第99話、行動開始
分身体のカラスは宮殿より放たれた。
それは王都の宿に待機するユウラたちの元に届き、慧太の指示を伝えた。
「いよいよ、王都からおさらばですね」
準備はいいですか――青髪の魔術師が言えば、
荷物をまとめ、部屋を出る。
宿の一階にいた主に声をかけ、挨拶した後――宿代は先払いだった――外へ出る。その時には影に潜んでいた
日は傾き始め、空は紅色に染まりつつある。流れていく雲が紅と灰色が混ざり合って、どこか不気味だった。
表通りに出ると、武装したリッケンシルト兵の一団とすれ違った。ただその足並みは揃っているとはいい難く、ギクシャクしている。
アスモディアは冷めた目で、一団の背中を見つめた。
「徴兵された住民のようですね」
「ええ、先日出兵した王子軍に王都の守備兵が割かれましたからね」
ユウラは他人事だった。その足は、王都中心のハイムヴァー宮殿方向へ向かう。
「王都の守備隊は籠城を決め込むようですね」
「相手はベルゼ率いる魔騎兵隊。野戦を挑むより、城壁を盾に防戦したほうがいいと……実際、悪くない選択です」
アスモディアは言った。先日、ベルゼ軍は野戦に強いが城攻めは大したことないと言っていた当人である。
「もっとも、野戦と比較して、という話ですが。……油断すれば彼女とその軍は一気に王都に流れ込みます」
ちら、とリアナがアスモディアを見た。
無言だが説明を求める気がして、赤毛の女魔人は答えた。
「魔騎兵の操るゴルドルは馬に比べて、ある程度の高低差を越えられるのよ。動きも柔軟だから、市街地でも馬の騎兵よりも汎用性が高いし」
「ふうん」
興味があるのかないのか淡白な返事を返すリアナ。
アスモディアは、答え損だったかしら、と狐人の少女を見つめる。
リアナは再び振り返った。
「ゴルドルって、民家の屋根から屋根を跳んだりできる?」
「垂直のジャンプでは無理ね。ただ何か足場があれば屋根に登れるでしょうし、建物の間隔によっては屋根から屋根へ跳ぶこともできるわ」
ふうん、と、リアナ。
つかみ所がないなぁ、とアスモディアは苦笑する。……同じ七大貴族のベルフェという無表情っ子に雰囲気が似てると思った。
その後、やはりリッケンシルト兵の分隊、それを幾つもすれ違いながら、三人と一頭はハイムヴァー宮殿に到着した。
南側に向けて開かれている門。その前の広場に丸太を使った柵――
兵や住民たちが、宮殿まわりに即席の陣地を構築しているのだ。王都を囲む城壁が破られた時の対策か。……そんな備えに走っているあたり、悲壮感が漂っている。
ユウラは壁に沿って歩く。夕日を高い防壁が遮り、影となっている東側に回りこむ。
「さて……このあたりですか」
ユウラは立ち止まった。
防壁を見上げれば、少数ながら歩哨の姿がある。
視線を転じ、防壁から王都の建物へ。東南東方向に細い道が走っていて、それが王都を囲む城壁あたりまで延びている。
「……うーん」
ユウラは眉をひそめた。アスモディアが隣に立ち、同じく顔をしかめる。
「障害物ができてますね」
「王都の城壁が突破された時のための、応急の陣地のようですが……」
王都全体を要塞にでもするつもりなのか、リッケンシルト軍は。
驚異的な進軍速度で王都に迫られたこと、王子軍を速攻で撃破されたことが、彼らに必要以上に脅威を抱かせているのかもしれない。
「脱出の際は、これも壊していくしかないでしょうねぇ」
ユウラは苦笑するのである。傍らの黒馬をぽんと叩いた。
「そういうわけで、アルフォンソ。あなたの身体から分身体を出してください。バリケードの傍に潜んで、時がきたら爆弾に……爆弾はわかりますね?」
