討伐戦3

 出発したばかりのシベルアの天気は、まずます穏やかだった。

 霜の巨人の出現予測地点は、ブリック子爵から貰った地図に印がつけられていた。


「とりあえずは〈ザンギュラ〉の出現地点の近くを目指そう。では進軍開始!」


 オリフラムの号令と共にアバーシの街を出た討伐隊は、街道からやや離れた目的の地点周辺へとやってきた。

 そこは、周囲にあまり凹凸おうとつの無い平地で見晴らしは良かった。

 足場になる雪はそれなりに固く、足は取られるものの雪に嵌って動けなくなる程では無いようだった。


「念のために部隊がバラバラになった時の合流地点も決めておこう。最終的には一度撤退するなら、アバーシまで戻っての再編成という形でいいかな?」


「承知しました。こちらも何人かに地図を回しておきます」


「よし。これでいつ霜の巨人が来ても大丈夫……大丈夫?何か忘れているような」


 準備は整ったように思えたが、オリフラムは何か大事な事を忘れているような一抹の不安を覚えるのだった。


 昼間を過ぎると、空が暗く曇りはじめ冷たい風が吹くようになってきた。


「これは吹雪になるかもしれないな……行軍はやめて一時待機しよう」


 オリフラムは氷壁騎士団と共に簡易天幕テントを準備すると、吹雪に備えた。

 案の定天候は崩れ、雪と風が激しくなり次第に吹雪となった。

 鎧の上から防寒着を羽織って、寒さに備えたオリフラム達と天幕テントの中で待機するアルフラウ。

 日も暮れかかって来た頃に、何処からともなく雄叫びが聞こえてくると、オリフラム達は霜の巨人の来襲に備えた。


「いよいよ来るのか、霜の巨人〈ザンギュラ〉め。全員散開。索敵開始!」


 オリフラムの号令と共に一定距離で散開した氷壁騎士団は、周囲の警戒に当たった。


「右前方!人影あります!」


 氷壁騎士団の副隊長、アルドラが腕を上げると五人が一列に密集し、前方に大盾を構えて進軍した。

 オリフラムは騎乗海豹アザラシを一旦退かせて、アルフラウの回収へ向かった。


「前壁は任せる!僕はアルフラウを連れてくるから、それまで凌いでくれ!」


命令了解イエスサー!」


 氷壁騎士団たちは霜の巨神を挟み込むように二部隊に分かれて移動すると、足止めに集中するために大盾を構えた密集隊形ファランクスとなった。

 霜の巨人は前後を包囲されたことに怯むことなく、巨大戦斧ポールアックスを構えながら前方の部隊に向けてゆっくりと足を進めた。

 騎乗海豹アザラシから降りた氷壁騎士団も、密集隊形ファランクスを保ちながらじりじりと巨人へと間合いを詰めていった。

 霜の巨人〈ザンギュラ〉は蒼い目を輝かせながら、巨大戦斧ポールアックスを大きく掲げて氷壁騎士団の集団に叩きつけた。

 凄まじい力であろうと、攻撃の軌道が読めているのであればその力を逃す事もできる。

 巨大戦斧ポールアックスの衝撃によって大盾は火花を散らすが、五分人の身体が少し雪に沈むだけでその攻撃を受け止めて見せた。


「いってええ……これ骨軋むわ。全員一旦後退!二撃目に備えろ!」


 正面側で攻撃を受け止めた副隊長のアルドラは、人ならざる者の剛力に舌打ちした。

 一撃で斬り伏せられない苛立ちからか、霜の巨人は呻き声を上げながら青白い息を吐く。

 その口元から漏れる青白い息が、蒸気のように一気に溢れると今度はそれを吸い込むかのように大きく息をした。


「あっ、これやばいかも。大盾を前に立てて後退しろ!」


 アルドラの頭の中には既に、走馬燈が回り始めた。

 霜の巨人は、今度は溜め込んだ息を一気に密集隊形ファランクスに向かって吐き出した。

 青白い吹雪の吐息ブリザードブレスは大盾を瞬く間に凍り付かせ、辺り一帯を氷柱のようにしてしまった。

 幸い怪我人は誰も居なかったが、巨大戦斧ポールアックスから身を護る大盾を失った前列部隊は、霜の巨人の的にならないように後ろに待機させていた騎乗海豹アザラシで一時散開を余儀なくされた。


