第二十二話 クマナ

 宮の前まで来ると、毛皮を纏った浅黒い肌の女たちがおり、ククリの輿と姿を見ると跪いた。その様子が中に伝わったのか、中からは一人の巫女が顔を見せる。


「ククリ様、クマナ媛様がお見えでございますよ」


 五年前よりもさらに恭しい態度で告げるのは、以前より少しだけ若やいで見えるミソノだった。筑紫島の水が合うのか、この地に来た時よりも彼女の肌は皺が薄くなり、艶もある。

 すでに元々倭国にいた巫女たちを完全に取り込み、倭国巫女団の大幹部となったミソノには瑞々しさとともに貫禄もついており、その様子は豫国のサクヤにも通じるところがあった。


 といっても、一時期のミソノは、今の姿からは想像も出来ないほどに窶れていた。ククリ、すなわち豫国から派遣された倭国巫女団が張政によって、約束されていた地位を逃してからと言うもの、ミソノはことある事に「話と違う」「こんな事を聞いていない」としきりにククリに訴えていた。


 まだ誰かを前に愚痴るのは良かった方で、その内同じような事を一人で呟くようになってからは、食事も余り摂らなくなり、みるみるうちにやせ細っていったのである。あっという間に白髪が増え、目だけが炯々と輝くようになり、時折気でも触れたよう暴れ出した時には、派遣された巫女たちの間に黒雲のような不安が広がったものだった。


 だが、今の彼女は実際の年よりも遙かに若く見え、その事と関係しているのか声には張りとともにどこかうきうきとした様子も感じ取れる。


「ご機嫌麗しく、ククリ様」


 宮の中で跪いて挨拶をしたのは、熊襲の長の娘であるクマナであった。


 自信と野性を感じさせる、彫りの深い中性的な顔立ちに豪奢な黒髪とすらりと伸びた手足、意思の強そうな眉と瞳には炎の気質が潜んである。じっとしていても、溢れる才気が伝わってくる。


「ご報告に上がりました」


 報告というのは『朝議』の内容の事である。

 

 朝議というのは張政の進言によって取り入れられた習慣で、早朝の決まった時間に倭国の重鎮たちが王の宮に集まり、政を執り行う事だった。それに参加する事を朝参という。

 どうやらこれも、「太師」と同じく大陸の習慣らしい。といっても日の神を祀る習慣のある倭国では、元々日が昇る早朝に政の諸事を決めるのが習慣になっているので、それに大陸風の名称が付いただけのことでもあった。


 それでも、名がつけられれば人々の意識は変わる。張政が太師になってからと言うもの、生活のあらゆる事が次々と形式張ったものになっていく。役職、身分、儀礼、ものの考え方まですべてが大陸風になっていき、太師のいう亡国というのが滅びていなければ、まるでその国が蘇り、倭国を乗っ取たようであった。

 しかし当の倭国の人々の多くは、それによって自国が強化され、文明化されたような気になっている。


「お願いします」


 ククリは奥の敷物に腰を下ろし、クマナとミソノにも着座を薦めた。


 朝議には王を始め各部族の族長、さらにその両方の血を引く王子達、太師である張政、そして熊襲の関係者が参加することになっている。


 だがククリをはじめとする巫女たちは参加を許されてはいない。倭国において巫女は、政とは完全に切り離された位置にいるのだ。


「本日もいつもと変わらず、王都内の諸事と旧王都に留まる出雲の動向についてのものでした。まったく本当に、退屈なばかりです」


「そうですか」


 ククリは眉一つ動かさず、呟く。この数年、朝議は決まって同じような内容なのだ。だからこそ、自分は余計な心配をせずに動けるのだが。


「ですが・・・」


 クマナは面を上げ、眉を潜めた。


「どうもおかしいのです。朝議では確かに、いつもと変わったところはありませんでした。ですが、何か、裏で何かが行われている。進められているという感じがするのです」


「具体的には?」


「朝議で見る限り、各部族の長も特に気づいていないようですが、どうも王と太師の間で何か大きな計画を進めているような雰囲気があります。例えば今までですと、太師殿がまた何か大陸で昔あった役職やしきたりを取り入れようと言いだして、部族の長たちは最初は怪訝な顔をしながらも、結局は太師殿のまじないにでもかかったように納得する、この五年そのようなやり取りでありました。ところが、ここしばらくの間、朝議は純粋に諸事の報告のみで、そういう動揺の種のようなものは言い出さないのです」


