれば、同胞からも『敵』として認識され殺しにかかられる。……まあ、いまは死ぬことはないのだけれど。


 ――酷い女だわ、わたくしは。


 裏切り者という立場を、どこか楽しんでいるところがある。胸の奥が疼いていたりする。その感情について、誰にも言うつもりはないのだけれど。


「……さて、次のお客さんが来たようですよ」


 見張り塔から、ユウラが眼下を見下ろす。

 突然内部で起きた爆発。指揮官であるベルゼが飲み込まれ、外にいた部下たちが慌てて砦内部へと駆けつけたのだ。……自ら地獄の釜に飛び込んでいるとも知らずに。


 砦の門を通って中庭に侵入する魔騎兵隊。勢い込んで突入してくるが、そこにある無数の黒こげの騎兵、魔獣らの姿に驚いて足を止める。


 最初に飛び込んだ部隊の変わり果てた姿に呆然とする中、後続の小隊は左右に展開する。やがて中庭のいたるところに転がる友軍兵の中に生存者を探し、駆け寄ったり敵の姿を探して周囲を警戒した。

 見張り塔を見上げる者はいない。中庭で起きた爆発なのだからその近辺に敵がいると思い込んでいるのだ。


 そんな中、ユウラはじっと魔人兵らの動きを注視している。アスモディアは、そんな主の横顔を見やる。彼は、どのタイミングで魔法を発動させれば最大の効果が発揮できるかを見定めているのだ。


 魔騎兵らは先ほどより多く、砦の中庭に入り込んでいる。指揮官がやられ、敵を討たんと血気にはやっているのだろう。

 騎兵というのは、考えている時には半ば行動を開始するものだ。突撃というのはひとたび走り出せば早いが、隊列を組んだり、方向転換する際など、細かなところで隙ができるところがあった。そのため、決めてから動くのでは手遅れになる。

 だから考えながら、すでにある程度の行動をとるのである。いわば職業病に近い癖だ。


 この場合、外にいた魔騎兵たちは、中で起きた爆発に対し、味方の援軍と救助を即断した。……この中庭全体が罠である可能性を考えるよりも先に。


「おや」


 ユウラが、興味深いと言いたげに眉を動かした。

 中庭、噴水があったと思しき場所に、指揮官らしき騎兵が声を張り上げつつ砦の入り口方向へと走り出すのが見えた。まだ息があると思しき仲間を抱えて――


「罠に気づいたようですね」


 青髪の魔術師は、その口もとに歪んだ笑みを浮かべた。


「爆砕」


 再び中庭に光が弾け、魔騎兵らで混雑する一帯を巨大な爆炎が飲み込んだのだった。



 ・ ・ ・



 砦内で爆発が起こる少し前に時間は戻る。

 門から正反対の北側を包囲していた魔人軍軽歩兵第三大隊(北方包囲部隊)で動きがあった。

 正確にはその第一中隊――アルゲナムの姫騎士を追って北側の森に先陣を務めた部隊だ。多くが正体不明の敵の襲撃を受け、一時森を迷子になっていたが、その不明となった者が多くが合流を果たしていた。

 定数には及ばないが、百人は残っていた彼らがまず行動を起こした。


 あろうことか、味方の兵を攻撃し始めたのだ。


 突然、手にした短剣や手斧で、同僚兵の背後から襲い掛かり、その首をかき切り、血の海に沈めた。

 声は上がらなかった。故に、近隣の部隊にその同士討ちが伝わることはなかった。

 殺害されたのは二六名。残る八〇近くの兵は後退し、歩兵第一大隊(東方包囲部隊)が布陣している方向へ移動を開始した。

 同様に、北方部隊の別の中隊でも、忽然と十数名の兵が消えた。兵の多くが砦に注目し、突撃を今や遅しと身構えていた時だったため、ひっそりと隊を離れた者に気づいた者はいなかった。

 何人かは目敏く、列を移動する者を見たが、待っている間に小便でも済ませるために移動したのだろうと思い、深く気にしなかった。……どこにでも間の悪い奴はいるのである。


 やがて砦の中庭で大きな爆発音と共に、赤々とした光が闇の中浮かび上がった。

 包囲に務めていた魔人兵らは、前触れもなく起こった爆炎と音に注意を引かれる。


 それは、トラップが発動した瞬間。

 そして、もう一つのトラップが発動する合図でもあった。

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