第7話 海賊船発見!
見張りのエリックが、ロワールハイネス号の舳先から身を乗り出して叫んだ。
「
その声は遥か後方、舵輪がある後部甲板の右舷側に立っているシャインの耳にまで届く。
「じゃ、打ち合わせ通りに」
シャインは舵輪を握る航海長シルフィードと、士官候補生のクラウスに向かって、意味ありげな微笑を向ける。
「了ー解」
「了解しました。副長に伝えてきます!」
白い歯をきらりと光らせてシルフィードが答え、クラウスはウサギのように元気に後部甲板を下りて、メインマスト前にいるジャーヴィスの元へと駆けていく。
「ジャーヴィス副長! 『貴婦人オトリ作戦開始』です!」
「……」
クラウスがそう言った途端、ジャーヴィスの顔に暗澹たる影が落ちた。
「……もっとましな作戦は、他にいくらでもあると思うのだが」
「でも、艦長命令ですから」
クラウスは全く迷いのない澄んだ瞳でジャーヴィスを見上げる。
「そ、それはそうだが」
「ジャーヴィス副長。君がいないとこの作戦は成り立たないんだよ。急いで!」
後方から容赦なくお気楽なシャインの声が響く。
「わかりましたっ! 私がやればいいんですよね! や・れ・ば!」
ジャーヴィスはぐっと唇を噛みしめ拳を握った。
「さ、副長急いで」
クラウスまでもが急かしてくる。
「わかっている! クラウス、お前も支度をしろ」
――5分後。
「よたよたと、船を制御しきれていないように航行すること。上げ綱をゆるめて、帆をだらりと垂らして。海賊船はロワール号を商船だと思うだろう。あ、君達は酔ってるふりをして、歌でも歌って」
先程より随分と近くなってきた、二本マストを持つスマートな船体の海賊船との距離を測りながら、シャインは甲板で指示を出していた。
見張りのエリックは弦楽器を片手に小意気な舟歌のメロディーを奏で、水兵達は海軍の濃紺の制服から普通の洋服へ着替えをすませて各々談笑している。
「ひっかかりましたぜ、艦長」
潰れた山高帽を斜めに被り、赤と白の縞模様のシャツに着替えて、ロワ-ル号の舵輪を握るシルフィードが呟いた。ターゲットの海賊船が向きを変えて、こちらへと確実に近付いてくる。
「じゃ、後はジャーヴィス嬢に任せるよ」
「……」
そこには淡い桃色の日傘を差した、白いドレス姿の貴婦人が立っていた。
「さー、お嬢様。お客さんを出迎えに行きましょうか」
長い金髪のカツラをつけ、メイドに扮したクラウスが、ひきつったジャーヴィスの顔に焦りながらもその手を掴んだ。
「どうかしたんですかいー?」
あっちへふらふら。こっちへよろよろ。
帆は、ぱたぱたうるさい音を立てて風をこぼしている。
そんなロワールハイネス号へ、海賊船が船を寄せてきた。
いかにも人が良さそうな商人風の、ふくよかな体格な男を筆頭に、背後には十数人の水夫たちが、じろじろとロワールハイネス号の甲板の様子を見つめている。
「ごらんのとおり。舵が壊れてしまって困ってるんです」
日傘を右肩の方へ傾けて、直接顔を見られないようにしながら、貴婦人がしおらしく答える。
「そりゃーお困りですな。舵は今、直している最中で?」
男は人懐っこそうに優しい声色で訊ねた。
「それが……舵を直せるものが、うちの船には乗っていなくて」
くるりと日傘を回して、貴婦人は商人風の男に背を向ける。
「だったら、私めの船大工に、お宅の船の舵を直させましょう」
「えっ。そんな、よろしいんですの?」
「ええ~まったく構いませんぞ。海で困った時はお互い様ですからなぁ。修理の為にうちの船大工と手伝いをする者を、そちらに乗せてもらっていいですかねぇ」
