第五話 ギルド長 セルバス=エドガー
「おう、ようやく来おったかこの不良娘」
重厚な扉の先。広々とした応接間にいたのは推定年齢七十を超えたじじいだった。
老獪な枯れ木を思わせる小柄な体躯。僅かに腰の曲がった身体はいままで生きてきた年月をありありと物語っている。
だが年齢とは裏腹に、老人から吐き出される言葉はどれも力強くはっきりとしており、年齢の衰えを微塵も感じさせない。
「お前さんを使いによこすようだと、レイブンの小僧は相変わらずのようだな。あ奴のもとで働くお前さんが不憫でならん」
「にゃははー、まぁこれもお仕事だからねー」
「ふっ、何やら任務でかなり危なかったって聞いてたがその分じゃ大丈夫そうだな」
「にゃふっ、これでも結構大変だったんだよ? そういうセルバスさんこそ相変わらずの身体つき、こりゃ百まででくたばりそうもないね」
「はっはっはぁ!! そりゃ鍛えてるからな。まだまだ若いもんには負けられんわ」
エルマが被っていたフードを勢いよく脱ぎ捨て、小走りに小柄な男のもとへと駆け寄れば、しゃがれた声が威勢よく空気を震わせた。
しわの寄った笑みを深めエルマを見る姿は、まさしく孫を見る爺そのものだ。
しかし、エルマを抱きとめたその薄い服の下に隠された筋肉は、遠目でもわかるほど一切の衰えを感じさせず存在していた。
「(……並みの鍛錬じゃああはならねぇな、ありゃ)」
≪あっちの世界≫でもそれなりの規格外は存在したが、コイツもコイツでなかなかの強者というらしい。
まるで阿修羅像の前に立たされているような強烈な威圧感。この陶器ともいえる存在力はまさしくセルバスという老人の強さの証明に他ならない。
エルマのあとに続くように執務室に入れば、一瞬だけ奇妙な雰囲気に囚われて眉をひそめた。
なんだこの感覚は。
既視感のある異様な雰囲気が身体中を叩いてみせた。
しかしその感覚はすぐに霧散し、老人の声がやけに大きく俺の鼓膜を震わせた。
「まぁ積もる話もこの辺にしておくかの。それで儂が頼んどったチンピラというのはどこにおのかの」
「ほら、そこに立ってるいかにもって男がアラガミ君さ」
いろいろ言いたいことはあるが、二つの視線が俺に向けられた。
目元に皴の寄った瞳が大きく見開かれ、蓄えられた白い口ひげがゆっくりを上を向く。
「ほぉ、お前さんが例の問題児か」
「誰が問題児だ」
反射的に言葉を返せば、小さな高笑いが返ってくる。
そして招かれるまま歩き出せば、じじいも一歩一歩と確かな足取りで近づいてきた。
「あの天下のレイブン卿が気に入った人間なんぞこの不良娘も含めて碌な奴がいないからの。儂の記憶が正しければ、最近じゃあの≪孤高の聖騎士≫くらいか? 坊主の眼鏡にかなった奴は」
クソメガネを坊主扱いか。
あいつもそれなりの権力を持っているんだろうが、ちっとも気後れしないところを見るとあのクソメガネとこのじじいは親しい間柄なのかもしれない。
年を重ねたことで自然に染まった白髪を掻いていた右手がスッと動き、顔のしわをより一層深めてきた。
「自己紹介がまだじゃったのぅ。儂の名はセルバス=エドガー。ギルドのしがないまとめ役をやらせてもらっておる。お主のことはレイブンの坊主からいろいろ聞いておるよ」
「……荒神裕也だ。あのクソメガネになにを吹き込まれた」
「ふぉっふぉっふぉ。なぁに、大したことは聞いとらんよ。昔の儂のようにお主が手のつけられないほどのじゃじゃ馬だという事以外はな」
「チッ――あの野郎。また勝手なこと言いやがって」
差し出された右手を一瞥し、その手を取れば固い握手が交わされた。
手のひらに触れただけでわかる。これは戦う者の手だ。
右手から視線を外せば、鈍色の試すような視線が俺を見上げてくる。
「あんたがここの長か。……似合わねぇな」
「ほぅ、……しがないじじいが長で意外か?」
「いいや、そこに関しては疑問はねぇよ。テメェがそれなりの実力者ってのは一目でわかる。……ただこんなところでじっと燻ぶってるのが似合わねぇって言いたいだけだ」
「ふっ、この肉体を維持しているだけの老骨になにを見たと?」
「そんなもんあんたを見なくても測れる方法なんざいくらでもある。……例えばこれ見よがしに飾り付けられた深紅の戦斧とかな」
