第三章 王都奪還

第二十一話 臨時王都

 

 倭国の夏は、一面の輝く緑から始まる。

 豫国よりも遙かに広い平野が多くある筑紫島では、夏には一面の緑が季節の訪れを告げるものになっていた。


 空には十をゆうに超える種の鳥が飛び交い、地には猪、狐、狸、鼬といった何十種もの獣が走っている。地の中にも様々な生命の蠢きが宿っており、鬱蒼と生い茂る木々や草花には、花や実だけではなく溢れんばかりの神秘の霊威が宿っている。


 草木をまるで崇めるように寄ってくる虫や獣たちにとっては、緑はまさに神の色だった。

 青く澄み渡った天空を見れば、日を覆い隠すほど大きな鳥が何羽も舞っており、何かを祝福しているようでもある。


 阿蘇の山から下りてくる風は大らかで、その風に平野の草木が一斉に揺れる時、この土地の風土のなんたるかを見る者に一瞬で知らしめた。


 それは旧王都から南下して築かれた臨時王都も同様だった。東に阿蘇の山が聳える地である臨時の王都は、今まさに輝く神秘の季節を謳歌していた。

 その季節の中、倭国の人々の表情は以前よりも穏やかになりつつある。


 すでに臨時王都の基盤は揺るぎないほどに完成し、いくつもの砦が築かれ、開田された土地はゆうに百を超え、昨年の秋にとれた米の量はかつての王都の周辺でとれた量とほぼ同じになっている。収穫される米の量に比例するように、倭国の兵の数も実力も着実に増えていっており、じき行われる王都奪還の戦を前に万全の体制を整えつつあった。


 王都を放棄し南下したといっても、もともと現在の場所であるアワギハラは倭国の勢力圏内であったし、環濠も既にある拓かれていた土地だった。風土もほとんど変わらぬ為、住む場所と水田さえ確保できれば人々にとって、この遷都はそれほど堪えるものではなったのだ。


(それでもこの五年の間に、倭国は大きく変化した)


 ククリは担がれ揺れる輿に上で、視界に王宮が入ると特にそう思った。


 四年前、倭国王である帥鳴は、第三子である帥響の勧めに従い大陸人の張政を取り立て、新たに創られた『太師』という役職に置いた。


 『太師』とは、漢よりも以前に栄えたある国にあった役職である。天子すなわち大王の師として、王を助け導く者のことだったらしい。


 王の師であれば、礼儀の上では王より上位にいると言っても良い。そしてその王の師である太師には、輝く銀の髪という特異な風貌だけでなく、天候を予知し、病を癒すという神と通じる神秘の力が宿っていた。


 はじめは彼の出自の怪しさと胡散臭さに抗議していた族長や王子達も、彼が天気を予知し農作業と王都建設を助け、念じた水で疫病で苦しむ民を次々に癒し、その上驚くほど的確な用兵術と統治能力で臨時王都を安定させると、たちまち彼を認め、神が宿った者、天と通じる者として崇めるように従った。

 

太師である張政の権威が高まることは、ひいては倭国王の権威が高まることに繋がる。これによって倭国は、一時的敗戦による混乱は一応の終息を迎えることが出来たのである。


その役目は、本来ならばククリに与えられたものだった。

流れる緑の風景を横目に、ククリは一つため息をついた。


「このあたりで鬼・・・神が出たのですね」


ククリは輿を降りて青い空を一度仰ぐと、視線をすぐ地上の人々へと戻した。

ここは都の中心から最も離れた環濠の近くだった。


「そのようでございます」


 地にひれ伏して応えるのは、倭国の巫女たちである。地に額などつけなくても良いと言っているのに、彼女たちはなかなか改めてくれない。もっとも、漢の影響を受けるこの地であれば、しかたないことなのかもしれないが。


 ククリが目を細めて意識を集中すると、最近男たちが完成させた環濠から向こうの林の影に、確かに青白く輝く牡鹿の姿があった。見事な角と毛並みの牡鹿は美しく、こちらに臆すること無く堂々としていた。