「そ、そうね。でも、港も近い事だし、お手を煩わせなくても、何とかこのままいけると思うの」
「お嬢さん。舵が壊れてるんですよ? そんな状態で港までいけるはずないでしょう」
「そういわれれば、そうよねー。思いきって、頼んじゃった方がいいかしら?」
◇
「シャイン。どうして今、海賊を捕まえないの?」
ロワールは、ロワールハイネス号の舵輪の影に潜んでいるシャインへ声をかけた。
「あっちもこっちと同じことを考えてるからね。ま、いかに長く奴等を足止めしてくれるかは、ジャーヴィス嬢にかかっている」
そういうと、やおらシャインは右舷の船縁に足をかけて、接舷している海賊船の後部甲板へ素早く飛び移った。
そして金の前髪を靡かせてロワールの方へ振り向いた。エルシーアの海と同じ、碧海の瞳を細めながら。
「ロワール。何があっても、ヒステリーだけは起こさないでくれよ」
「ちょっと! シャイン、どこへ行くのよ……!」
慌ててロワールは右舷の船縁へと駆け寄る。
「あっ、お前……ふぎゃ!」
シャインは海賊船の舵を握っていた黒髪の若い男の鳩尾に一発を喰らわせて、その体を甲板に沈ませていた。そして、目的の者を探した。
「あんた、な、何だい!?」
舵を握っていた男のそばから、十七、八才ぐらいの少女が顔を出した。
濃い緑色の髪を一つのお下げにして、褐色の肌に髪より明るめのグリーンの瞳が眩しい美少女。黄地に赤い大きな花柄の模様のついた布を肩から巻き付け、そこから野性的でしなやかな素足がのぞいている。
「あ、あんた……その服は海軍だね。お頭に言わなくちゃ!」
「
シャインは回れ右をして、ジャーヴィス嬢と話をしている商人風の男の方へ行こうとした少女の行く手を塞いだ。
「あんた、あたしらを捕まえようって魂胆だろ」
「いいえ。俺はあなたに会いたくて、ここにこっそりきたんです」
彼女の足元に膝をついて、シャインはじっと船の精霊を見つめた。
「な、ななな……一体、あんた、何?」
「何って。俺はあなたの足の速さに惹かれてしまったんです」
「はぁ?」
シャインはやおら精霊の手をとり、周りの海賊達に気づかれないよう、小声で話し始めた。
「知ってますよ。この一週間、海軍の船はどれもあなたに追いつけなかった事。しかし……」
はぁーと、シャインは深く深くため息を漏らす。
「しかしって、何だよ。褒めるくせに、そんな重いため息なんかつきやがって」
「いえ。あなたのお陰で海賊達はしっかり稼いでいるのに、そのお金を、あなたには全然使っていないようだから……」
はっと緑髪の船の精霊の顔が強ばった。
「見なさい。このお粗末な帆。カビが生えて、まだら模様になって本当に汚らしい。甲板磨きもちっともしていないから、砂でざらざらしてるし、船体の塗装もすっかり剥げているじゃないですか。この分だと、船底の掃除は全然してなくて、フジツボやら海草が生えまくってるに違いない」
すると、精霊のグリ-ンの瞳が大きくうるみだした。
「そ、そうなんだよな! あいつら、ちっともあたしの手入れをしてくれないんだ。誰のおかげで海軍から逃げられると思ってるんだ」
そうでしょう、そうでしょう。
シャインは精霊の褐色の手を掴んだまま大きくうなずく。
「そこで相談ですが、あなた、海軍へ来ませんか?」
「へっ?」
「海軍は船をとても大切に扱います。甲板磨きは一日二回。週に一度は帆を繕い、半年に一度は船底のフジツボを取り払います」
きらきら。きらきら。
精霊の瞳は星のように輝いている。
「そ、そうなの……?」
「ええ。あなたはもっと速く走る船だ。造船所で痛んだ部品を交換して、全身くまなくリフレッシュできる再艤装コースをすれば、新造艦と同じ位美しくなりますよ?」