質素で厳かな調度品の数々。
その置いてある家財や調度品のその先に『それ』はあった。
家財や調度品は歴史を感じさせる古臭い匂いがするが、どれも あくまで孝行爺を演じるため飾りでしかないカモフラージュでしかない。
そう。この部屋に入った実力者ならまず真っ先に気づくはずだ。
窓際に立掛けれらた深紅の存在を。
「おい爺さん。あんたこれまでアレに一体どれくらいの命を吸わせてきた。並みの修羅場をじゃあはならねぇはずだぞ」
「ほぅ、お主はアレを一目見ただけでそこまで見抜くか」
「あんなもん堂々とぶら下げといて、あんたがただのじじいだって侮るほど俺は馬鹿じゃねぇよ」
怒りに満ちた呪いでも引き連れているような強烈な刺激臭。
調度品で紛らわせようとしているがその力は隠そうにも隠せるものではない。。
特に鼻が利く俺だからか、その深紅の鉄槌からは強烈な生気を感じる。
まるでいまも血を吸いたがっている呪いの武器のような貪欲さだ。
顎で指し示すように窓際に視線を誘導してやれば、ひげを蓄えた白い口元が二ッと吊り上がった。
やはり皮を被ってやがったか。
老人の顔に獰猛な戦士の生気が戻ってきた。
「あんたいったいなに者だ」
「ふっ――それは儂の台詞じゃよ若いの。儂はしがないガキどものまとめ役。この老骨に戦う力なんぞ残っとらんわ」
挑発するような視線。
しかしそれは狂人が浮かべるそれと同種の目つきだ。
そう。まるで戦闘を待ち望まんばかりの飢えた獣と同じ、何かを愉しむような色を浮かべて瞳で俺を見ていた。
「それともお主は、このじじいをおだてて愉しもうとしているかの? ……あいにくじゃがここの利権握ってんのは教会の生臭坊主どもだ。ゴマを摺るなら相手を間違えとりゃせんかの?」
「そんなんじゃねぇよ。ただ、こいつは純粋な敬意だ。老いてなお、前線にしがみつこうとするあんたの生き方のな」
「ふん生意気な若造じゃな。だがそう言ってのけるだけの生き方はしてきたようだ。冒険者やってるだけで満足してるガキどもと目が違う」
そのギラリと獲物をすくめさせる鈍色の瞳の奥に満足げな色が灯るのを俺は見た。
どうやら品定めは合格らしい。
満足げに頷くセルバスを見下ろしエルマを見れば、こちらも満面の笑みを浮かべて何度も頷いていた。
「まぁわかっていましたけどやりますねアラガミ君。セルバスさんに認められるなんてさ。なかなか無いよこんな機会」
「そんなことはどうでもいい。それで俺はどういう理由で呼ばれたんだ。ただこの≪タグ≫を使えるようにするため……って訳でもねぇんだろ」
「察しがいいのう。まっ、立ち話ってのもなんだとりあえず座るといい」
銀色のタグを見せれば、セルバスの指先が客間のソファに向けられる。
促されるままソファに腰かければ二つの湯呑が俺とエルマの前に置かれた。
この世界にも緑茶という概念はあるらしい。
隣に腰かけたエルマが空気を読まずに湯呑を傾けるのを見て、俺も同じように緑茶を啜れば、正面から大きく息をつく音が聞こえてきた。
「さて本題に入るかの。……ところでアラガミ君といったかな。お主はどうしてここに呼ばれたかわかっているのかの?」
「いいや。俺はただここに来いとしか言われてねぇ」
「そうかあ奴はなにも話さんかったか。……なら説明しよう。率直に言えばお主を呼んだのは他でもない。儂自身がお主を見極めたかったからじゃ」
それは何とも嬉しくない口説き文句だ。
何のためと言えばこの冒険者認定証のためと想像できるが、それだけならギルドの名前で俺を呼び出せばいいことだ。応じるかどうかはともかくあの堅物メガネの名前を出してまでエルマを引っ張り出す理由がねぇ。
となると――、
「いわゆる面接試験ってことか?」
「そう思ってもらっても構わん。儂としてはまた別の目的があるんじゃがな」
「……なら結果を聞く前に一ついいか? あんたの要件と銀色のタグが使えないこと。そしてここにいるエルマと関係してんのか?」
隣で暢気に茶をすするエルマを指させば、大きな頷きが返ってきた。
「ああ、大いに関係ありじゃな。なにせ未だそのタグが使えないのは儂がレイブンの坊主の依頼に待ったをかけてるからに他ならない」
「なに?」