「くっ、万事休すか」


 アルドラが後方のシリウス隊長達の部隊が到達するのを期待するには、後方のアルフラウ女伯爵の居る天幕テントへと霜の巨人の接近を許す危険があった。


「待たせたね、アルを連れてきたよ!」


 オリフラムは防寒着も着ていない赤いローブの姿のアルフラウを、荷物のように小脇に抱えながら騎乗海豹アザラシを疾走させて霜の巨人の前に降り立った。

 アルフラウを後ろに立たせて、オリフラムは両手に装備した操銀糸に意識を集中させる。


「アル!詠唱を!」


 オリフラムは叫ぶと同時に両腕を前に突き出し、操銀糸を霜の巨人へと解き放った。

 吹雪で大きく捕捉位置が狂うのを、辛うじて調整しながら霧の巨人を巨大戦斧ポールアックスと共に絡め捕る。


「やったか!」


 巨人を絡め捕った操銀糸は手元で断ち切り、霜の巨人の様子を窺った。

 霜の巨人は無数に絡みついた糸を引き剥がそうと足搔いたが、流石の巨人と言えど直ぐには糸を引き裂くことができない様だった。

 それでもゆっくりと歩を進める霜の巨人〈ザンギュラ〉

 オリフラムは向かってくる霜の巨人をずっと警戒して睨んでいたが、その蒼い目と顔に見覚えがある事に気が付いた。


「えっ……フレースヴェルグお父様?」


 その言葉に霜の巨人は答えることなく、操銀糸を絡ませたまま歩を進めた。

 オリフラムが狼狽えている傍で、アルフラウは呪文の詠唱を終わらせようとしていた。


「言霊達よ……古の契約により力を現せ。すべてを焼き尽くす炎の……へきちっ」


 アルフラウのくしゃみと共に、指先から黒い煙がボウッと音を立てて立ち上がったかと思うと、それ以外には何も起こらなかった。

 ぷるぷると防寒着の無い身体を震わせながら、アルフラウは次の言葉を紡ごうとするがあまりの寒さに口もうまく動かなくなっていた。


「オリフゥ……さむ……い」


「えっ、詠唱失敗ファンブル?あ、いや。でも良かった。あれはフレースヴェルグお父様だよ!攻撃なんかしちゃだめだ!」


「フレースヴェルグ伯ですって?あ、そういえば顔が……参りましたね、これは」


 騎乗海豹アザラシで散開していた副隊長のアルドラが、適度に霜の巨人と距離を保ちながらその顔を確かめて唸った。


「父上が正気なのかどうかも分からない。そしてアルをこのままにしておけないから、一時撤退する!皆、アバーシへ撤退!」


 オリフラムの号令に従って、氷壁騎士団は一斉に撤退を開始した。


「僕達も逃げるよ、アル!」


 オリフラムがアルフラウを抱き上げると、その身体は氷のように冷たかった。


「だめ……天幕テントに、日記が……置いてある……から、持って……来ないと」


 いつもより青白い顔のアルフラウは、オリフラムの服を力無く握った。


「えっ、日記?そんなに大事なものなの!?くっ……分かった。一緒に行こう」


 オリフラムは騎乗海豹アザラシを駆って、待機場所の天幕テントまでやってきた。

 少しでも暖を取るため、アルフラウを天幕テントの中に入れて、防寒着を羽織らせたあと、付箋の付いたアルフラウの日記帳を探した。

 比較的目につきやすい所に日記帳があったので、オリフラムはホッと胸を撫で下ろして日記を手に取った。

 オリフラムはアルフラウに日記帳を預けて、一緒に天幕テントを出ようとすると、青白い雲のようなものに天幕テントの周囲をいつの間にか包囲されてしまっていた。


『カラダ……ヲ、ヨコセ』


 うっすらと光る青白い雲は、何処からともなく声を出した。


「えっ、何こいつ!?」


「これが……ザン、ギュラ……お父様の身体を……邪なる……」


 アルフラウが弱弱しく言葉を紡ぐと、青白い雲は一塊になってアルフラウの口の中に入り込もうとした。


『ヨコセ!』


 青白い雲はアルフラウの身体に吸い込まれ、白子アルビノの少女の身体がビクンとはねた。


「アルー!!!」


 オリフラムは目の前で起こった出来事に、泣き叫ぶことしかできなかった。

 暫くすると、アルフラウの全身から青白い煙のようなものが立ち昇り……青白いそいつは戻ってきた。


『ダメダッタ』


「何がだよ!?くっ、こんなの相手にしてられるか!とにかく逃げるよ!」


 糸切れた操り人形のように動かないアルフラウを抱えあげると、オリフラムは待機させてあった騎乗海豹アザラシに乗って、全力で青白い雲〈ザンギュラ〉から離脱した。

 だが、必死に逃げたせいで吹雪の影響もあり、完全に氷壁騎士団を見失ってしまった。


「あ、やばいなこれ。完全に迷子だ……」


 吹雪はますます強さを増し、オリフラムとアルフラウは雪の中をあても無くさ迷う事となってしまった。

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