第74話、裏切りのアスモディア
バーリッシュ川を越え、対岸へと渡る。
ゴルド橋が分断されなければ、昨日の昼には通過しているはずだった。
二日前から昨日までの大雨がなければ、やはり舟を使って対岸についていてもおかしくなかった。
一刻も早くライガネン王国へと向かいたいセラにとっては、強い焦燥を抱かせる状況だ。
慧太は、ユウラと机を挟んで座っていた。
新しく用意された部屋は二人部屋で、椅子もきちんと二つあった。……アスモディアは立ちっ放しである。
「川を渡る算段は、アルフォンソのシェイプチェンジで橋を作り、渡るということで」
ユウラは広げた紙に羽根筆を走らせ、橋をあらわす一本棒をつなげた。
紙上には川を挟んだシファードの町と対岸の大まか地形が書き込まれている。
「……セラさんに、アルフォンソの正体がシェイプシフターであることをバラす……それでいいですね、慧太くん?」
「ああ」
慧太は頷いた。ちら、とアスモディアを見やる。
「前にユウラが言っていたとおり、シェイプシフターの能力はこの旅でも色々役に立つだろうからな。……セラには段階的に慣れてもらおうと思う」
そのほうが、慧太としても自分の能力露見に気を使うことも減るはずだ。
実際、もっと早くセラにシェイプシフターの力を開示しておけば、橋が壊れていようが川が荒れていようが、昨日の夜には対岸に渡れたのだ。
旅の遅れで言えば、慧太にも負い目があった。
「セラ姫がどこまで、アルフォンソの正体に抵抗を感じるか」
ユウラはカップをとり、お茶を口にした。――先日、セラやリアナに振る舞ったあのお茶である。
「嫌悪感を抱かれないなら、あなたの正体も明かせるのでは? 慧太くん」
「……彼女には、できればオレの正体を知られずに済ませたいけどな」
「臆病なのね」
アスモディアが口を挟んだ。慧太は皮肉げに口もとを歪めた。
「人間ってのは多種族には排他的なんだ」
魔人に対する敵意――は、人間だけでなく魔人も抱いているからお互い様ではある。
一方、獣人に関しては友好的な種族もいる反面、人間側が拒否しているところもある。このシファードにだって、獣人お断りの看板を掲げている店もあった。
「人がいない深夜に、誰にも見られないうちにシェイプシフターの能力で橋を作り、渡る。……第一の問題はそれで解決です」
「第一? 他にも何か問題があるのか?」
「ええ、我々にとっては厄介な」
ユウラは、アスモディアを見上げた。羊角をもった女魔人は頷いた。
「このシファードの町近辺に潜んでいる魔人部隊」
青髪の魔術師が羽根筆をよこすと、アスモディアは机の上に上半身を被せ――そのたっぷりある大きな胸が慧太の目の前にちらついた。
「町の南側に三個小隊。……対岸には一個中隊規模を潜ませています」
ここと、ここと、ここ――アスモディアが紙に描かれた地形に印をつけていく。
慧太の傭兵知識では、この世界の兵、一個小隊がだいたい三十人程度。一個中隊はその三から四倍。少なくとも百人程度はいると見ていい。
「対岸にも?」
だとしたら橋を渡ったらそこで魔人部隊と、出くわしそのまま戦闘になる可能性大ということか。
「随分と手回しがいいじゃないか」
もちろん皮肉だ。アスモディアはすっと背筋を伸ばし、両手をその細い腰に当てた。
「川を渡るためにこの町へ来るだろうことは想定の範囲内。ただ、いつ渡るかについてはわたくしとて完全に予測することはできなかった。橋は落としたけれど、舟を使うという手もあるし、対策はとるわ。当然でしょう?」
いちいち揺れる胸である。
「用心深いことで」
慧太は鼻で笑った。
「で、対岸に一個中隊はわかるが、こっち側が三個小隊と若干少なめなのは何故だ?」
「本当は一個中隊いたの」
アスモディアは、わざとらしく溜息をついた。
「専門の夜戦小隊がね。……貴方たちが全滅させたでしょうが」
「ああ、ブオルン人の」