眉をひそめれば、注がれた緑色のお茶を一息に煽るセンバスが、椀に盛られた煎餅をバリバリと食みだした。
話が見えない。
詳しくその話の内容を聞き出せば、
十日ほど前。国の英雄となった満身創痍のレイブンが『アラガミ=ユウヤという男に銀のタグを与えろ』と言ってきたのが事の発端らしい。突然の訪問に驚いたセルバス。とりあえずその理由を問えば『奴に任せたい仕事があるから』と一点張りで、詳しい事情は話さなかったそうだ。
正当な理由を話せなければ当然認めることはできない。
「それで?」
「もちろん突っぱねたよ、でなければこんな面倒なこといはなっておらんて」
つまりあの堅物メガネが俺に何らかの仕事を依頼させようとして、それを意図的にこのじじいが防いでいたという訳だ。
いくらあの堅物メガネに権力があろうと、ここだけは融通が利かないらしい。
それはギルド長という権限が、冒険者の運用に関してだけ絶対的な権利があるからなのだという。
そのそしてレイブンの要求を断った理由を問えば、
「儂はここの長だ。テメェの実力もわからねぇような馬鹿を死なせんように監督する義務がある。……おおかたお主もそこの不良娘と同じような天恵持ちか、それか以上の訳アリなんだろうがそこだけは譲れん」
とのことだった。
どちらも頑固な性格が災いしているのか話は平行線で終わり、今日まで引き延ばされることとなったらしい。
「……だがタグは俺のもとに届いたぞ。こいつはどう説明する」
「ああ、そいつは教会側が認めれば発行されるもんでの。儂の許可がなくてもやろうと思えば勝手に発行できるんじゃ」
すると懐から一枚の羊皮紙を取り出したセルバスがそれを机に放り投げた。
そこには『アラガミ=ユウヤ』と俺の名前が書いており、二つの空白枠のうち、一つが教会の五芒星の判が押されていた。
「こいつは?」
「お主の冒険者加入に必要な書類じゃな。これにはお主の個人情報も入っとる。……どうやらその反応を見ると本当に知らんようじゃな。坊主が儂に持ってきおった」
よくよく書類を確認すれば確かに『アラガミ=ユウヤ』という名前の横に情報が記載されていた。
おそらく参考資料にという意味合いでセルバスに渡したのだろう。
しかしそこに書かれた内容は出自から経歴まででたらめだった。
なんだこの十数年、傭兵をやってたって情報は。
しかも――
「(知らねぇあいだに俺の所属が聖王都になってやがる)」
いつの間にか国籍に組み込まれ、作った覚えのねぇ資料。
十中八九、あのクソメガネと変態女の企みだろう。
その他にも突っ込みたいところが色々あるが、ただ一つ真実があるとすれば現在住所が第七区の三十六番通りになっていることくらいか。
つまりあの堅物メガネはこんなでたらめな資料を用いて、じじいにこの空欄に判を押せと迫ったわけだ。
それはいくらなんでも無理がある。
「タグがあったところで儂が認めねばそいつはただの飾りだ。坊主は金か何かでうまく教会の人間を抱き込んだようだが、それだけでは意味をなさん」
「どういうことだ」
「教会とギルドは同じであって役割が違う。教会が認めようと儂が認めねばギルドの仕事は受けられないっという訳だ」
つまり、このタグの機能をフル活用するためには教会とギルドの両方の認証が必要になるという訳だ。
片方の許可を持っていても、もう片方。つまりセルバスが認めなければこのタグはただの無用の長物という事になる。
「ギルドが仕事の斡旋場なら、教会はあくまで神とのつながりを持つ場所じゃからな。宣誓というのもあくまでステータスを持たない一般人が恩恵を受けさせるための茶番にすぎん。ギルドの運営に関しては教会の許可自体はそれほど意味を持たん」
「おいおい、ギルドの長がそんなこと言ってもいいのかよ。あんただって教会の人間だろ?」
「確かにギルドの基本方針を決めるのは奴らだが管轄が違う。儂には関係のない話だ」
そう言って再度緑茶を自分の湯呑に注ぎ足すセルバスは、湯呑を抱えて中身を啜るとほぅ、と小さく息を吐いてみせた。
「だが一つ解せねぇ。別にギルドを通さずとも依頼はできんだろ? なんであいつはそこまでギルドの依頼にこだわる」
「そこは儂も思ったが詳しいことは知らん。ただ奴はその見た目のとおり無駄なことはせん男だ。何かしら考えがあるんだろうよ」
