THE MOVING FEAR

 大扉を開けたのは、ジョナサンだ。 先の本棚の仕掛けのように、特別な魔力がカギになっていることを考え、自ら名乗り出た。

 しかし、扉はやや重い――とはいえ、そのサイズを考えればむしろ軽いくらいで、普通に押し開けることができた。


「ひどいな、これは……」


 指揮官が呟いた。

 目の前に広がるのは、上の職業訓練場と同じだけの面積に林立する、大きな棚。空間に漂う空気は淀み、怖気が走る。まるで地下霊廟だ。


「太古の死霊魔術使いが作った地下迷宮に潜ったことがあるが、似たような空気だったな。いや、こっちのほうが重苦しいものを感じる」


「それは、死体が残っているからでしょう」


 ジョナサンは、無遠慮に棚に収められた箱を開いていう。


「これは棺だ。中に収められているのは、言うまでもないな」


 ジョナサンは手近な棚の一番下に収められた棺を引き釣り出して言う。中には、簡素な衣類に身をまとった、男の死体が収まっていた。


「こいつは……」


「知り合いか?」


 リンキーは忌々し気にため息をついていう。


「恥ずかしい話だがな、俺はお前と組むまで検挙率が低かった。スラム出身の犯罪者には舐められるくらいにな。コイツは、そのころ俺が取り逃がした窃盗犯だ」


「という事は――」


「ああ、スラムの住人だ。――いや待て!!」


 リンキーと同じことに、指揮官も気付いたようだ。


「おかしいだろ、それ。数が合わない……。多すぎる!!」


 スラムで行方不明になった人数は、七十八名。しかし、今目の前にある棚に収められた棺の数は、ぱっと見ただけで五〇〇を上回る。


「すべてが埋まっているとは考えたくないが、可能性としてはなくはないな……」


「運ぶにしては重労働だ……。どうしましょう?」


 リンキーの問いに、指揮官は深くため息をついて頭を掻く。


「最悪の想定をしなきゃな。まったく、騎士団に転職して何年も経つが、こういうのは慣れない」


「せめて、他の入り口がないか探しましょう。死体はともかく、棚や棺を支部長オフィスから運び入れるのは重労働どころの話じゃない。物資の搬入口があるはずです」


 ジョナサンの言葉に、指揮官はうんざりした様子で頷いた。

 


 それからしばらくして、ジョナサン達はカタコンベに物資を運ぶためのエレベーター――とはいえ、ジョナサンの知るものではなく、クランクをまわす原始的なものであったが――を探し当てた。

 捜索がひと段落すると、そこから死体を搬出し、全て政庁の中庭に運び込まれた。五〇〇を優に超える棺は、その全てが埋まっていた。

 そして、教皇操作から二日後、町中に面通しの知らせが出された。スラム以外にも出されたのは、以前から届けが出されていた市街地住民の行方不明者や、よその町の人間が棺に納められているかもしれないというエミナの考えからだ。

 政庁の敷地内には、外部からの魔術を遮断する結界が施されており、【ヨクスチ商会】で起きたような死体に干渉する術式の干渉を受けることはない。とはいえ、何かあってはいけないので、騎士団の重装部隊が中庭を囲むように周囲を警護している。


「いやなものだな……」


 リンキーは、廊下の窓から中庭を見下ろしてつぶやく。

 スラムの住人と思しきみすぼらしい恰好の者達が、棺を前に泣き崩れている。

 対して、市街地の住人たちは、行方不明になっている親族や友人がいないことに落胆し、八つ当たりするようにスラムの住人を睨みつけていた。


「なに、市街地の住人がスラムの住人に殴り掛からない分、まだマシだろう。アラビヒカに来る前に、私は色々な街を回ってきたが、スラムを狩場と呼ぶところもあった」


 泰然とするジョナサンに、リンキーは深いため息をつく。


「確かに、あの態度は見ていて気持ちのいいものではないが、それ以前に誰かが泣き叫ぶのを見るのは気分のいいものじゃない」


「ああ、まあ、そうだよな」


 言葉に反して、ジョナサンは依然として平然としている。他人の不幸を何とも思わないというより、自他の不幸を非常に見直に考えているのだろうとわかった。それこそ、呼吸や瞬きと変わらないほどに。

