第60話、少年は娼婦と出会う

 宿一階のバーで、慧太は時間を潰していた。

 いつまでも雨が続くかと思いきや、約一時間ほどで雨脚が弱くなり、さらに一時間後には雨が上がった。

 厚かった雲は風に流され、差し込む太陽が民家の壁に反射して眩しかった。

 まだ昼前だ。することがないので、ユウラに言われたとおり町を散歩することにした。


 雨が上がったことで表通りから一本ずれた宿の前の道も、往来があった。

 小洒落た町並みを眺めつつ、慧太は歩く。

 民家の窓には、さっそく洗濯物を干す女性の姿が見える。

 木箱を担いだり、荷物カゴを背負った人々とすれ違いながら、ぶらぶらと表通りへ。

 橋のほうへ向かう流れが多かった。橋はまだ直っていないはずだ。

 慧太はそちらへ足を向ける。


 案の定、ゴルド橋につく頃には引き返す者たちと多くすれ違った。

 状況を受け入れられない連中が悪態をついたりと、橋の手前は喧騒に包まれていた。

 橋のそばの柵から、バーリッシュ川を眺める。


 雨が止んだ程度で大人しくなるはずもなく、水流は激しいままだった。

 泥で濁った川。流れの速さを見やり、まだ舟は無理だな、とぼんやり見つめる。

 柵に沿って、町を歩く。

 緩やかな上り坂。途中、下への道があるが、その先が船着場へと続いてた。柵ごしに様子を見るも、人はおろか舟すらなかった。


 清んだ空気だ。

 雨が上がった直後だからか、やや肌寒く感じる。しかし照りつける太陽はまぶしく鋭い。……これから暑くなるだろうか。


 ――ちょっと高いところから町を見てみるか。


 そんな欲に駆られ、慧太は二階建ての民家が立ち並ぶ一角で、路地へと入り込んだ。日の当たらない薄暗さ。人がいないのを確認し、視線を上へ。


 手足を粘着性に変え、壁に張り付いて屋根へと登ろうという魂胆。その光景を誰かに見られるのは面倒なので、こうしたひと気のないところに――


「助けて!」


 は? ――女の声がした。

 見れば、正面から若い女が駆けてきた。

 茶色い長い髪。二十代前半。町娘にしては派手な色合いの服、何より胸元が開いている。

 そのすぐ後ろには、三十代くらいか、バンダナをした傭兵風の男の姿。


 ――あ、これ面倒なやつだ。


 慧太は瞬時に察した。

 逃げる女に、追いかける男――さて、悪いのはどっちだ?


 女が立ち止まる。助けを求めた相手が腰に短剣もった戦士――傭兵風に見えたために、とっさに判断に困ったのだろう。例えば、後ろの男の仲間だとか……それはないか。


 直後、傭兵風の男が女を後ろから捕まえた。その細い腰に両腕を回し、持ち上げに掛かったのだ。


「大人しくしろ!」

「嫌! 離してッ!」


 女が抵抗するが、男はびくともしなかった。


「このクズ野郎! お前ら絶対に許さないからねっ!」

「うちのボスに気に入られたのが運の尽きだったなぁ、嬢ちゃん。ヘヘヘッ」


 一対九で、男のほうが悪いか? ――慧太は小首を傾げる。

 女はなおもジタバタともがくが、男は彼女を抱え上げたまま、踵を返した。


「まあ、そんなに嫌なら早くボスに飽きられるよう祈んな。そうすりゃさっさと市場で売られて、まともな奴に買われるかもよ?」


 まるで子供をなだめるような口調で男は笑うのである。――慧太は歩き出した。


「おい」

「あ?」


 声に振り返ったバンダナ男の顎に慧太の拳が突き刺さった。

 男は一瞬で白目を剥き、抱きかかえていた女を放した。

 女は地に足をつけるが、危うく転倒しそうになり――その手を慧太に掴まれた。


「大丈夫か?」

「え……ええ、あ、ありがとう」


 何が起こったかわからないという顔で慧太を見やる女。慧太は頷いた。


「事情を知らないから、本当は手を出すべきじゃなかったんだが、見た感じ、こっちのおっさんが悪党みたいだったからな」


 おっさん――バンダナ男は地面に泡吹いて気絶している。女は口を開いた。


「ギャングよ。グロルハントっていう、この町を拠点にしている組織の手下」


 ギャングかよ――慧太は思わず天を仰いだ。

 またまた厄介事に首を突っ込んでしまったようだ。……しかも今はセラをライガネンに連れて行く案件の最中である。


「オレはギャングに手を出したのか」


 報復されるかな、と思うが、その顔は他人事だった。人間のギャング如きか何だっていうんだ?