隣を見れば事の成り行きを見つめていたエルマが肩をすくめてみせた。
少なくともエルマもどういう真意があったのかはまでは本当に知らないようだ。
「一体何を企んでやがる」
「さぁの。知将の考えることが儂のような老骨にわかるはずもない。……だがそれとこれとは話が別だ。ギルドに依頼としてお主に仕事を任せるのであれば、儂が認めねば全ては始まらない。つまり堂々巡りってじゃな」
「そこで、団長に頼まれてボクが仲裁に入って君を連れてきたって訳さ」
途中から話に入ってきたエルマがここぞとばかりに胸を張る。
だがさっきから見ていれば煎餅齧ったり、勝手に茶をすすいだりでちっとも話に入らねぇじゃねぇかテメェ。
「ちょっと、無視はひどいんじゃないかなー無視は!!」
「……だが俺は変態女――、ヤエから冒険者は宣誓さえすれば誰でもなれるって聞いたぞ。俺の冒険者加入にそこまで否定的になる理由はなんだ」
「ああ、それか。その嬢ちゃんの話。そいつに関しちゃ間違ってねぇ。ただの冒険者。つまり手順を踏んだ錫から始めんなら儂も文句はなかった」
「それをあいつ――」と言ってセンバスは腕を汲み、ブツブツと口を動かしてから深くため息を吐き出しはじめた。
その不審な様子に隣を見れば、今度は苦笑気味に肩をすくめてみせたエルマが気まずそうに頬を掻いてみせた。
「どういうことだ?」
「それが、団長がいきなり三階級特進させた銀から始めさせろって聞かなくて」
確か錫、銅に続いて銀、金、白金と五段階で等級が分かれているはずだ。
ヤエの話では、この階級こそが冒険者としての格になると言っていたが、
「……俺はいまいちよく知らねぇがそんなに貴重な階級なのかか、これが」
「当り前だ。そいつを手にするために多くの冒険者が依頼で命を落としとる」
胸にぶら下げた銀のタグを手に取れば、湯呑を片手に真摯な視線を向けるセルバスが語調を落とし、ゆっくりと頷いた。
「国家施設の使用に第二禁書庫の閲覧許可。未踏領域への探索権。タグの階級ってのは冒険者にとって一種の誇りであり権力だ。そいつを持っているってだけで数々の恩恵にあずかれる。そこまで言えばいったいどれほどの値打ちもんなのかかお主でもわかるだろう?」
「はっ――、人間一つの命より重いってか。救われねぇなおい」
聞けば、白金は世界で十五人。
金は五十人。
銀なんて言えば世界人口の内の千人しかいないらしい。それに加え俺は教会の義務付けた宣誓を無視した状態で銀のタグを与えられたと考えれば、確かにこれほど破格で無謀な条件はないだろう。
未踏領域と言えばダンジョンも含まれるらしい。
自由を手にするために冒険者になった人間なら絶対に手にしておきたい称号なのかもしれない。
つまりそこまでして任せたい依頼が俺にあるのだ。
「団長の話ではアラガミ君に急務の銀等級クラスの依頼があるから、との話でしたけど?」
「そんなもん知るか儂が知るか。いくらすべての自由が許された世界だからって規則はあんだ。特例を認めちまえば面倒が後からついて回る。それをあの坊主もわかって言ってんだから忌々しい」
「……ですよねー」
なるほど。面倒な状態なのはわかった。
しかしそれでなぜ俺が振り回されなきゃならねぇ。
恩を返すとは決めたが、ここまで面倒ごとに首を突っ込む気はねぇぞ。
「……それで、さっきの品定めといい俺になにをさせるつもりだ」
「なぁに別に難しいことは頼むつもりはない。ただお主の実力を見せてもらいたい。それだけさ」
「――あン?」
「あのレイブンの坊主が、お主のためにわざわざ教会の審査を通さずに銀のタグなんて無茶なもんを発行させるほどだ。あんたが相当な実力者なのはわかっとる」
だから、と一拍間が開き、
「死ぬ気で避けろよ小僧」
静かで、それでいて焼けるような言葉が首筋に僅かな痛みを走らせた。
いや、これの溢れ返るほど強烈な殺気は――。
皮膚の下から全身の皮を裏返すような感覚が俺の全てのセンサーを解放させた。
迫りくる戦斧が寸分たがわず俺の頭蓋の頭上を捕らえた。
ズンッッッ!! と空気を切り裂き音が鼓膜を震わせ――、
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