第四話 忍び寄る魔の手――

◆◆◆ 荒神裕也――

 

 何やら耳元で囁かれるようにして呪言を賜った瞬間。ルーナの表情が引き攣ったのを俺は見逃さなかった。

 さすがの俺でもたじろぐ真っ黒な笑みを浮かべた背後霊に連れられ、トボトボと頼りない足取りで歩いていく姿は実に憐れだ。


 その項垂れるように観念していた彼女の表情に電流が走ったのは、噴水広場の端で待機していたガキどもと合流を果たしてからだった。


 ワナワナと震える唇から言葉を吐き出せば、幼稚な声が口々に飛んできた。


「マ、マリナ。もう一度聞くけど、あなた一体これはどういうことなの!? おねぇちゃん、あなたにそんなにたくさんお小遣いをあげた覚えはないんだけど」


「うん。だからおにちゃんに買ってもらったの―」


「買って貰ったって……まさかこれ全部ですか!? 怪鳥の焼き串に綿菓子に、聖王都特産肉マシマシ揚げパン。……シャモンまんまで!? レミリアちゃんもご飯食べたばかりでしょうになんでそんなでっかいお肉が入るんですか!!」


「あの、みてたら、お腹すいちゃって」


「なん、ですって」


 震える琥珀色の声色に恐怖の色が凍り付く。


 おそらくルーナが想像しているのは女特有の体重関連の悩みだろう。

 女は自分自身の体系を維持するために命を賭していると聞いたことがあるが、ルーナもあながちその辺の努力を怠っていなかったらしい。


 育ち盛りの面々を前に息を呑んむ音が聞こえてくる。


 その戦慄く視線は、いかにも前夜祭を満喫しましたと言わんばかりのフル装備を晒す子供たちに向けられていた。


「うう、最近太り気味の私に対するに対する挑戦ですか」


「そうですかー? 太ったようには見えないですけど」


「でも体重は増えたんです!! ああ、ちょっとレミリアちゃんそんな純粋な眼で私のお腹を見ないでください!! まだ標準体型です太ってませんからね!? というかそもそもヤエ様はなんでこの子たちを止めてくださらなかったんですか。健康に悪いから九時以降は食べさせないって決めたじゃないですか!!」


「いやー、せっかくの祭りなんだし今日くらいはいいかな? と思ったらこの子たち食べる食べる。そしたらわたしも食べたくなっちゃって☆ あっ、この焼きトウキビどう? 南の帝国の名産品で結構いけるよ?」


「そ、う、言、う、こ、と、じゃ、ありません!! 年長者のヤエ様がそんなんじゃ困ります!! ましてや仕えるべき主人にたかり、いいように顎で使う従者がどこにいますか!? というかヤエ様はそれでいいんですか!?」


 その手にはガッチリと買ったばかりのネックレスが握られているのだが、どうやら自分のことは棚に上げているらしい。


 先ほどまでは魔石に掛かっていた魅了の名残りに精神が引きずられていたようだが、変態馬鹿の奇行のおかげでそれも完全に消し飛んだようだ。

 非難の視線が俺達に突き刺さるが、どうやら興奮していてそれすら気づけていないらしい。他人の振りをしてそのまま退散しようと踵を返した途端、細い指先ががっちりと俺の腕を掴み上げた。

 順繰りと変態女から俺に突き刺さる。


「一体どこへ行こうというのですかアラガミ様? この無様な惨状は一体どういうことか説明を願います」

「……俺は何もしてねぇ」

「だったらどうして私の妹のお腹がパンパンに膨れるんです!! ほら、こんなにもゲソ飯みたくお腹を膨らませて。一体どれだけ買い与えたんですか」


 ポンポンと和太鼓のように己の妹の腹部を指で叩くルーナ。

 当の妹は面白おかしく笑っているが確かにこれは笑えない。


 小動物にエサをあげるが如く餌付けしていったらつい加減を忘れてしまったようだ。


「さぁ白状してくださいアラガミ様!! 一体どれだけ使ったんですか」

「……銀貨八枚は軽く超えたあたりから馬鹿らしくなって数えるのをやめた」

「ぎ、銀貨八枚!?」


 クラっと額に手を当てよろけ始めるルーナ。

 若干血の気が失せたようだが、先のレイブンの依頼で手にした依頼料はこの百倍近くある。

 いろいろな都合があり、結果手元に銀貨六十枚残ることとなったが、それでもまだ財布には余裕があるのだ。この程度の出費ならまだ問題ない。


「どうしてそんなに――まさかこの子たちの幼さですか。幼さにゆえに心やられてしまったんですか!? いわゆるロリコンと言う奴なんですか!?」

「文句ならそこでガキどもと飯の奪い合いをしているどっかのバカに言え。お前のタグの感知して居場所を割りだしたのも、ガキどもを煽って俺にたかってきたのも事の発端はぜんぶあいつだ。俺はどっちかってェと被害者だ」


