第58話、足止め

 バーリッシュ川は、昨日からの強雨で水かさが増し、土色に染まっていた。

 ユウラの話では、もともとこの川は川底の土の影響でこのような色をしているが、流れが速い分、見る者に畏怖の感情を与えた。

 轟々と流れる川の水。一つの巨大な腕のようにうねる波。


 飛び石状に点在する小島を土台に、ゴルド橋がかけられている。そのほぼ中央にある二番島と三番島、その間で橋が分断されていた。

 ゴルド橋から、慧太は眼下の濁流だくりゅうを眺める。

 雨脚は強く、また吹く風も冷たかった。


「あの! この橋はいつ渡れますか!?」


 フードを被った外套姿のセラは、橋で立ち往生している人々に聞いていた。

 対岸に荷物を運ぶ途中だったという商人や地元の人間が、困り顔で橋の惨状を見やり、首を横に振る。


「この雨が止まんことにはなぁ……」


 地元の大工が雨雲を仰いだ。


「ちょっと跳んだくらいで渡れる距離じゃないし。……材料集めなきゃだし、最低でも一、二週くらいはかかるぞ」

「そんな……」

「木の板を通すとかで、人だけでも渡れないかね?」


 商人風の男が言ったが、大工は首を振った。


「あの距離の板かけるはいいが、あんたの重みで途中で折れて、まっ逆さまだぞ?」


 そのやりとりを聞いて、セラは絶句する。その青い瞳は、分断された橋を見て途方にくれていた。

 一刻も早く渡りたいのに、と表情を見れば、言わずともわかった。

 やや離れたところで様子を見守っていた慧太の隣に、ユウラが立った。


「ねえ、慧太くん。僕は一つの解決策を提示できるのですが――」


 随分ともったいぶった言い方だった。こういう言い方をする彼は、多分ろくでもないことを考えている。


「あなたのシェイプシフター能力で、橋を作るのです」


 そらみろ――慧太は彼の顔を見なかった。


「セラに正体を明かせと?」

「そうはいいません」


 ユウラは世間話をするような調子で言った。雨のせいで、フードの端から水滴が滴る。


「特に、人の目がある今は」


 セラはもちろん、商人や地元の人間がいる。そこで能力を明かすのはどう考えてもアウトだ。慧太は肩をすくめた。


「橋が駄目なら、やっぱ舟か?」

「それも難しいですね。……この雨では」


 ユウラは眼下のバーリッシュ川を見下ろす。


「仮に止んでも、増水でしばらく川の流れが速いでしょうし、舟は出せないでしょうね」


 シファードの町、その船着場を見やる。川の増水のせいで舟はなかった。

 近くの岸に乗り上げさせた後、避難させたのだろう。それらも数人乗り程度の小船、大きくても十人と少し程度の大きさしかなさそうだった。……この流れで舟を出すのは自殺行為である。ここでこの様子では下流では氾濫しているのではないか。


「空を飛べればな」


 ふと慧太は呟いたが、見上げたりはしなかった。雨がフードの中に入ってくるのだ。

 ユウラは皮肉げに微笑した。


「あなたは変身すれば飛べるでしょうが。残念ながら僕らはそうは行きませんけど」

「アルフォンソ」


 慧太は黒馬を指差した。フードのせいで狐耳が隠れているリアナが見張っているが、当の馬型分身体は、やはりそ知らぬ顔をしている。


「あいつを空を飛ぶ大型の生物に変身させれば、どうだ?」


 グリフォンとか、あるいはドラゴン、飛竜なんて悪くないと思う。もっとも、どれもこの世界にはいない生き物かもしれないが。


「往復して全員を運びますか? ……悪くない案ですが、その解決策は変身能力で橋をかけるのとさほど変わりませんよ」

「……上手い口実を考えないといけない、ということか」


 慧太が顎に手を当てて考えれば、ユウラは頷いた。


「とりあえず夜までに考えましょう。……どの道、それまで動きようがないようですから」


 やるなら目撃者が少ない時に、という彼に、慧太は同意した。

 セラが引き返してきた。


「ケイタ、ユウラさん……」


 そんな今にも泣きそうな顔をむけないでくれ――慧太は思った。


「橋はしばらく使えそうにありません。このままではここで、かなりの足止めを強いられそうです」

「ええ、慧太くんと同じことを話していました」


 ユウラが答える。


「天候が落ち着けば、舟が使えるとは思いますが、まあ早くても二、三日の足止めは覚悟したほうがよさそうですね」

「確か、シファードの町以外にも橋がありますよね?」

「ええ、二本あります。この町から東西にそれぞれ一本ずつ。ただ、距離があるので、遠回りする価値があるかは微妙なところです。ヘタしたら橋が直るのを待ったほうが早いかもしれない」

