第63話、美女の誘惑
その女性は、いかにも旅人を思わす外套をまとっていた。
フードをとると、ふわりとした赤毛がこぼれ出て、整った顔だちが露になった。
翡翠色の綺麗な瞳。真っ赤な唇は艶やかであり、美しさの中に、妖艶な空気をまとっていた。
慧太とセラが出た後も、宿の一階のバーで粘り続けていたユウラは、その美女をしばし見つめていた。
女性としては大柄な部類だ。
赤毛の彼女もまた、それとなく視線を配る。自身が他の客や従業員の視線を集めていることに気づくと穏やかな笑みを浮かべた。
周囲からうっとりとした吐息が漏れる。
バーで飲み物を注文した美女は、何を思ったかユウラのもとへやってきた。
「ここ、よろしいかしら?」
「どうぞ」
ユウラは頷いた。
席は他にも空いているのに、わざわざこちらへ来る理由はなんだろう。普通に考えれば、気があるから、と解釈するべきか。
普通なら――
外套の下は黒のワンピースタイプのドレスだった。
どことなく身分の高さを感じさせる格好をしている。彼女から漂う香水の香りは甘いのだが、ややきつめ。
その豊かなバストは、まさに巨乳と呼ぶにふさわしい。――あからさま過ぎるな、とユウラは思う。まあ、その胸については嘘偽りのない本物だ。
ユウラは、彼女の豊満な胸もとから視線をはずした。
美女はそんなユウラをにこにことした顔で見つめ、彼が胸から視線をはずすと、さも今気づきましたとばかりにくっきり谷間の見える胸もとに手を当てた。
「あの、魔術師の方、ですよね?」
「わかりますか?」
ユウラは答えた。
紋様の入ったローブや魔法使いらしい杖は携帯していない。にも関わらず、彼女はユウラを魔術師の方、と言ったのだ。
「わかりますよ」と美女は微笑んだ。
「わたくしも同業ですから」
「あなたも?」
ええ、と赤毛の美女。人の奥底の感情をくすぐるような妖しさで。
「わたくし、今一人ですの。できれば一緒に旅をしてくれる殿方を探しているのですが……貴方、わたくしとご一緒しません?」
「僕を?」ユウラは苦笑した。
「大変魅力的なお誘いだ。普通の男なら、あなたの誘いを断るなんて愚かな真似はしないでしょうね」
その言葉に美女はにっこりと笑みを浮かべた。大抵の男ならそれだけで言いなりになりそうなくらいに魅惑的だ。
「ただ、僕は同伴者がいまして。残念ですが」
「お断りになりますの?」
美女は明らかにがっかりしたように肩をすくめ、上目遣いの視線を寄越した。
「か弱いわたくしに、一人で旅を続けろと?」
「ここまで旅をしてこられたのなら、これからも乗り切れるのでは?」
「……これまでは連れがいました。でも、もうこの世にはいません」
美女は悲しげに首を振るのだった。
香水の強さは、一応説明はつくか。長旅ともなれば、体臭は凄まじいことになるのだ。そのあたりを気にするのもまた、身分の高さをにおわせる。
「お気の毒に」
ユウラは哀悼の表情を浮かべる。
美女は胸の前で手を組んで祈るような仕草を見せた。
「ぜひ、お力をお貸しください。どうか一人にしないで」
「……」
「――わたくしの目を見てください……!」
すがるような瞳。綺麗な翡翠色の瞳は、しかしうっすらと妖しく光り――
――フフ、わたくしの『魅了(チャーム)』にかかれば、男を操るなど容易い……!
