PETITION

 げんなりした顔のリンキーと、昼食のタコスにご満悦のジョナサンは、エイビスの執務室に通されていた。


「さっきジョナサンも言っていたが――」


 窓の外へ目を向けたまま、エイビスは話を切り出そうとして深いため息をつく。まるで、どうしたらいいのかわからないといわんばかりのため息だ。


「――見てみろ」


 エイビスは一歩下がって、窓の外をしゃくって見せる。

 ジョナサンとリンキーは、窓の下――政庁南門から入ってすぐにある、ピンカートン騎士団アラビヒカ駐留部隊の一般向け窓口だ。ジョナサンの世界の世界で言えば、警察署のロビーに当たる。

 そこには、ボロボロの身なりの男女が三〇人ほど、入り口を固める騎士に追い出されそうになっても身を寄せ合って抵抗し、何かを訴えかけている。時折、すれ違う人々が高貴や侮蔑の目を向けるが、彼らは意に介さない。普段、街中に出てきたスラムの住人を、三秒以上見つめただけでもけんかになりかねないというのに、今の彼らには他人にかまっている余裕はないようだ。


「いったい何が……」


 スラムには偏見が――とはいえ、【ピンカートン騎士団】の団員としては、一般的な恐怖心や苦手意識だが――あるリンキーは、正直関わりたくないという内心を隠し切れない声で言う。


「七十八人だったかな……?」


 答えるようにジョナサンがつぶやくが、リンキーには意味が分からない。


「何の話だ? 意味が分からない」


「この半年で、スラムで行方不明になった人数だ」


「なっ……!!」


 アラビヒカの人口は、公式には約五万人――ゴエティアの七十二の上級貴族が収める街の中では、中の上から上の下といった規模だ。

 しかし、この数字は正確ではない。あまりの治安の悪さに【ピンカートン騎士団】でさえ恐れて近づかない――というだけではなく、失脚した元宮廷魔術師や、スキャンダルで身を崩した元元老、国を裏切った反逆騎士など、厄ネタの存在がまことしやかにささやかれるため、王都の調査員やその護衛の騎士ですら、スラムには入ろうとしない。そのため、その人口は正確に把握しきれていない。

 しかし、アラビヒカは少し事情が違う。この街を収める、エミナ・バルバトスは、七十二の上級貴族の中では数少ない清廉潔白かつ、公正な人物だ。実力とある程度の人格を兼ねそろえているなら、政庁や【ピンカートン騎士団】に引き込もうとする――もっとも、そうでなければジョナサン・マクノートンのような破綻者を迎え入れるようなこともなかったであろう。

 彼は、スラムに落ち延びたものを救うべく、公共事業を展開した。その成果は現在もスラムが存在し、治安の悪化に一役買っていることからわかる通り、芳しいものではないが、一つ、上等な成果を上げたものがある。

 エミナは自らスラムに魔力測定機器を持たせた使い魔を飛ばし、内部の魔力を計測することで正確な人口を計測した。

 その数字が、約千人――数字の上だけならばそれなりに大きいが、ほかの大都市に比べれば、五分の一程度の割合にすぎないと考えれば、アラビヒカの治安の良さがわかるだろう。

 

閑話休題――


 千人中七十八名が行方不明になる――全体の8パーセント弱がいなくなるとすると、かなりの騒ぎだろう。ましてや、スラムの人間には独自の絆がある。知り合いが一人か二人消えただけならば、「どこかに旅立った」くらいにしか思わないだろうが、それが三人四人と増えていけば、さすがに何かがおかしいことに気づく。

 ともすれば、彼らが真っ先に疑うのは騎士団だろう。何せ住民の大半が何かしらの犯罪に手を染めているのだ。「手柄が欲しければ、スラムで攫え」というのは、スラムが【ピンカートン騎士団】の脅威でなかったころ――騎士団が今の形になってすぐのころに、当たり前のように言われていたことだ。

 そして――本当に愚かしいことに――それを今でも実践している騎士団の支部はあるし、そこから流れてきた住民も、スラムにいる。

 彼らにとって、【ピンカートン騎士団】とは、この事件の重要参考人なのだ。


「最初は一人二人が街角の詰め所に駆け込むくらいだったんだ。『身内が行方不明になった。だがしてくれ』ってな」


 暗澹とした気分とうんざりした心持をそのままに、エイビスは深いため息をつく。


「まあ、それで騎士団が動くわけがありませんな」


 ジョナサンは淡々とした様子で言う。まるで他人事だが、実際彼はエミナとエイビスに協力しているだけであって、【ピンカートン騎士団】に忠誠などまるで誓っていない。


「その通りだ。だが、彼らにとっては俺たちは溺れる者のつかむ藁だった。それがたやすく沈んだら、どう思う?」


「それは……まあ……」


 リンキーは言いにくそうに口ごもる。彼自身、スラムに偏見が――【ピンカートン騎士団】の団員としてはそう珍しいことではないとはいえ――ある。スラムの人間に助けを求められたとして、リンキー自身はどういった対応をとるだろうかと思案してみれば、一瞬で答えは出る。

 第一に来るのは、疑念だ。犯罪者が多く住む地域の者が騎士団に助けを求めるなど、何か裏があるに違いないと決めつけ、まともに取り合わないだろう。

 第二に思いついたのは――思いついてしまったのは、侮蔑だ。犯罪者同士のいざこざに決まっているのだから、そんなものに職務の時間を割きたくはないという、彼らに対する侮蔑。

