第55話、地上へ

 ゴバードを撃退した慧太は、とても虚しい気分だった。


 胸に奥底から湧いていた怒りは消え、満たしていたものが失せてしまった。

 まるで身体の中が空洞になってしまったかのような感覚だ。

 セラは、あのマクバフルドを見ただろう。いや、見えたはずだ。慧太が変身するところは見ていないはずだが……バレたかもしれない。


 ――やっちまった……。


 慧太は、若干の後悔と諦めにも似た感情を胸に、セラとリアナに合流した。

 セラは何も言わなかった。ただ慧太の無事を確かめ、優しく抱きしめて迎えた。

 バレたのかそうでないのかはわからない。

 慧太は黙ってそれを受け止め、彼女の背中を軽く叩いた。

 セラが身体を離すと、今度はリアナに同じことをされた。


「グノーム、どうする?」


 狐人の少女は、グレゴの遺体を見下ろす。慧太は頷いた。


「このままにはしておけない」


 一瞬、慧太の身体に取り込もうなどと考えたが、それはどうなのかという問いがこみ上げ、その考えを捨てた。


「集落に返す?」

「いや、ここに埋葬しよう。オレたちは先を急がないといけない」


 視線をセラに向ければ、彼女は沈痛な表情で小さく首肯した。

 グレゴの遺体を埋めるため、穴を掘らないといけない。慧太はポーチから取り出すふりをしながら、自身の身体から折りたたみ式のショベルを作る。


「ケイタ」とリアナが身振りで、とショベルを要求する。同じくポーチから『それ』を作り手渡すと、今度はセラが「私にも」と言ってきた。


 一人は見張りにしたいが、かといって女性二人に掘らせて自分は掘らないという選択肢はない。お姫様であるセラには控えてもらいたいが、彼女の真剣な表情を見やると拒むのも違うような気がした。


