8
聡の真ん前にタクシーを降り立った女は、いかにも困った様子で僕らを凝視する。サングラスで目の色はわからない。すると、聡が声をかけた。ぎこちない口調で、女の表情はうっすら暗くなった。ファンが待ち伏せしているとしか思ってないのだろう。直後、続けざまに降りてきた男が駆け寄ってくる。
話しかける僕ら二人組が気がかりなのだろう。僕はというと、喋るタイミングを失っていた。聡は耳に届かない、意味を持つのか疑問な言葉をずっと言い続けていたから、そこに僕が押し入るしかなさそうだった。
スーツの男は聡の真ん前で静止する。「やめてください」呪文のように言い続け、そのうちに女はビルに入ろうとする。いまだ。
「待ってください、愛野ナオさんから聞いたんですけど……」
女のオーラか、緊張か。僕もぎこちなくなってしまった。だが、女は顔付きが変わった。一歩飛び出した僕の前に出て、容赦なく立ち塞がる男。だが女は「いいのよ」と初めて声を出す。男は意外な言葉にさも驚いたのか、女のいる後ろを向いたまま変な体勢になっている。
そこからはトントン拍子だった。ビルに招かれるように、僕は女の後ろに立った。間には相変わらず怪しむ男。彼は言うまでもなくマネージャーらしく、女は何やら彼に雑用を命じていた。
階段を上がった2階奥の部屋。笹野クリエイト宇田川と表札があった。どこかで聞いたことのある名前だが、その正体は未だクエスチョンが付いたまま。中は普通のオフィス。人は2人くらいいる。奥のほうに『楽屋』と称される部屋がいくつかある。僕らはいちばん奥の部屋に通された。社長室のような造り。中のソファに案内された。フカフカのそれに気を取られるが、聡はずっと女のほうを見ていた。
「最初に訊いていいかしら、あなたの方なんだけど?」
僕に向けて言ったらしい。聡は僕に視線を移す。いまでは珍しいことだ。
「どうして愛野ナオと?」
僕は言い訳がましいような答えをした。自分でもそう思うのは、実際その理由がよくわからないからだ。
「まあいいわ。きっと、彼女に言われたんでしょ? なんとなく聞いてるわ」
「知り合いとかなんですか?」
「ううん、ちょっとね……」
その関係性について彼女はお茶を濁した。ちょうどそこにマネージャーが入ってきた。受け皿に載せられた湯呑みをそれぞれテーブルの上に置いていく。危なっかしい寸前の湯呑みの揺れ方。そんな業務を終えると、マネージャーは足早に退室していった。
考え込んだような女の顔。ややうつむき、僕らと目線が合うことはなさそう。「ちょっと電話するわ」言って、奥のデスクにある電話機でどこかにかける。下げていたカバンからノートを開き、それを見ながら。
「ナオね、いまはどこ? うん、そう……わかった。うん、来てるわよ。ヨウスケさん……どこで?」
電話を終えた女はソファにまた座る。
「これから西巣鴨で会いたいそうよ。ゲームセンターの中……」
僕らは目を合わせた。僕はその場所に、聡はわけがわからないからだ。聡には説明もしないままなぜかと女に訊いた。少し冷たく、会ってから彼女に訊いてとの答え。
「車を呼ぶわ。お金は……面倒だからこれを使って」
5,000円札を差し出される。貰うのはいかがなものか、僕はためらうが譲らない。
「会ってあげて。理由を訊きたいんでしょ?」
そこまで言うならと、僕はお礼して札を貰う。札を財布に収める間。
「あの、サインとか書いてもらったり……」
聡がいった。端からそういうつもりだったのは承知のことだが、それは聡の目的だ。僕はどこかしら違う。
「いいわ。書くものはあるの?」
背負っていたリュックから用紙と油性マジックが出てくる。用意周到もいいとこだ。聡はいつも、肝心な時にモノを忘れたりしない。準備が長かったのは冷静に考えていたからなのだろう。