赤毛の女――魔人アスモディアは勝利を確信した。
セラフィナに協力するこの魔術師を操り、アルゲナムの王女を亡き者に。
翡翠色の瞳は、本来の黄金色に変化する。
魅惑の技は、アスモディアの一族、カペル家の女が先天的に身に付ける力。それでなくても魔人界隈でも有数の美貌を持ち、それについて絶大の自信を持っているのだ。
事を必要以上に煽り立てず、またアスモディアの能力を活かすなら、身内を裏切らせての暗殺が効率的である。
できるだけ隠密に任務は遂行しなくてはならない。いずれはこのリッケンシルト国もレリエンディールの軍勢が蹂躙するが、それは今ではないのだ。
ルベル村のような辺境の小集落ならともかく、シファードのような比較的人口の多い町を表立って攻めるのは、魔人軍の今後の方針を考えても、あまり好ましくない。
もっともこれまでの追跡行で、手持ちの戦力の損耗が激しいという事実が存在する。しかも、その戦力の大半は町の外にいた。
青髪の魔術師はじっとアスモディアを見つめている。そろそろ目が空ろになって――
「綺麗な目ですね」
――!?
アスモディアは目を見開いた。
魔術師の青年は涼しい顔だ。
魅了が……通じてない!?
その事実に愕然とするアスモディア。それは自身の自信を根底から揺さぶるだけのショックを与えた。
「あなたの
青年魔術師は、パチリと指先を鳴らした。
宿の外で唐突な爆発音がして、バーにいた客はもちろん、アスモディアもビクリと肩を震わせた。
――いったい何が起きて……?
「あなたが他の魔法を使っていなければ、気づかなかった――」
またも指先を鳴らすと、外で爆発音が木霊した。アスモディアは完全に動揺していた。
「ねえ……アスモディア嬢?」
「!?」
青髪の魔術師から、名前を言い当てられた。
正体がバレている。魔法を用いて姿を人間のそれに変えたのに!
「どうして、って顔ですね。一つ、あなたにお教えしましょう――」
青年魔術師――ユウラは口元に薄く笑みを浮かべた。
「世の中にはね、大気中の魔力が『目』に見える者もいるんですよ」
「魔力が見える……?」
アスモディアは困惑した。ユウラは続ける。
「あなたが人間に化けるために隠しているもの……たとえば角とか。それらが魔力に包まれているんです。だから魔力が見える僕からすれば、かえって目立っているんですよ……アスモディア嬢」
ガタッと席を立ちかけるアスモディア。
しかしその背中に硬質で尖ったものが触れ、思わず身を固めた。
背後につかれていた。
気配を感じなかった――アスモディアが視線をゆっくりと向ければ、そこには金髪碧眼の狐人の女戦士リアナが短刀を突きつけてきていた。
「いつの間に……」
隙をついて接近したはずが、逆に待ち伏せされていたというのか? 目を見開くアスモディアだが、次の瞬間、もう一本の短刀が首筋をかすめた。
「フェネックの耳は非常に優秀だ」
ユウラが、指を鳴らす仕草をした。
「先ほどの外で起きた音ですが、僕がちょっと大気をこすって立てた音です。威嚇としては中々使える魔法で、まあ、直接打撃を与えるようなものではないですが……でも宿の部屋で寝ている仲間に合図するくらいは使えるわけでして」
それがリアナがここにいる理由。
「耳のいい彼女なら、それが何の爆発音がたちどころに理解し、こうして駆けつけてくれる。頼りになりますね、獣人の能力は――」
「うるさかった」
リアナは不満げに言った。
「もう少し小さな音で十分」
「そうですか――」
ユウラは目を閉じて苦笑した。
リアナによって動きを封じられたアスモディアは、さらに視線を動かそうとして――首筋の短刀を肌に触れさせられた。
「首を掻っ切る」
リアナのかたい声。ユウラは穏やかに告げる。
「そうですね。リアナさん、アスモディア嬢の目を直接見ないように。魅了されてしまいますよ?」
「わかった。見ない」
ちっ、とアスモディアは小さく舌打ちした。
「それで、わたくしをどうするつもり? 殺さず生け捕りにでもするつもりかしら?」
殺すならさっさとそうしているから――彼女の洞察に、ユウラは面白いものを見る目になった。
「あなたには色々使い道がありそうなので、頼もしい相棒が帰ってくるまで大人しくしていてもらいましょうか」
ゾクリ、とアスモディアは身を震わせる。
言い知れぬ圧迫感。青髪の魔術師は、ただただ冷たく笑うのだった。
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