「リアナ、見張りを頼む」

「……わかった」


 リアナは同意すると、セラにショベルを渡すと彼女の肩を軽く叩き、見張りに立った。

 慧太とセラは地面を掘る。

 言葉はなかった。ただ黙々と土を掘る作業を繰り返した。


 ――セラは、マクバフルドのこと気づいたのかな……。


 土を掘りながら、慧太は思う。

 自分が変身してゴバードの集団を蹴散らした。変身――シェイプシフターであることを、セラは気づいたのかそうでないのか。

 彼女は何も言わない。一緒にいたであろうリアナが、上手くフォローしてくれたのかもしれない。


 ――……まあ、いいか。バレたとしても、何も言わないなら。


 慧太は作業に集中した。

 ちらつくグレゴの生前の思い出に、無意識に力が入った。

 だいたい半分ほど掘りおわったところで、慧太はセラにリアナと作業を代わるように言った。


「グノーム人の村に使いを出して、旦那が死んだこと伝えたいと思うんだ。……ほら、奥さんがいるって言ってたろ?」

「使いは――」

「この前、狐見せたろ? あれに頼む」


 慧太は穴を掘る手を止め、一息つく。


「紙と書くもの渡すから、セラに書いてほしい。……嫌な役目押し付けちゃうけど、その、オレ……字があまり書けないから」


 日本語はすらすら書けるが、生憎とこの世界の言語は、いちおう読めるが上手く書ける自信はなかった。


「……わかりました。でも私もグノームの文字は知りませんよ」

「西方語で大丈夫だと思う。地上人と交流があるし、最悪、長(おさ)なら文字読めるでしょ」


 ポーチから紙と筆、インクを出して、セラに渡した。

 もちろん、自身の身体の一部を使って作ったものだ。これらに意識は入れなかったので、紙や筆となった時点で元に戻ることはない。

 彼女はリアナと見張りを交代し、やがて一筆したため始めた。

 マクバフルドの姿で派手に暴れたから、しばらくゴバードも戻ってくることはない。


 やがて穴を掘り終えると、慧太はグレゴの遺体を底に横たえた。

 腕を胸の前で組ませながら――本当に死んでしまったんだな、と思う。

 こみ上げてくるものはあるが、涙が出なかった。……泣き真似はできるが、それが自分の本当の涙ではないことを知っている。


「天におわす神と、大地の母へ捧ぐ――」


 セラが祈りの言葉を口にする。略式だが葬儀を行い、その後、勇敢なるグノーム戦士の遺体に土をかけて埋める。

 大地の民は、土に還るのだ。

 最後にグレゴが愛用した鎚を突き立て、グノームの兜をかける。


「さようなら、兄弟」


 そしてありがとう――慧太は黙祷した。


 セラが祈りを捧げている間に分離していたおいた子狐型の分身体に手紙を託し、グノームの集落へと走らせる。


 やがて、慧太たちは歩き出した。クリスタルトンネルを抜け、地上へと出る道を辿って。


「……また私の目の前で、助けてくれる人を死なせてしまった」


 セラが呟いた。先頭を行く慧太は足を止めることなく振り返る。

 銀髪のお姫様は硬い表情だった。その目は赤く、涙をこぼすまいとこらえているようだった。


「助けられなかった。……もっと治癒術が上手にできれば、グレゴさんも……」


 慧太は正面に向き直った。

 セラの言うとおりかもしれないし、違うかもしれない。

 ただ言えるのは、彼女が何かへまをしたわけではないということだ。

 治癒魔法とて万能ではないことは知っている。仮に万能だったら、即死以外救えるはずなのだから。

 だが実際には治癒が間に合わずに死ぬこともある。手の施しようがないこともあるということも。

 魔法を除けば、この世界より医療が進んでいた日本ですら、百パーセント助けられるということもないのだ。慧太は、セラが最善を尽くしてくれたと信じている。

 だから、彼女を責めない。

 だが彼女は悔いている。それに対し、出来ることは何か。慰めることか? 必死になって彼女に非がないことを納得するまで言い続けることか?

 それは違うだろう、と慧太は思うのだ。


「あんたは何も悪くない」


 ぽつりと、慧太は口にするのである。それ以上は言わなかった。

 正直、それが正しいのか間違っているのか、若い慧太自身にもわからない。まだ自分自身の心の整理もついていないのだから。


 水晶の群生地帯を抜け、元の暗い地下空洞へとたどり着く。

 通路のような穴がひとつ延びていて、生前のグレゴの話が本当なら、ここが地上へと通じている。

 リアナから預かったグノームの小型魔石灯で道を照らしながら、ごつごつした地面を踏みしめ歩く。

 どれほど歩いたか、正面から光がこぼれているのが見えた。


 出口だ。


 慧太は歩みを止めず進み、やがて地下を脱出した。

 開放的な風が吹き込む。思わず深呼吸。空は生憎の曇り空。


「空……」


 セラが呟きと共に目を閉じ、顔を上げた。

 吹き抜ける風が彼女の銀色の髪を撫でる。

 リアナも外の空気を吸い込み、伸びをして、その開放感を満喫する。


 慧太は振り返る。

 そこには圧倒的高さを持つ断崖がそびえていた。


 グルント台地――地上から行っていれば、その険しい断崖を細い道を辿って降りねばならなかった。地下を行ったことで、この断崖を横断することはなく、下に到達することができたのだ。


 ぴくり、とリアナの狐耳が動いた。彼女はその碧眼を向ければ、やや太った黒馬とそれに乗ったフードを被った外套の人物が、ゆっくりと断崖の道を降りてくるところだった。


 慧太は思わず相好を崩した。

 トコトコとのんびりとやってくる黒馬に乗った青年は、慧太らの姿を認め、軽く右手を上げた。


「やあ、慧太くん。セラフィナ殿下、リアナ。無事そうでなによりです」


 ユウラ・ワーベルタは被っていたフードをとった。ハイマト傭兵団に所属する友人と合流した瞬間だった。


「まさか僕が最後だったとは。……まあ、数泊も覚悟しましたから、それを考えるとラッキーでしたがね」

「オレたちがここに来ると?」

「ここから出てくるとは思いませんでしたが、生きているなら待っていれば必ず来ると思っていました」


 確信を込めて、ユウラは言うのだった。

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