第93話、王子のスピーチ


 一歩一歩、リーベル王子が近づいてくるたび、セラの緊張は高まった。彼の立てる靴音が耳朶を打ち、自身の鼓動と重なる。


 ポンと背中を軽く叩かれる。サターナ――黒髪の美姫に化ける慧太だ。


 しっかりね――そう言われているようで、セラは溜めていた息を吐き出した。……その存在がどれほど頼もしいことか。

 大ホール内での視線がリッケンシルトの王子に注がれ、そのままセラとサターナへと集まった。

 やがて、ブラウンの髪を持つ長身の王子は立ち止まった。


「セラフィナ」

「リーベル王子」


 セラは白銀に輝くドレスの裾をつまみ、優雅な礼を向ける。リーベル王子は感嘆した。


「……一段と美しいよ、セラフィナ」

「ありがとうございます、王子」


 セラは節目がちのまま応えた。リーベル王子は頷くと、視線をスライドさせる。


「そちらの女性は……?」

「初めてお目にかかります、王子殿下」


 セラの隣で、漆黒のドレス姿の美姫が一礼する。


「サターナ・シェードと申します。このたびは、殿下の誕生日という祝いの場にお招きいただき誠に感謝しております」


「招待」と、王子は大げさに驚いて見せた。

「いや失礼。あなたのような美女は、一度見たらおそらく忘れないだろう。初めて聞いた名前だが、はたして招待しただろうか?」


 疑われた――セラは内心ドキリとしたが、慧太サターナは微塵も動じなかった。


「あなた様の招待された貴族閣下の同伴者として参りました。……招待状には同伴者は認められておりましたが」

「そのとおりだ。……だから気になってね。誰の同伴者か」

「その言いようでは、私は疑われているのでしょうか?」


 サターナは怯むどころか、妖艶な笑みを浮かべた。


「リッケンシルトの優秀な兵が警備する中、私が忍び込んだと?」


 ――ちょっとケイタ……!


 セラは冷や汗が噴き出る。サターナの言い分は、そのまま事実なのだから。


「いやまさか」


 誤解しないでくれ――とリーベル王子は笑った。


「あなたのようなお美しい女性を連れてきた者から、あなたの話を聞きたくてね。できればもっと早く知り合いたかった」


 まあ――とサターナのどこからともなく小さな扇を出すと、それで口もとを隠しながら笑った。王子に向けて流し目を向けつつ。


「幸か不幸か、私まだ一人身なんですのよ。もしよろしければ、どこか二人っきりになれるところでお話しません?」


 ――誘ってるぅ……!


 セラは何とか表情に出さないように必死だった。どういう状況だこれは?


「それは……とてもそそられる提案だ」


 リーベル王子が鼻の下を伸ばしかけ、隣にセラがいることを思い出し咳払いした。


「折角なのだが、それはまたの機会に」

「あら、残念……フラれてしまいましたわ、セラ」


 サターナはセラへと視線を向ける。セラは「え、ええ」と頷くことしかできなかった。


「それより王子殿下。セラ姫から、あなたに重要なお話があると」


 きた――アルゲナム奪還の意志、王子の真意を確認するという、セラがこの場でしなければならないこと。

 アルゲナムの未来。これからのこと――それが掛かっている。……逃げられない。


 大丈夫よ――サターナの小さな、しかし励ましの声がセラの耳に届く。そう彼女――彼がついているのだ。心強い仲間が、背中を支えてくれる。


「リーベル王子――」


 震えそうになる足に力をいれ、真っ直ぐに立つ。青い瞳を、リーベル王子に向け――


「ああ、わかっているよ、セラフィナ」


 王子は、セラが口を開くより先にそう言った。

 わかっている――その言葉に、何故かホッとしてしまう。セラが真に望んでいることをわかってくれて……。


「だが少し待ってくれ。皆が僕のスピーチを待っている」


 リーベル王子が顔をあげて視線を向けた先には、こちらに注目するオルター王とアーミラ姫、貴族らゲストたち。


「その後で今後のことをじっくりと話そう。……いいね?」

「……はい」


 セラは頷く。リーベル王子は父王らが待つ場へと歩き去る。

 妙な緊張から解かれたセラだが、何も確認していないという事態にじれったさも感じていた。


「逃げられたわね」


 慧太サターナは腰を折り、身体をセラのほうへ傾けながら言った。


「タイミングが悪かったかしら」

「そうね」

「ねえ、セラ。……王子のスピーチって長いの?」


「たぶん」と、セラは苦笑する。サターナは何とも気楽そうだった。


「王族の挨拶なんて、大抵は長いものだから」

「うーん、偉い人の話は長くて困るわ」


 会場の視線が、王族に向けられる頃、まずオルター王が集まった貴族諸侯に挨拶を始めた。

 扇で隠しているが、サターナがあからさまにうんざりした顔を浮かべたのをセラは見逃さなかった。

 リッケンシルト国の現状と未来への展望。自身の後継であるリーベル王子を褒め称え、より一層の繁栄を口にするオルター王。

 コウチョウのお話並みに退屈――とサターナが呟いたが、コウチョウって何だろうとセラは思った。


「我が自慢の息子であり、リッケンシルト国の次期王であるリーベル――」


 オルター王の演説は、王子へと引き継がれたようだった。一歩前に出て会場の注目を集める凛としたリーベル王子。


「我が父オルターに仕えし貴族、騎士諸君。今宵こよいは私の誕生の日を祝うべく集まったこと、感謝する!」


 よく通る声だった。老いの進んでいる国王に比べても、若い王子は力強かった。父王の演説をなぞるように、自分の考えも交えて語るリーベル王子。


「……長い」


 サターナはあくびを噛み殺した。セラは眉をひそめる。


「はしたないですよ」

「だって……」


 さっきも聞いたわ――と彼女は口を尖らせるのである。

 気持ちはわかるから、セラもそれ以上咎める気はなかった。


「さて、この祝いの席で、もうひとつ諸君らに報告がある」


 近場の者と囁きあっていた者もそれをやめ、王子へと注目する。


「兼ねてより、私の妻となる女性の件で、皆をやきもきさせていたことと思う。……私もそろそろ身を固めないといけない歳だ」


 自嘲めいた口調に、さざ波のような笑いが沸き起こる。


「そして私は、妻とすべき女性を決めた」


 若い貴族娘たちから「うわぁ」と声が上がる。期待なのか悲鳴なのかわからないそれに、サターナは険しい顔になった。


「嫌な予感がするわ」


 セラも絶句する。婚約を申し込まれているのだ。それをこの場で皆の前で言うつもりなのだろうか? ……こっちは了承していないのに!?


「我が后となる女性の名は――」

「――私かしら?」


 ぼそっと、真顔で慧太サターナが言った。セラは思わず噴き出しそうになる。何てタイミングで言うのよ――


「聖アルゲナムの王女、セラフィナ・アルゲナムを我が妻と迎えることをここに宣言する!」


 リーベル王子は、よく響くその声で会場全体を騒然とさせた。

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