 それを自覚してしまったからこそ、リンキーは気まずい心持のまま何も言えずにいる。こんな姿は、自分を理想の騎士に重ね、慕ってくれる妻には到底見せられない。


「恥じるのはいいが、変に委縮するな」


 そんな彼に声をかけたのは、意外にもジョナサンだった。


「お前……」


「いま、君が考えたのは確かに恥ずべきことだ。だが、大抵の人間はそれを当たり前のこと、あるいは正しいことと考えて思考停止する。だから、平気で誰かを傷つけることができる。だが、同時に君の疑念は当然だ。誰もかれもがスラムの人間の言うことを信じていては、この街の騎士団は壊滅していただろう」


 あまりにも的確に心情を見抜いての言葉に、リンキーは気持ち悪さを覚える。


「お前まさか……」


「君の心を覗いたとでも? まさか。馬鹿言うなよ。顔を見れば一発でわかるレベルだったぞ。やはり、君は若いな」


「い、一発でわかるって……」


 学院では、魔術戦の駆け引きについても学んでいた。多くの科目でトップをとっていたリンキーは、そこでも一位だっただけに、こうもやすやすと見抜かれては、立つ瀬がない。


(いや、もしかしてジョナサンだけに伝わったのでは……。こいつは、犯罪コンサルタントというだけあって妙に鋭いし――)


 そう思いながら、リンキーはエイビスを見る。


「俺も気づいていた。まあ、どんなに学院の成績が優秀でも、実戦で使えなければ意味がないというわけだな」


 彼からも心象を見透かされた言葉を言われ、リンキーはうなだれる。

 視界の端委に移るのは、依然として立ち番の騎士に食って掛かるスラムの住人たちだ。

 そこで、ふと、リンキーは思い至る。「なぜ、団長は、我々をここに読んだのか」と。

 自分の表情が凍り付くのがわかる。

 額をだらだらと脂汗が伝う。

 もはや表情を繕う余裕もない――そもそも、そんな発想すらなくなってきている。


「察したようだな」


 エイビスはニンマリ笑って、リンキーに言う。


「待ってください……。スラムは……」


「スラムの住人もアラビヒカの民だ。【ピンカートン騎士団】の庇護下にある。違うか?」


「それはそうですが……」


「犯罪者が多いといっても、俺たちが逮捕するのはスラムの人間だけか? 違うだろう? スラムの人間も市街地の人間も、罪を犯せば逮捕する。被害にあっているなら捜査する。そうだろう?」


 そこまで言われてはもはや何も言えない。考えるまでもなく、間違っているのは自分のほうなのだ。その自覚はある。であれば、どうあっても従うしかない。


(そういえば――)


 そこで、リンキーは違和感に気づく。いつもならば、リンキーが感情をむき出しにしてしまった時点で、嬉々として襲い掛かるジョナサンのおちょくりが全くない。


「……」


 不気味さを感じ、彼を見る。たとえばすぐにからかうことはせず、リンキーの姿をニタニタ笑いながら見ているのではないか――そんな考えは、すぐに打ち消された。

 ジョナサンは、そもそもリンキーなど見てはいなかった。彼の目線は窓の外――これ以上は無駄と悟ったのか、踵を返し、毒づきながらも無力感に打ちひしがれているように見える、スラムの住人を見ていた。そこに表情はなく、そもそも何を考えているのかわからない。


「私もこの件に気づいたのは、最近だ。あのタコス屋に通っていなければ、耳にすることはなかったでしょう。――団長、あなたはこの件をいつ?」


 ジョナサンの表情は依然として変わらない。だが、そこには何かしらの圧があった。


「そんな顔をするな。俺も二週間前に気づいた。詰所の報告書を読んでやっとだ」


 短いため息の後、ジョナサンの圧が増大する。この部屋の人間に向けられたものではない。もっと遠くの、あるいは、自分自身の奥深くへ向けられている。――馬鹿々々しく矛盾している感覚だが、リンキーにはそのようにしか感じられなかった。


「ジョナサン、お前は何を考えている? そういえば、この事件の発端は半年前だったな? お前と何か関係があるのか?」


 ジョナサンは答えずにたりと笑い、「やはり君は優秀だな」と言って、エイビスを見る。


「話しても?」


「駄目だ。まだな。奴らが――【クリサリス】が関わっていると確定したわけじゃない」


 エイビスのにべもない言葉に、ジョナサンはいつものニヤニヤ笑いを張り付けて肩をすくめる。


「だ、そうだ。悪いな。だがこれだけは約束しようじゃないか」


 ジョナサンは、リンキーの肩をポンと叩いて続ける。


「――君に、二つ目の勲章をくれてやるよ」


 そういってジョナサンはニタニタ笑いながら執務室を出ていく。

 スラムでの大量失踪事件と、【クリサリス】、そしてジョナサン――何がどう絡んでいるのか全く分からず、リンキーはエイビスを見る。


「言ったろ? この件は機密で、ジョナサンは対【クリサリス】の切り札だ。そして、この件が終われば、お前は二つ目の叙勲だ。何か質問は?」


「……質問しかないですが、答えてもらえないんですよね?」


「ああ。【クリサリス】が絡んでいる可能性があるっていうだけでも、本当は教えたくないくらいだ」


 リンキーの表情が思わず表情がひきつる。「ならば質問しても意味ないじゃないか」と、上司に言える胆力は、下級貴族の次男坊――平民以上の小市民にはないのだ。

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