 だからと言って、ジョナサンの態度に腹が立たないわけではないし、彼の神経を疑うが、それを言っても仕方がないという事も理解している。彼は、生粋の悪人なのだ。


「で? 聞いたのかね?」


 ジョナサンが言っているのは、リンキーが抱く疑念の話だろう。


「いいや。まだだ。お二人とも忙しいのはわかるだろう? バルバトス卿はそもそも気軽にお会いできる方ではないし、団長は今回の面通しと周辺警護や遺体の処遇で忙しいんだ」


「団長はともかく、エミナ様は君が尋ねれば、にこにこしながら迎え入れてくれると思うがね」


「それで近衛の連中に睨まれるのはごめんだね」


「確かにそうだな」


 笑いながら言うと、ジョナサンは窓を見たまま言う。


「なあ、リンキー、君は、今日は家に帰れ」


「なんだよ藪から棒に。イーマグ様にはご迷惑をかけていると思うが――」


「確かに家族サービスは大事だが、そのイーマグ様が危ないかもしれない」


「――!!」


 唐突な言葉に、リンキーは眉をひそめた。


「事件が解決したなどと、君は本気で思ってはいないだろう?」


「それはそうだが……」


 やはり唐突な言葉はすぐには呑み込めない。


「いや、私も最悪の中の最悪の事態を想定してるわけだが……」


 ジョナサンにしては珍しく、自分の判断に悩んでいるようだ。


「一体どうした? お前は何を考えている?」


「言ったろう? 最悪の中の最悪だ。あの五〇〇を超える死体が、一斉にあのゾンビのようになったらどうなる?」


「それは……。確かに最悪だ……。だが……」


 面通しが終わった後、死体は政庁内の安置所に運ばれる予定だが、当然数が足りるはずもない。そのため、スラムの住人を含めた一〇〇は政庁内に、他は市内の診療所や葬儀屋、そして【ピンカートン騎士団】の詰所に送られることになっている。

 もちろん、何の処置も施さないなどという不用心なことはなく、棺には外部からの魔力を遮断する結界が施され、各所に三人から十人の騎士が万が一に備えての護衛につく。


「――対策は万全だ」


「ああ。だから、つけ入る隙がある」


 ジョナサンは、窓越しに空を見上げて続ける。


「万全の警護施したという事は、それを剥がせば一気にもろくなるという事だ。そして、人間が思いつく『万全』というのは、それほど頑強ではない。結局は過去の事例の範疇でしか動けない。まったくの未知に対しては、哀れなほどに弱いものだ」


「つまり、【クリサリス】に対して大した知識のない我々には、大きな隙が生まれると?」


「その通りだ。あのシーニーというやつは言っていたな。『この街は神の裁きが舞い降りる』と。奴の狙いは私だけではない。私を迎え入れたこの町全てが標的だ。ともすれば、今の流れは、奴の思うつぼではないか?」


「お前の言いたいことはわからなくはない。だが、それでなぜイーマグ様に危険が及ぶと思ったんだ?」


「彼女は、バルバトス家の娘だ。私のようにこの町に来たばかりの人間ならともかく、彼女が叙勲された騎士に嫁いだことは、街の大半の人間が知っている。もし、そんな彼女に身に何かあれば、どうだね? 治安がいいというアラビヒカの評判も、街を収めるバルバトス家の名誉も、君を含めた【ピンカートン騎士団】の権威もすべて地に落ちる」


「……」


 リンキーはわずかに絶句したのち、ジョナサンに鋭い目を向ける。


「ずいぶん、具体的な案だな」


「疑われるのは心外だね? 言ったろう? 君の予想は正しくもあり、間違ってもいる。私は、君が思う様な存在にはなり果てていないよ。疑うのであれば、団長かエミナ様に聞く事だ。今の私の言葉は、全て犯罪コンサルタントとしての言葉だ。私はプロだぞ? このぐらいの見通しを持てなくてどうする?」