なるほど――慧太は首肯した。アスモディアは続ける。
「舟で渡る場合に備えて、近くの集落にも部隊を派遣していたから、それが戻ってくることも込みでこの配置にしたのよ」
「どれくらいの戦力なんだ?」
「東西にそれぞれ一個中隊」
「……さっさと川を渡らないと、ヤバくないか?」
視線をユウラに向ける。対岸に1個中隊。逆にこちら側の魔人部隊、三個小隊には二個中隊の増援がある。つまり合流されれば、敵兵が二百名前後増えることを意味していた。
「こいつらがシファードの町に攻め込んでくるなんてことは――」
「わたくしが音信不通となれば、今夜にでも痺れを切らして攻めてくるんじゃないかしら」
アスモディアがどこか他人事のように言った。
「音信不通なら」
ユウラは口を挟んだ。
「魔人部隊と連絡がつけば、彼らは攻めてこない、ということですね?」
「……はい、そうなります」
アスモディアは少し身を引く。ユウラは小首を傾げた。
「例えば、あなたが全部隊に撤退指示を出せば、対岸の部隊もいなくなるのでは」
「……」
図星のようだった。そうとなれば、話は早い。
「ではアスモディア。あなたのマスターである僕が命じます。あなたの指揮下にある部隊に即刻本国へ帰還するよう指示を出してください」
「わたくしに部下に連絡をとれ、と……?」
「できない、とは言わせませんよ。あなたが使い魔を使って町の外に連絡しているところを僕は見ているんですから」
「……仰せのままに」
アスモディアは頭をたれた。気乗りしないのは、慧太の目から見てもわかった。ユウラは再びお茶を口にした。
「……別にあなたが契約によって、僕の下僕になったことは部下には告げなくていいんですからね? あなたはただ、魔人部隊を下がらせるだけで。適当な理由を考えるくらいはできますね?」
「……! 感謝します。ユウラ様」
赤毛の女魔人は、淑女のような礼で応えた。色っぽい外見からは想像がつきにくいが、綺麗なお辞儀だった。
裏切ったことを彼女の口から部下に知らせなくていい。これがどれだけ当人にとってありがたいことか。自らの意思で離脱したならともかく契約によって縛られている身では、堂々と裏切ったなどと口にするのはよほどの覚悟がいるだろうから。
それをしなくていい。アスモディアのマスターであるユウラは言ったのだ。
アスモディアの造反はいずれ魔人たちも気づくだろうが、言い訳できる余地は残している。さらに新たな追跡者が任命されるまで、セラを魔人の追手から遠ざけることができるという利点もある。
これがすべて上手くいけば――
「戦わなくても先に進めるってわけだ。一石二鳥だな!」
「三鳥くらいじゃないですか。理由もわからず本国帰還では、セラ姫の所在も生存も不明。指揮官たるアスモディアも行方不明では、かなり時間を稼げるのではないでしょうか」
ユウラは言った。慧太は感心する。川に橋――待ち伏せ必至の場所で戦闘を避けられるのだから。
「無闇やたらに殺せばいいってもんじゃないことだな」
「何事も『情報』ですよ」
ユウラは言うのである。
それにはまったく同感だ――慧太は頭の後ろに手を回して、椅子にもたれた。
「すげえよ、ユウラ。問題解決じゃん」
「光栄です、慧太くん」
ユウラは笑みを浮かべると、アスモディアを見た。
「では、アスモディア。使い魔を召喚し、部隊に撤退命令を出してください。僕らは席をはずします」
「承知しました、マスター」
「……見てなくていいのか?」
慧太は問うた。
「こいつが余計なこと言ったりしないか」
「心配いりませんよ、慧太くん。仮に彼女が部隊を下げずに、攻撃されるような事態になったら――」
ユウラは、視線だけで敵を殺せるような目になった。
「その時は、命はないですから」
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