「全身……りふれっしゅ……か?」
「そう。船体も帆もぴっかぴか! いかがです? このまま海賊船でいるより、ずっといいと思うんですけど」
「……ぴっかぴか、かぁぁぁ!」
両手を胸の前で合わせ、船の精霊は頬を赤らめながらうっとりとシャインを見つめている。
「絶対だな、ホントだな!?」
「ええ。再艤装コースの予約を造船所に入れときます。すぐに」
すると精霊はいきなりシャインに向かって抱きついた。
「うれしい! だったら、海軍の船になってやってもいいぞーー」
◇
「うう……シャインったら。海賊船を捕まえるのが目的ではなくて、あの船を手に入れたいだけだったのね!」
一部始終を眺めていたロワールから、青白い炎のようなオーラがゆらりと昇っていった。
「そんなの、ぜったい、この私が、許さないからーー!!」
ぐらり。
ロワールハイネス号が突如身震いするかのように大きく震えた。
「な、なんだ!」
「うおーっ!?」
甲板が揺れるので、咄嗟にドレス姿のジャーヴィスはその場にしゃがみこんだ。
海賊――商人風の男は、ちょうどロワールハイネス号に乗り込もうとしていたが、渡り板をかけたところで船が揺れたので、その体は海中へと投げ出された。
「そんな船、あなたには必要ないはずでしょ!? シャイン!」
ロワールハイネス号は予想を違わず、海賊船の船体めがけて突進した。
どがしゃーん!
ロワールハイネス号の舳先がぎりぎりと海賊船の船首へめりこむ。
「ええい! 乗り込めーー。このスキに全員捕まえろ!」
それを合図にジャーヴィスは日傘を放り捨てて、ドレス姿のまま、水兵達を率いて海賊船に乗り込んだ。
そのどたばた騒ぎの中、海賊船の船尾ではもう一つの戦いが火花を散らしていた。
「なんだよ
「うーん。流石ロワール。見事に予想通りの展開だ」
ぶくぶくぶく。
海賊船ははや船首に開いた穴から浸水して、どんどん沈んでいこうとしている。
「あんた、何、満足そうに眺めてるんだよ。あたし、穴開けられて、沈もうとしてるんだよ!! あ、再艤装ってこういうことか! えっ?」
シャインは涼しげな顔をして、憤る精霊の顔を優しく見つめた。
「そういうことになってしまったけど、約束はちゃんと守るよ」
「ちょっと、シャイン! いつまでそんな汚らしい船に乗ってるのよ」
憤怒の形相でロワールが怒鳴っている。
それを聞いた海賊船の精霊は、きっとロワールを睨みつけた。
「失礼な奴だな! あたしに穴を開けたうえ、汚いだと!」
「汚いから汚いと言ってるのよ。そんなこともわからないわけ?」
「言ったな!」
「言ったわよ!」
「あ、おい……ロワール……」
シャインは困ったように、睨み合いを続ける精霊達へ声をかけた。
「「だまってて!」」
それから三十分後。海賊船の船首が完全に水没するまで、この二人の精霊のケンカは続いたのであった。
◇
「艦長、わざとでしょ。レイディ・ロワールが怒る事を想定して、あなたは」
シャインは未だ海賊船の精霊と口論するロワールを見つめた。
「ああいうところが、好きなんだ。きっと彼女も、わかってたさ」
海賊達はロワールハイネス号の甲板で縛り上げられていた。
彼等の船は何しろ船首から沈みかかっていたから。
ジャーヴィスは薄暗くなっていく水平線をながめながら肩をすくめた。
「だったら、あの喧嘩はどうしてまだ終わらないんでしょうね」
「仕方ないさ。だってロワールは……」
シャインはそっとジャーヴィスの肩を叩いた。
「まだ子供だから」
ー完ー
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