 実際この人ごみのなか、正確にルーナを見つけられたのは全てこの変態のおかげだ。


 レイブンが教会を脅して発行させた冒険者証は何も俺だけではない。

 ステータス機能など教会のもとで宣誓を行っていないため、俺のタグはあくまで身分証としてしか機能しない。

 ――がルーナやマリナにも一応俺と同じものが与えられているため、変態の変態による変態のためだけの裏技を使うことが可能なのだ。


 ≪天恵≫を用いた他者のステータス機能の改変。


 珍しくあのクソ変態も真剣な面立ちで二人に同じような『命令』していたのはこのためだったのだと思い知らされる。

 

 結果ルーナ捜索は、ヤエの変態的なストーキング機能をフル活用したことにより、ルーナの大まかな位置を把握でき、スムーズに居場所を発見できたのだが。


「(何しろ場所がよくなかったな、こりゃ)」


 あたりを見渡しただけでも甘い空気で鼻がもげそうになるが、それ以上に遠くのほうで聞こえてくる怒号にも似た活気の声がギルド街に響き渡る。


 聖王祭の前日に開催される前夜祭。

 その四区のギルド街であれば当然、賑わっていないわけがない。


 建ち並ぶ露店の数々はまさしく欲望の塊で、普段あまり自己主張しないレミリアでさえ瞳を真ん丸にして、興奮気味に声を上げていたのだ。


 深夜テンションで買い食いというちょい悪に目覚めたガキ二人と、俺の横に立つなりなぜか熱暴走しはじめる馬鹿を止める手立ては俺にはなかった。


 パレードや大道芸といった派手な催しはないものの、露店から流れる香ばしい食欲の匂いに釣られ、両サイドから「あれ買ってこれ買って」っと喧しいことこの上ない。

 太るぞ、と正直に警告したところ、何故か三者三様の非難が飛び交い、


「そうだ!! なんなら荒神さんにおごってもらいましょう」


 というどっかのバカによる提案によりこのざまとなったのだ。

 特にここぞという時に限って、両者ともレミリアまで使ってねだってくるからなお質が悪い。


「…………うちの妹が容赦なくてすみません」

「ああまったくだ。ありゃヘタすると相当な悪女になりかねぇな。……あいつの将来をどっかの馬鹿みたく台無しにしたくなけりゃよく躾けるこったな」

「あれ? もしかしてわたし馬鹿にされてます?」

「はい。それだけは絶対に嫌なので帰ったらしっかりと言い含めておきます」

「あれ? そこでなんで力強く頷いちゃうんです?」


 鬱陶しく絡んでくる変態女を無視し、ギロリと鋭い視線がマリナに飛べば、夜の末路を感じ取り、震えあがる八歳児。

 固い決意はどうやら邪神を受け入れた少女すら震え上がらせる恐ろしさを持っているらしい。


 そして小さな嘆息が一つ落ちると、


「あのあアラガミ様。一ついいですか?」


 一変して空気が変わった。

 不自然に身体を動かし、視線を彷徨わせるルーナ。

 先ほどまでの大人ぶった少女はどこへ行ったのか、甘ったるい匂いが鼻腔をくすぐったような気がした。


「あん? なんだその覚悟めいたオーガみてェな顔は」

「そんな顔してません!! でも、あの。ただ、そのですね。あの時なんて言ってたのかなーって気になってですね」

「あの時?」

「ほら、ヤエ様が邪魔する前に、私に言いかけた言葉です。なんて言おうとしていたんですか?」

「ああ、それか。お前はあの荒れ狂う馬鹿どもに対応できる唯一の人材だからな。これでも俺はお前に期待してんだぜ?」

「あ、そういう。……ですよねー」


 指先を合わせるような動作で視線を逸らし、どこか遠い目で虚空を見つめるルーナ。

 赤くなったり青くなったりと随分と感性豊かだが、何を期待していたのかなどわかったもんじゃない。

 ここでヘタに破をつつくのは愚か者がすることだ。


 俺はあの鈍感天然クソ野郎じゃねぇと心に刻みつつ、あえてその真意をスルーしてやれば、変態女の服をつまむマリナの一言が全てを台無しにした。


「おねぇちゃん、どうしたの?」

「おおかた、誘惑、催淫、魅了の三拍子の呪いがかかったいわくつきを手にして、買おうか買うまいか迷っていたら親に見られちゃったみたいな気まずい場面に遭遇したんですよ、きっと。一時の気の迷いで勘違いしちゃった恥ずかしい黒歴史なんでそっとして置いてあげましょう」