あっという間の交流。女はマネージャーを呼びつけ、タクシーを手配させた。間もなくビルの前に出ていく。女の見送りは玄関までだった。ナオによろしくとのこと。マネージャーが外まで同行し、「失礼しました」、「こちらこそ」。
宇田川の表に出ようという車。そこの公園はタバコの煙が電灯の光からわずかに伺えた。静まることを知らないのか、それとも終電までか。タクシーは原宿、伊勢丹、サンシャインの辺りを行く。結構な時間を経て、気づけば滝野川の明治通り。聡はsこで降ろした。このまま連れて行く意味を感じなかったからだ。その先の西巣鴨駅前で僕も降りる。目立つ看板に見覚えがあった。通行人は皆無、瓶コーラの自販機は売り切れていた。
横開きドア、ゲーム機は静かに稼働している。奥からナオの姿が見えた。ぞろぞろと足音が聞こえて、何人ものいかつい男たちも一緒に出てくる。うち一人は金髪に青ジャージを着ている。足がすくんだが、ナオは大丈夫の一点張りで、奥に手招きした。
「連れの人は?」
「降ろした。ダメだったか?」
「平気よ……」
奥の奥。上半身裸のテクノカット。その横にはこの前の兄貴もいた。薄暗いところだからか、余計なくらい恐ろしさが加わる。
「どうしてここに僕を?」
声を震わせながら訊いてみる。自分でもどう発音したのかわからないが、ナオには伝わったみたいだ。
「そうね、率直に言うと私、捕まる。正確には出頭するの」
「どうして?」
考えるまでもなく僕は聞き返す。
「俺たちがヤったからだ。そうだよなぁ?」
兄貴が割って入ると、テクノカットがうなずいた。
「何をですか……?」
「何度も言わせんな前島をヤった。知ってるだろう? 前島だよ」
「前島さん……」
「あんたのおかげで危なかったよ。でも、もう悔いはない」
「その、どうしてナオさんが?」
「ナオは共犯者だ。ナオも覚悟はしてるだろ」
頭がまわらない。僕はずっとうんうんと、その場にいる人間ひとりひとりから何かを訊いていた。ずっと終わることがないと思うくらい長い時間『聞き手』になっていた。
「下手したら、あんたも巻き込むかもしれない。でも、あくまであんたは共犯者じゃない。それだけは保証したい」
兄貴は以後、ずっと冷静だった。前島を憎そうに言う反面、僕には詫びたり弁護したり。見た目にすら合わない口調。
「チンピラのままだよな、俺。あんたにはあん時からの因縁だったけどよ、ここで会うとは思わなかったよ」
テクノカットも大方、同じような言い回し。ただ髪型には合ってないような、顔は少しやさしいように見えてきた。
ナオはおもむろに手紙をチラつかせる。パンパンの封筒。中は1年書き溜めた日記のようなものと、家族に向けたものらしい。
「それ、俺が届けちゃダメか?」
「どうして?」
「なんでかわからないけど、滅茶苦茶なだけだよ……」
兄貴が顔を上げて、喋りたそうだ。案の定。
「そんなことはない。あんたが届けるか、郵便屋が届けるかの違いだろう?」
極端に言えばそういうことなのかもしれない。だが、ここはナオの判断を仰ぐしかない。
「別にいいのよ。こんな手紙……でもむしろ、ヨウスケさんが届けてくれたほうが読んでくれるかも。自信はないけど」
家族への手紙とはそんなものか。個々の事情があるのは薄々見え透いていることだが、どうもその言い回しは納得に至らないような。自分勝手で悪いが。
また兄貴がうずうずしだす。
「いいじゃないか。届けたけりゃそうすればいいし、面倒なら切手貼ってポストに入れれば郵便屋が勝手にやってくれるだろう」
「そうね」
「それじゃ未練はないな?」
兄貴は立ち上がる。みんな、外に向けて動き出す。僕も釣られる。
「ここのコーラが最後の晩餐になったらよかったんだけどな」
「兄貴、それ未練がましいっす」
テクノカットがいう。ナオは笑ってる。
「巣鴨署は、まっすぐ行ったところだったな。途中で見つかるかもしれないけど、ここから先は俺たちだけで行かせてもらう」
