第35話、深い闇の底

 落ちている。


 流れていく景色。大地震、そして開いた陥没穴に、慧太とセラフィナの身体は落下していた。

 その最中にあって、慧太は自分は大丈夫という思いが脳裏をよぎった。シェイプシフターの身体はちょっとやそっとでは壊れない。


 だが――


 思考は切り替わる。眼前の銀髪のお姫様の姿。陥没の中心点だったせいか、身体が宙に浮いた途端、二人の身体が接近したのだ。

 このままではセラフィナは無事では済まない。高さにもよるが、彼女は大怪我、いや最悪死ぬ!

 それは刹那。

 慧太はとっさにセラフィナに手を伸ばしていた。呆然としたまま抱き寄せられる銀髪の少女。

 あっという間のはずなのに、宙に浮いている間、時間の経過がゆっくりに感じた。思いのほか深い。慧太はセラフィナの身体を抱きしめ、この落下から逃れるべく瞬時に思考をめぐらせた。


 ――ロープはない。つーか、仮にあっても引っかかるようなところがなければ意味がない……! 待て……。


 引っかか――慧太の脳裏に『ネット』が浮かんだ。蜘蛛の巣、アンチュラの糸――!

 左手でセラフィナの顔を守るように覆い、右手を振る。

 指先をシェイプチェンジ。

 大蜘蛛の糸。刃物で力いっぱい叩き込まないと切れない堅牢さを誇り、粘り気のある糸。

 周囲の壁に、引っかかれ――!


 同時に糸が間に合わなかった時のために、身体をジェル体へ変異。

 柔らかくしかし、粘着力を高めることで落下の衝撃を抑えようという魂胆。


 伸ばした糸の指が壁面に引っかかった。


 抱えたセラフィナを落とさないように左手に力を込める。

 慧太の身体は糸の指にそって壁面へと向きを変え――背中から壁にぶつかった。


「おげぇっ!?」


 自分でも変な声が漏れた。

 壁にぶつかった衝撃をジェル体が吸収する一方、セラフィナの身体が慧太のお腹を強く押し込む。声が出たのはそのためだ。……痛くはなかったが、予想外のことが起きると声も出る。


 それがいけなかった。


 糸の指がはずれ、慧太たちは再び落下――と思いきや、すぐに地面に落ちた。

 高さにして数十テグルセンチのところで一度止まったようで、ほとんど底の部分だったようだ。あのタイミングで糸が引っかからなければ間に合わず地面に激突していた。

 冷や汗。心臓が激しく鼓動を繰り返していた。


 ――とりあえず、助かったのか……。


 息をつく。

 打ち付けた背中のあたりが痺れていた。慧太が薄暗い闇の中、目を瞬かせていると、ぽんぽんと胸を叩かれた。

 自然と力を込めていたことに気づき、慧太は左腕を緩めれば、セラフィナがガバリと身を起こし、酸素を求めて肩を上下させた。


「ごめん……」


 無事そうでホッとする慧太。セラフィナは周囲を見回し、すぐに自分たちが落下してきた穴を見上げた。百ミータメートル以上落ちたのだろうか。陥没穴が光によって全景を見せたが、小さく見えた。


「落下した……!」


 セラフィナは暗い周囲をせわしなく眺め、次に慧太を見た。


「落ちた!」

「ああ、落ちた……」

「大丈夫なのですか!?」


 怖い顔で銀髪の少女は慧太の胸倉を掴む。


「あの高さを落ちたのに……! あなたが庇ったの!? 痛くない!? 怪我は!?」


 動揺するのもわかる。普通だったら落下死だ。にも関わらずほぼ無傷で助かったとあれば。


「……あの、お姫様、少し落ち着いて――」


 まだ背中が痺れてる。とりあえず元に戻っている右手で落ち着くよう示せば。


「ありえない。……どうして助かったのか」

「奇跡ってやつ、じゃないかな」


 シェイプシフターの能力を使ったなんて言えない慧太は、誤魔化しにかかる。


「奇跡――」


 ぽつり、とセラフィナは言ったが、どうにも信じられないようだった。深く追求されると面倒なので、慧太は首を横に振った。


「とりあえず、立ってくれないか?」


 慧太の上に馬乗りになっていることに気づいたセラフィナは「ごめんなさい!」と慌てて立った。慧太はそのまま半身を起き上がらせれば、まだ背中が痺れていた。セラフィナはそれを見逃さなかった。


「ケイタ! あなたやっぱり怪我を!?」

「いや、大丈夫。ちょっと痺れてるだけ……」

「見せてください!」


 セラフィナが慧太の後ろにまわり、服――シェイプシフター体でできているが――の袖を持ち上げ、背中を露にさせてくる。


「……」


 慧太は押し黙る。ジェル体をすぐに人のそれに戻して痕跡はないはずだが……ひやりとした。


「……心持ち、打ち付けたところが赤い、かも……」

「え? そう?」


 すっとぼける慧太に、セラフィナは「じっとして」というと、その手を慧太の背中にかざした。


「光よ、治癒の光。傷を癒し、痛みを和らげよ――」


 柔らかな光が溢れ、周囲の闇を照らし、慧太自身の影を壁面へと伸ばした。

 治癒の魔法。慧太はセラフィナの治療――シェイプシフター体に有効なのかはわからないが――を任せて、まわりを観察する。草が生えているのは上から落ちた岩のだろう。切り立った岩肌の壁。それが垂直に伸びている。……自然に出来たもの、というにはあまりに真っ直ぐだ。


「……ひょっとしてここ、炭鉱とか」


 だとしたら落盤か。慧太は髪をかく。セラフィナが声を寄越した。


「炭鉱?」

「いや、わからないけど、人の手が加えられてる感じ」

「私たちは、その真上にいたと」

「ああ。地震で天井が抜けた」


 慧太は奥へと視線を向ける。洞窟、いや坑道か。どこに通じているかわからないが穴が開いているのが見えた。


「ケイタ、まだ背中は痛みますか?」

「あ? い、いや、痛くない。……もう、大丈夫だ。ありがとう」


 本当はずっと痛くなかったが、痺れもなくなったようだ。


「よかった……」


 心底安心したようにセラフィナは微笑む。自然と胸の奥が暖かく感じる、優しい笑みだった。しばし目を奪われた慧太をよそに彼女が立ち上がる。

 慧太も起き上がった。


「さて、どうしたものか……」


 シェイプシフターの身体を使えば、慧太だけなら登れると思う。いや手っ取り早く変身して空飛ぶことだってできる。

 だがセラフィナはそうはいかない。それに魔人に国を滅ぼされたお姫様の前で正体を明かす気もなかった。

 セラフィナは通路と思しき穴へと、その青い目を向けた。


「このまま地下を進んで、地上への道を探しましょう」

「……地上への道あればいいけど」


 慧太が懸念を口にすれば、セラフィナは小さく笑みを浮かべた。


「ですが、このままじっとしているわけにも、いかないでしょう……?」


 実に前向きな態度だった。地の底に落ちて悲観にくれることもなく、健気にも微笑みすら浮かべるお姫様に、慧太は安心する。……嫌いじゃないねそういうの。

 それと――そこでセラフィナは視線をそらした。どこか頬が赤い。


「助けてくれて、ありがとう。……ケイタ」


 小さな声。感謝の言葉。そして当然の如く、慧太の胸の奥がドクリと跳ねるのだった。

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