「あたしはリュヌ。ビルゲって娼館で働いてる」


 娼婦――慧太は目の前のやや派手な衣装の女を見やる。胸もとを強調する服。赤い唇に化粧。漂う香水が鼻をつく。


「ニーサンは?」

「慧太。傭兵だ。ちょっとした用事でこの町に来たが、橋が落ちて立ち往生してる」

「傭兵……」


 倒れているギャングを一瞥するリュヌ。


「ねえ、あんた、しばらくこの町にいるのかい?」


 ああ、どうせ面倒ごとだ――慧太は思ったが表情には出なかった。


「さあね。近いうちに出るだろうが、いつになることやら」

「仲間とか、いるのかい?」

「まあね」


 慧太は肩をすくめる。リュヌは少し考え、やがて言った。


「ねえ、傭兵さん。ちょっと困ったことがあって、強い人探してるんだけどさ……話、聞いてくれないかな?」

「……」

「もちろん、タダでとは言わない。そこのところも含めて、付き合ってほしいんだけど」


 顔を俯かせ、上目遣いの視線を寄越してくるリュヌ。……こういう視線の使い方とか、男の誘い方、わかってるよな、と慧太は思った。同情を誘うというか、自らの弱さを武器にしているというか。


 ――まあ、そうしないと生きていけないって事情があるんだろうけど。


 慧太は腰に両手を当て、溜息をついた。


「グロルハントってギャングを潰してくださいとか?」

「え……? いや――」


 リュヌが吃驚して目を丸める。

 そこまで期待していないというか考えてもいなかったという顔だ。――そりゃそうか。いくら傭兵と言っても、町のギャングと戦争してくれなんて頼むやつなんて早々いない。


「言い過ぎた。ギャングから守ってください、とかかな?」

「……お願い、できるのかい?」


 リュヌが真面目な顔で言った。慧太は、じっと娼婦の顔を見つめる。

 どこまで本当なのか、あるいは本気なのか。慧太は事情を図りかねている。判断するにも情報が不足しているのだ。


「ま、事情を聞いてからだな」


 慧太は口にした。半分は自分を納得させる言い訳でもあった。どうせ、すぐには町を出られないのだ。


「まだ、受けるとは言ってないからな」


 話を聞くくらいなら、ちょうどいい時間潰しになるだろう。



 ・ ・ ・



 リュヌの案内でビルゲという娼館に赴いた慧太は、そこで昼食を奢ってもらい、ギャングと揉めることになった経緯を聞いた。

 グロルハントのボスというのが、とても女癖が悪く、それに目を付けられると誘拐してでも自分の手元に置きたがるのだそうだ。

 以前も、ビルゲの娼婦――リュヌの同僚だ――に目をつけ連れ去ったことがあったのだという。……行方不明とされたその娘は、半年後に精神も身体も壊されて捨てられ、そして死んだ。

 それを涙ながらに語るリュヌと娼婦たちに、慧太の悪い癖が発動した。

 そのことについて、慧太自身はまったく後悔もなかった。……それだけ胸糞の悪さに腸が煮えくり返っていたのだ。


 とはいえ、慧太はセラを守るという本来の仕事を忘れてはいない。だが放置するつもりもない。

 だからリュヌらの目を盗み、こっそり分身体を一体こしらえると、文字通り自らの分身とした。それはまるで、鏡に映るような、瓜二つの双子のようでもあった。


「やることはわかってんな?」

「ギャングどもを叩き潰す」


 慧太の分身は凄みのある笑みで返した。

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