「なるほど、ですがそれは太師殿の知恵がつきたと言うことでは?」


 ククリの皮肉に、クマナは軽く笑みを浮かべた。


「そうかもしれません。ですが、私には逆に何かを隠しているような気がします。つまり、王と太師殿は私たちの知らないところで何か別の計画を進めているのではと」


 別の計画、と聞いてククリはしばしの間思案した。一体、今度はどんなことを考えているのだろうか。太師という地位がつくられ、朝議という形式を取り入れ、万事が太師の思うがままに進んで言っていると聞く。今回計画を立てているとすれば同じく太師張政によるものと考えて間違いないだろう。


 クマナははっきりと口にこそ出していないが、それをきっと熊襲の秘密部隊でかなり正確に把握しているに違いない。


 だとすれば問題は、どうしてそれを部族長たちに内密に進めているのかということである。そもそも太師や朝議の導入も、以前であれば誰もが反対することだったはずである。それが太師の神秘の力に魅せられた長たちは、ほいほいと受け入れた。今やそれほどの強権がありながら、どうして秘密裏に進める必要があるのだろうか。

 

 その時、ククリは突然ひらめくように思いつき、神がかったように目を見開いた。


「警戒しているのです」


 その言葉に、熊襲の媛は反応する。


「我ら熊襲をですか?」


「・・・いえ、違います。熊襲は元々警戒されています。倭国の中に、出雲と内通している部族がいると考えているのではないでしょうか」


 クマナはその指摘が妙に腑に落ちたようだった。


「十分に考えられる話です。倭国も規模は大きくとも一枚岩ではありませんからね。出雲と内通する者がいたとしても全く不思議ではない・・・。すると裏切り者を警戒しているのだとして、一体どのような計画を隠しているのでしょう。まさか」


 クマナははっとしてククリの白い顔を見つめた。その凜々しい表情はまさに戦人(いくさびと)である。


「ええ、遂に始まるのです。王都奪還の戦いが。そのため、動きを悟られぬようにしているのでしょう」


 宮に、まるで稲妻が走ったかのように緊張した空気が満ちる。


「しかし、まさか。あの軟弱な王がそんな決断が出来るでしょうか。私はまだ先、きっと次の王に変わってからだと思っていましたが」


「確かに、倭国王は私から見てもあまり決断力のある雄々しい方とは言えません。ですが、今は太師殿がいます。きっと、あの方が今が好機と判断したのでしょう」


 クマナの顔はどんどん険しくなっていった。ククリの予想は言われてみれば尤もである。王都の建設はとうに完了し、食べるものももはや熊襲に頼らずとも平気になり、国内のいざこざは治まり倭国は安定している。


 生活に余裕の出来た兵たちは、張政によって鍛えられているし、強くなったと誇る倭国の戦人のざわめきは、同盟を結んでいるとはいえ熊襲も警戒していたほどである。クマナはそう思いながらも、自分の瞳を煌めかせた。


「しかしこれは」


「我々にとっては好機です」


 ククリは聡明な頭で考えた。この王都奪還の戦いは、倭国史上希に見る重要な戦いとなることは間違いない。この戦いで功を上げれば、その後の政において発言力が増すのは確実である。