 だが相手は赤い目を輝かせ、明らかにこちらを威嚇している。実際に、このあたりで不可解な事故が起こって怪我人が何人も出ているのだった。

このあたりの土地主だった鬼だろう。ここに環濠が作られたことに怒っているのだ。


 といっても、倭国ではその鬼も『神』と呼んでいる。


 豫国で神と言えば大神のみで、そのほかの自然に宿る存在は全て鬼と呼んでいたのに。ククリにはそのことがいつまで経ってもなれなかった。呼び方が違うと言うことは、当然扱いも違う。最初、ククリが弓矢で土地の神を退治しようとするのを見て、倭国の巫女たちは腰を抜かさんばかりに驚き、必死でククリを止めたものだった。


 神に対して、なんという畏れ多いことを、まして巫女が、というのである。豫国と倭国の、神というものに対する認識の違いである。豫国ならば、全ての鬼すなわち鬼神は大神に従い、大神の名の下に駆逐されるものだ。大神の庇護を受ける人の領域で暴れる鬼神は、退治されるべきものであり、巫女は大神以外の鬼神に対しては『祓う』姿勢だったのだ。

 

だが、倭国は違う。大神を崇拝していない倭国は、鬼神に対しても豫国の大神と同じように恐れ敬う存在になるのだ。


倭国の巫女は、荒ぶる鬼神も大神と同じように鎮める存在だった。


しかしククリにしてみれば、納得がいかない。大神以外の、まして小さな土地の鬼をどうして敬うことが出来ようか。それは大神に対する裏切りでもある。

 結局、ククリたち豫国の巫女が導き出した妥協案は、『追い払う』ということであった。


「ククリ様・・・くれぐれも」


「分かっています」


 ククリは側仕えの巫女から木箱を受け取ると、蓋を開けて絹の包みにくるまれた鏡を持ち上げ、頭上に掲げて恭しく取り出した。鏡の裏には、一本の角の生えた獣と、無角の獣の姿が刻まれてある。それは、ククリが倭国へ発つ時、サクヤから特別に渡されたものだった。


 日の光を集めた鏡の輝きは、木立の影に立つ牡鹿の神へと放たれる。


「この土地の小さな神よ。ここより離れ、新たな土地に行き給え」


 遠くの木立にククリの声が響き、光に怯えた牡鹿の神は、体をびくりとして硬直させ、ククリの言葉を受けるとすぐに林の奥へと逃げ出した。成功である。もうここで不可思議な事故は起こらない。


 ククリが緊張を解いて息をつくと、左右の巫女たちの視線に気がついた。やはり、このやり方でもいくらかの不満があるようだった。いつまで経ってもこれである。


 ククリはため息をついた。やはり豫国と倭国は違う。そもそも巫女の立場からして、この国では地位が低すぎるのだ。豫国ならば巫女といえば、それだけで王族に近い地位なのに、倭国ではほとんど奴隷の身分であった。それは生口と呼ばれており、罪を犯した者などがいる身分で、神聖な巫女がそのような地位にあるなど、ククリや豫国の巫女からすれば信じられないことである。


 だが、倭国の巫女たちにとってはそれは当たり前のことらしく、このように必要以上に卑屈な態度となってあらわれていて、それがククリにとっては気に入らなかった。


 倭国の巫女たちも、もっと意識と誇りを高く持たなくては、今や太師となった張政と渡り合う事など出来はしないのだ。


 長年にわたって虐げられた地位を逃れ、尊敬を集めることが出来る好機が目の前にあるというのに、どうして彼女たちは努力し、変わろうとしないのか。絹の衣服を与えても、自ら額ずいて、土で汚してしまう。


 ククリにとっても、王を導き、国を治める彼の地位こそ、本来自分に約束されたものであり、今となっては勝ち取らなければならないものなのだ。それなのにこの四年、彼女たちは全く成長していない。

ククリは拳を握りしめ、平伏する巫女たちを睨むと再び輿に乗って自分の宮へと急いだ。


 自分の予感では、今日は彼女が訪れそうなのである。

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