第16話 最後の旅

「そう、君は心を無くしたわけじゃなかった」


「…」


 空と海の世界に戻ってきた私たちを出迎えた彼はまずそう口にした。


「君も気づいている通り、心とは芽生え、育むもの」


「君がかつて持っていた心は確かにその肉体と交換で僕が持っている」


「そして、その肉体には確かに君の。…いや、君たちの半分の魂が宿った」


「その魂の残滓とも言える記憶に結びついていた自我から君の心が誕生して、今の君がある」


「君はもう既に、君自身の心を持っているんだよ。その憎悪に満ちた心は君なんだ。他の誰かじゃない」


「…ははは」


「…何それは。慰め?哀れみ?同情のつもりかしら。だとしたらとんだおふざけね」


「自分は初めから存在なんかしていなくて、私じゃない別の誰かの一部に過ぎないと言われて。これが笑わずにいられるかしら?」


 ………。


「…けど」


「なんかもう踏ん切りがついたというか。ははは…そっか、何かしらね。この気持ち」


「初めから何となくわかってたのよ。他人を憎んで、その憎しみのままに幸せな連中の心を破壊して。そんなことをしても何にもならないことくらい、初めからわかってた。それでも多少は満足できたのよ」


 私は今、何を感じているんだろう。


 存在していなかった私は、果たしてどうなるのだろう。


「ねぇ、私はこれから、どうなるのかしらね」


 …どうもならないよ。


「?」


 あなたはあなたとして、存在すればいい。あなたはもう、あなただけの心を持っているんでしょ?私の半分でも、誰でもない。そこにいるのはあなたなんでしょ?


「それに、君のやってきたことにも意味はあるさ。確かに誰かの心を壊して回っていた君の行動には多少なり考えさせられることもあったけど。それもまた僕にとっては新鮮だった。これでも、君と出会えたことは無駄じゃないんだって思ってるんだよ?」


「…」


「君にこれを渡しておくよ」


 彼は一冊の本を私に手渡した。


 それはよく見た、誰かの心。


「君自身の目で、自分を確かめるといい。そして君が君の意志で選ぶんだ。君自身の歩む道を」


 そうか、これは私の心。


 正確には肉体と引き換えに捨てたはずの、生きていたころの私だ。


「彼女が道を選んだ時、君のこれからも決まる。…けれど本当にそれでいいのかい?」


 …うん、いい。


 あの子が言っていた言葉に嘘はないから。私も生きていた時は嫌な事ばっかりだったから。


 だったらもう、任せちゃおうかなって。それでどうなってももう、何でもいいや。


「…随分と適当だね」


 それも私だもん。あの子が言いそうでしょ?


「確かに」


「…聞こえてるわよ」


「事情は聞いてたら理解した。考えてみたら確かにそうよね。私たちは同じ一人の人間だったんだから、どちらかだけがどうなる、なんて虫のいい話よね」


「まぁ。その話はまた今度にしようか。まずはほら、行っておいで」


「そうさせてもらうわ」


 そして私は、私自身を知るために、そして私の今後を決めるための最後の旅に立つのだった。

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