 逆にこの機会を逃せば、自分の目的はまた遠くなることも理解していた。王都奪還したのちに築かれる新体制、その後での挽回はさらに困難となるだろう。

 ククリは、早急にあの儀式を終えなければと焦った。


「ククリ様、私はククリ様も何か大きな計画を密やかに進めていること、既に気づいております。それが何か、ここで無粋に尋ねるようなことは致しません。ですが、もし我ら熊襲の力が必要になった時にはいつでも仰って下さい」


 ククリはクマナ媛の言葉と聡明さを頼もしく思い、笑みを浮かべて頷いた。彼女と彼女の一族が自分を支持してくれているのは本当に心強い。


「本当に、頼もしい味方ですわ」


 ククリの横でミソノは福々しく微笑む。

最初、倭国の大巫女になることを張政に奪われ、ただの巫女として宮に閉じ込められるよう置いておかれた自分たちに、熊襲の媛が訪ねてきた時は心底驚いた。


 熊襲と言えば、筑紫島の南部に拠点を置き、出雲の侵攻以前は倭国と長年にわたり対立していた部族の総称である。共通の敵がいる今は倭国と手を組んでいるが、それでも現在の倭国での彼らの立場は実に微妙なものだった。熊襲にとってみれば倭国は長年の敵であるし、倭国側にしてもそれは同じであり、その上倭国は一時的とはいえ仇敵の熊襲に食糧等の提供を受けているという負い目もある。その複雑な感情が混ざり合い、今でも双方の民の間で些細なことでのいざこざは絶えない。


 その彼らが、祭祀の実権を張政に獲られたとはいえ、第十三王子帥大によって豫国から派遣されてきた自分たちに一体何の用があるというのか。特に取り乱していたミソノなどはしきりに警戒して、分からぬ言葉を叫んだものだった。


 だが、そんな自分たちに対して、クマナ媛はこちらが警戒を解くまで実に根気よく礼儀正しく接してきたのである。


「私たちは知らなかったけれど、熊襲には、豫国と同じように巫女の地位が高くて、似たような政の形があったのは、本当に幸運でした」


「私たちにとっては当たり前の話なのですけどね。亡くなった大婆様の話では、ずっと昔はこの倭国も同じような形を取っていたらしいです。どうして今のようになってしまったのか」


「豫国がそうでしたら、私には倭国こそが異質に感じます。けれど北の部族が倭国としてのまとまりができるにつけて自然とそうなったか、必要なことだったのでしょう。あるいは、大陸からの風習や考えが流れてきて、変わってしまったのか。それは今の私たちにとって、弊害以外の何者でもありません。熊襲の大婆という方の予言に、感謝しなくては」


 ククリは目を閉じ、顔も知らぬ南の巫女に感謝した。

 それは五年前のことだったらしい。熊襲で最も尊敬を集め、大巫女とも言える大婆が、今際の際に予言したのである。


「東方より、大いなる巫女が来る。その人物に従え。従えば我らの弥栄は間違いない」


 すると、すぐに古来より神秘の島とされている豫国より、ククリがやってきた。やはりと思った熊襲の民は、その予言に従い、熊襲は密かに接触してきたのだった。特にクマナは誇り高い熊襲の戦人ではあるが、自分が長の娘でありながら巫女の資質がない為、その分ククリには並々ならぬ尊敬の念を持っている。


 ククリは、この流れはまさに神の意思ではないかと思い熱い息をついた。豫国の神と筑紫に住まう神々とは違う神ではあるが、きっと、自分には使命があり、何か流れがあるのだと思った。そんな時、思い出すのが生贄の事について対立していたあのサクヤなのだから、ククリは人生とは不思議なものだと思った。


 するとそれまで二人のやりとりをはらはらしながら聞いていたミソノは、少し間の抜けた声で話しに加わった。


「ところでククリ様、クマナ様、倭国王の帥鳴様とは、どのような御方なのですか?」


 ミソノが私は顔を見たことくらいしかなくて、と言った途端、二人は顔を見合わせて困惑した。


「とても神秘的な方です」

「かなり変わっておりますぞ」

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