アルフォンソは答えなかった。だが彼の影から、黒い水溜りのような分身体が次々に分離し、地面を走る。それは建物の影に入るとそのまま人目につかないよう移動する。
「便利なものですね」
魔人女が皮肉っぽく言えば、ユウラは頷き返した。
「頭のいいシェイプシフターは有能です。そうそう、この格好はまずいですね。着替えないと」
これからやろうとしていることを考えると、リッケンシルト側に正体がバレると厄介だ。何せ、ユウラたちは一度ハイムヴァー宮殿に入り、親衛隊長ほか何人もの人間に姿を見られているのだから。
黒い外套、そして黒い頭巾。ユウラはそれを被ると当然ながら青髪は隠れ、目元だががわかる程度に顔を覆った。
「まるで盗賊か、砂漠の民みたいですね、マスター」
アスモディアも、周囲に人の気配がないのを確認して、黒頭巾を被る。ユウラは彼女の全身を見やり、苦笑する。
「あまり変わらない気もしますね……」
「修道服がマズイですね」
アスモディアは自身の身体を見下ろす。
そのあいだ、やはり黒頭巾を被るリアナを見やり、ユウラは言った。
「ではリアナさん、お願いしますね」
「わかった」
狐娘は東側の建物の傍まで行くと、木箱を足場にその屋根へと飛び上がった。
宮殿の防壁にいる兵に見られないよう、すぐに屋根にある煙突の影へと潜む。背中に下げていた弓をとり、屋根から見える細い通りをじっと観察するのだった。
間もなく、日が暮れようとしていた。
・ ・ ・
扉を叩く音がした時、傍らに控える親衛隊兵二人は同時に振り返った。
「はい」
『ちょっと、兵隊さん、いいかしら?』
扉ごしに甘ったるい女の声。セラ姫と一緒にいるサターナという女性だ。
命令を受け、セラ姫の部屋を警備――監視とも言う――していた親衛隊兵らにとって、どう扱っていいかわからない存在である。
王子はおろか、リンゲ隊長やその他重鎮らも彼女に関しては何の指示も出していない。
いつの間にかセラ姫と一緒にいて、いつまでこの宮殿にいるつもりなのかわからない。かといって、彼女が何か問題を起こすわけでもなく、兵たちはそのまま放置していた。
一応、大貴族の娘だか姫などと言われているのである。一介の兵ごときがどうこう言える存在ではないのだ。
「何か?」
『ごめんなさいね、セラの様子がおかしいの。ちょっと来てくれないかしら?」
セラフィナ姫の様子がおかしい? ――何か病気か、それとも……。
親衛隊兵は顔を見合わせた。セラ姫に何かあったら問題である。
「失礼します……」
一人が扉の取っ手に触れる。押し開けようとしたまさにその時――
すっと扉が引かれた。結果、親衛隊兵は部屋へ突っ込む形となり、そのまま倒れこんだ。
驚いたのは、もう一人の兵だ。
「お、おい――」
大丈夫か、と声をかけようとした時、視界に漆黒の花――いやドレスが舞った。
押さえ込まれている――兵がそれに気づいたとき、すでに固められていた。首の頚動脈を圧迫され、ふっと意識が抜けた。
わずか数秒のことだった。
部屋に倒れこんだ兵はどうしていたか? 彼は不思議なものを見て硬直していた。
中央に置かれた椅子にセラ姫が座っていた。満面の笑みを浮かべて。
どういうことだ? すっかり困惑した兵士は、打ちつけた痛みと相まって、相方が倒れたことに気づかなかった。
背中に圧力。何かが圧し掛かったのだ。そこで初めて兵はハッとするが、振り返ることを許されず、まわされた腕に首を固められてしまった。
「後頭部におっぱい押し付けられるってどんな気持ち?」
闇に意識が呑まれていく最中に聞こえたそれに、兵が返事することはなかった。
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