取り仕切るような兄貴。金髪青ジャージと他の奴らは兄貴と握手してから走り出し、西巣鴨駅の入り口に消えていった。僕ももうすぐそこに消えていくのか――。
「それじゃ、粗末なものだけど、いずれにせよ届けてみてね。お願いよ」
「こいつのことなんか気にもしてねぇけど、こっちからも頼むぜ」
兄貴とテクノカット。共々同じことを言う。頼まれたら何かをするしかない。案外、僕はそういうものを断らない選択をしてきた。最後はあまり考えず、ゆるりと迎えてしまったような気がする。そんなもんだ。手も振らず、振られず。握手も交わさなかった。兄貴いわく、混じっちゃうかららしい。
僕は三人の背中を見送った。地下に消えるのはいつだろう。僕はこうも思う。あの立場を考えれば、迎えてくれる人の元を離れて生きることに何の悲しみを伴うのか。僕は三十路まえだ。くだらない悲しみは捨てようと、車道を抜き去る車の数だけ思った。
暗闇にあの背中が見えるか見えないかという頃になってからだ。ある日、夢中で下った階段をゆっくり下る。地下に潜って電車に乗れば、待つまでもなく今度は僕があの三人に背中を向けていた。
■
僕はどうして道頓堀に来たのか。何も知りはしない僕に、道頓堀は何を与えてくれるのか。東京を出たのは朝5時。東京・東中野の家から電車で東京駅に出て、東海道線でようやく西へ向かって歩み始める。上洛の風貌を感じさせる熱海行きは、速いと感じながらも時間を掛けて東海の入り口に終点を迎えた。
話せば長いが、僕はしがないサラリーマンだ。しかも三十路まえの。こうやって休みを作り、わざわざ時間を掛けて西へ行くのはお金の問題かもしれない。世の中には都合というものがある。
僕は割と賢いつもりだったが、果たしてどこまで賢く旅行ができるだろう。見知らぬ土地の人情にすがるのはあまりに申し訳ないから、賢いままでいたい。
道中を思い出してもしょうがないが、とにかく行くべき道頓堀の戎橋までは大阪駅から一本道に近いらしい。ただし、あくまでもネットの地図サイトで調べたことだし、大阪駅からは地下鉄を使うようだ。
夕方5時過ぎ、僕は混雑する新快速を降り、大阪駅プラットホームに降り立った。気づけば12時間も電車に揺られていた。もし、東京発の寝台列車が大阪に止まっていたら、僕は多少値が張っても寝台列車を選ぶだろう。しかし、帰りは別問題だ――。
かくしてたどり着いた道頓堀の戎橋。未だ人が多く、眺めるものも人波に押し潰されてしまいそう。
(僕はどうしてここに来たんだろう?)
いま、思ってしまった。眺めるものはない、と。いや、とても良い景色だ。何も良いものを否定しに来ているわけではないが、どうもここにいる人はすべてが不似合いだ。僕こそダサいギンガム・チェックにリュックだが。
戎橋を立ち去ろうとしていると、途端に声を掛けられた。
「そこの兄ちゃん、どうや? うちんとこ」
やけにストレートなおっちゃん。坊主頭で、Tシャツ一枚。季節的にまだ合わないが、こんな格好で大丈夫という人なのだろう。
「あ〜そうですね……」
僕は戸惑った。万が一怪しい店だったらなどと、東京に初めて来た時のようで情けないが、例え東京だけを知り尽くしたとしても、大阪は何も知らない。その油断こそ奴らの狙いなのだ。たぶん。
すると後ろからやって来た人相の悪い兄ちゃん2人組がおっちゃんに声を掛ける。フレンドリーな態度だったが、僕は苦笑いさえできない。大体、この人相は寒気がする。もちろんあの事件のことだ。すこし前の肌寒い東京を思い出した。これから僕はどこに行く? この大阪のどこか。答えは封筒に書いてある。
センセーショナルな共犯者 栄地丁太郎 @kakuken
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