 納得はできない。しかし、これ以上彼に突っかかってもどうにもならないことも理解できないわけでもない。


「……まあ、忠告は感謝する。だが、本当に杞憂だと思うけどな。何せ、今回結界を張るのは騎士団の結界に特化した騎士に、近衛騎士団、そしてバルバトス卿が自ら出てくださるんだ。それに、イーマグ様には、隠匿魔術の衣服や、我が家に施された結界もある。彼女の身の安全は保障されているようなものだ」


 とはいったものの、ジョナサンの犯罪者に対しての見識が間違っていたことはない。彼にそこまで言われたとなれば、どれだけ騎士団が万全の策を取っていても、完全に安心しきれない。


「……まあ、それでも今日は早く帰らせてもらうことにしよう」


 苦々しく付け加えたリンキーに、ジョナサンはからかうでもなく真面目な顔でうなづくばかりだ。


「ああ、それがいい」


 そんな彼に、リンキーは少し違和感を覚える。


「お前、本当にどうしたんだ? なんだか様子が変だぞ?」


「んん? ああ……。そうか?」


「ああ、そうだ。まるで【クリサリス】以外のことは考えられないでいるようだ」


 指摘され、ジョナサンは目を丸くする。本当に自分でも気づいていないようだ。


「フフッ……」


 続いたのは、笑い声だ。

 最初は小さな笑いだったが、やがて哄笑に代わる。


「フフフフフフ……ハハハハハ……アーッハッハッハッハッハッハッハ!! そうか!! 私はそうなっていたか!!」


 あまりの感情の振れ幅に、リンキーは言葉を失う。彼の奇行に圧倒されたわけではない。「ああ、またか」という呆れだ。


「いや、すまない。リンキー。何せ、私も久しぶりなんだ。一つの敵に執着するのはね」


「その敵は。あのシーニーというやつのことか? それとも【クリサリス】か?」


「もちろん【クリサリス】だとも。いや、すまないリンキー!! そして感謝する!! おかげで視野狭窄から抜け出せた!!」


 いつもよりもはるかにハイテンションな彼がまともとは、到底思えなかったが、それでも、さっきよりははるかにマシに思えた。



 禍々しい蛹を模した、【クリサリス】の紋章が掲げられた豪奢な部屋の中で、一人の男が食事を取っていた。

 痩せすぎな血色の悪いその男――シーニーの目の前に並べられたのは、その体に似合わず肉料理ばかりだ。


「さて、守備はいかがですか?」


 彼の脇を固める、似たような血色の男女に尋ねる。


「ハイ、【ヨクスチ商会】から運び出された遺体は、アラビヒカ各地に送られています。今夜にも、搬送波完了するでしょう。いくつかは検査のために解剖されるでしょうが、作戦に支障はありません」


「上々ですね。では、目くらましは?」


「四十体を用意しました。すでに搬入は完了しています」


「結構。先遣隊は?」


「すでにアラビヒカに入っています。結界の干渉は受けていません。しかし、イーマグ・バルバトスは見つけられません」


「安心しました。まあ、魔術文化の中心地で、魔術を無効化するような結界を張るわけがありませんよね。イーマグ・バルバトスについても、気にすることもありません。あれは、元上級貴族です。実家から隠匿魔術の施された衣類を持ってきていてもおかしくはありません。今住んでいる、リンキーとかいう騎士の自宅も同じように秘匿や防護の魔術が施されていると考えていいでしょう。目くらましを待つように伝えてください」


 シーニーは食事を続けながら言う。スプーンですくったスープの中に浮かぶのは、人間の脳漿だ。


「では、行きましょうか。アラビヒカへ。今夜にでも到着できればいいんですが」


 その言葉に呼応するように、部屋の外から、嘶きが響いた。その声は、まるで無数の人間の断末魔を束ねたようにも、腐れはてた魔獣の慟哭のようにも聞こえる。


「ああ、速度は出していただきたいですが、揺れには気を付けてくださいね。せっかくの食事が零れてしまいます」


 そう言って、シーニーはスープを口に含む。口の中に、人骨のガラからとったスープの香りが広がり、舌の上に乗せた脳漿の味が幸福感となって脳にスパークを走らせる。さらにそれを奥歯でぶりゅりぶりゅりと触感を楽しみながらかみつぶして呑み込むと、得も言われぬ興奮と征服感が全身を包んだ。

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