「なんで知ってるんですかあああああ!!?!」


 掴みかかるようにしてヤエの肩を掴み、グルングルン揺するルーナ。

 その瞳は若干羞恥の涙で濡れていた。


「はっはっはー、いやーそりゃもう誰もが一度通る道です。男の子なら中二病。女の子ならヤオイ本って相場が決まってますからね。わたしだって高校の時初めて腐海に手を出し、親に見つかった絶望と言ったらもうすごい居たたまれません!! だから解りますとも気持ちッッッ!!」

「そんなんじゃないんですううううう!!」

「いやー、ルーナちゃんも年頃の女の子でお姉さん安心しました」


 暢気な顔で揺すられながらも器用に肉串を頬張る変態女。

 その訳知り顔のしたり顔にルーナの声が夜空のギルド街に響き渡ったのはそれからすぐ後のことだった。


◇◇◇


『腐海、って、なんですか?』


 と馬鹿の言葉に興味を示したれみりあの疑問にこたえるべく口を開きかけた変態女を俺とルーナで封殺してからどのくらいの時間がたっただろうか。


 相変わらずの頑丈さですぐに復帰し、先導するようにガキどもの手を握りしめ、ギルド街に突入していく馬鹿三人。

 変態女がついて来ると決まった時点でこの混沌は初めから確定していたことだが、こんな厄介ごとに巻き込まれるとは思ってもみなかった。


「(メイド三人も連れてりゃそりゃ目立つか)」


 人をかき分けるように進むたびに特異な視線が俺達に集中する。


 ガキどもが両手に抱えた大量の飲食物は通行の邪魔になるとのことでヤエのアイテムボックスに収納中だ

 買い物中に手荷物いらずというのは相変わらず便利なものだが、この画期的な魔術式がこの変態の脳から生み出されたというのは些か納得がいかない。


「それに、しても。すごい、ひとごみですね、アラガミ様」

「ああ。まさか前夜祭でここまで人が集まるなんて思わなかったな。人混みが鬱陶しくて仕方がねぇ」

「なんたって各国から色々な金持ちが訪れる商人にとっては一番のかき入れ時ですからね。みんなこの祭りを狙って珍しいものをかき集めてやってくるんです。ほら、珍味ゲイザー焼きありますよ!!」

「まだ食べるんですか本当に太りますよ!! マリナもこれ以上食べたらお腹壊すから駄目です。ぶーじゃありません!! ほらレミリアちゃんを見習いなさい。あんなにも行儀よく――、レミリアちゃん?」

「あの、ごめん、なさい。お腹、減っちゃって」


 モソモソと買い与えたゲイザー焼きを頬張り、恥ずかしそうに俯くレミリア。

 自分でも異常な食欲であると認識しているのだろう。

 レミリアを引き取ってからというもの日に日に食事の量が増えていくのに疑問を抱いていたが、どうやら体質という訳ではないらしい。


 本人に異常がなければそれでいい。

 続いて三本目にゲイザー焼きを買い与えたところ、他の三人から非難の視線を向けられることとなりさらに六本買い足すこととなった。


「でも、こんなに楽しいの、初めてで。皆さんと、一緒に居られるのが、すごく嬉しい、です」

「マリナもマリナもー!! いろーんなお店があって村のお祭りと全然違って楽しー!! ねっ? おねぇちゃん」

「それはそうですけど。あんまりはしゃぎすぎないようにね。私たちはヤエ様とアラガミ様に使えるメイドなんですから。そのことをよく覚えて行動しないと、お二人に迷惑が掛かるんですからね?」


「「はーい」」


「よくできたまとめ役だな」

「はい。いろいろ助かってます」


 そう言って買い与えたゲイザー焼きをうまそうに頬張るヤエは、もっさもっさと口を動かしやがて咀嚼物を大胆に嚥下する。

 そして興奮する子供たちの目線に合わせるように腰を屈んでみせた。


「明日はもっとすごいですよ? 色とりどりの爆雷魔術が空を彩ったり、他国から雇い入れた大道芸人が街を練り歩いたアリとパレード満載です!! 一年で一番盛り上がるお祭りと言っても過言ではありません。だから――」


 そこでいったん言葉を区切った瞬間。

 黒い集団が俺達を囲むようにして立ちふさがった。

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