「……」


 セラは押し黙る。くしくも顎に手を当て考えるさまが、先ほどまでの慧太と被る。ユウラは背筋を伸ばした。


「とりあえず、今日は宿をとって休みましょう。この雨ですし」


 外套が水を吸って重そうだった。慧太の外套は例によって自身の身体を変化させたものなので重さは関係なかったりする。


「そうですね」と、セラは同意した。

 その顔は暗く、また焦りの色がにじみ出ていた。とぼとぼとした足取りでシファードの町へと戻るセラ。

 ユウラと慧太も続き、リアナとアルフォンソと合流。

 そこでユウラの案内で町の宿へと歩き出した。彼は何度かこの町を訪れているのだ。


 すっと人とすれ違う。ふっと鼻に漂ってきたのは、花のような芳しい香り。


 ――香水。


 慧太は振り返る。こんなに雨が降っているのに漂ってきた匂いの持ち主――

 フード付きローブをまとった人物だ。体型からして女性だろう。飾り気のない真っ黒な身なりの女性は、背中を向け離れていく。当然ながら顔は見えない。


「……」


 ケイタ――とリアナに声をかけられ、慧太は皆に追いつく。

 例によって雨は激しく降り続けていた。



 ・ ・ ・



「見ぃ~つけた」


 女はその形のよい唇を笑みの形にゆがめた。

 振り返る。フードの奥に、ふわりとボリュームのある赤い髪を隠し、女――レリエンディールの魔人アスモディアは金色の瞳を細めた。


「あの小僧とお姫様」


 聖アルゲナムの姫であるセラフィナを追撃する魔人軍を率いる将であるアスモディアは、距離をとって彼、彼女らを尾行する。


「生きていた……やはり!」


 地震に巻き込まれ地下へと落ちたと聞いた時は、一瞬死んだかもと考えたアスモディアだが、きちんと死体を確認せずに引き返す間抜けではない。

 グルント台地地下へ追跡隊を派遣したが……部隊は消息を断った。

 追跡隊を捜索するべく使い魔をやったが、追跡隊は何者かの手によって全滅していた。――これは後から地下へ降りたリアナの仕業だが、アスモディアの知るところではない。


 お姫様らは生きている。


 そう仮定し、地下から出たらどこに現れる可能性が高いか、アスモディアはその頭脳を働かせ推測を重ねた。

 現在位置からライガネンを目指すとして、バーリッシュ川を渡らなくてはならない。

 その上で高い確率で通過する点は、橋のあるシファードの町だ。

 それならば、橋のところで見張っていれば、いずれお姫様らは現れる――念のため、橋を落としてみれば、その日のうちにセラフィナ姫一行はシファードに姿を見せた。

 アスモディアの推測どおりに。


 ――まあ、賭けではあったのだけれど。


 橋を使わず、舟で川を渡る場合もある。

 シファード以外の川辺の集落では橋はないが舟はあるのだ。

 念のため保有する軍勢から、そうした集落に部隊を派遣したが、自ら赴いたシファードで遭遇できたのは、彼女自身の賭けの強さも無関係ではないだろう。

 だが動かせる手駒が少ないという問題も抱えていた。分散もそうだが、これまでの追跡での損耗もまた大きかった。任務の性質上、人員補充が見込めないので減る一方なのだ。


 セラフィナらの行き先を確認した後、アスモディアは建物の影で、自らの使い魔を召喚した。

 羽の生えた小鬼型の使い魔。

 シファード近くで待機している部隊へ伝令を派遣する。


 今度こそ、逃がさない――


「ここがあなたの終焉の地となるのよ、お姫様」

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