WORSHIP

「奥方、と言いましたか……」


 ジョナサンの口調が変わる。

 少女とはいえ、貴族の妻を名乗る人物に例を示したつもりなのだろう。

 しかし、声は依然こわばっている。


「はい。私はまだ十四になったばかりなので正式な婚姻はまだですが、リンキー様の妻となることが決まっております。イーマグ・バルバトスと申します」


 ジョナサンは表情を変えない――というより、凍り付いているのが傍目に見てもわかった。


「――あー……」


 たっぷり三秒の沈黙を置いて、ジョナサンは口を開く。


「ああ、そうだ。リンキー、仕事について大事な話を思い出した。奥方に聞かせるわけにもいかないから、少し外に出ないか?」


 断り様もない言い回しだ。


「あ、ああ。わかった。それではイーマグ様、少しお待ちを」


 連れ立って外に出ると、家の脇の路地に入る。


 事情を説明しようと口を開くよりも早く、ジョナサンが口を開く。


「この国の婚姻の最低年齢は、何歳だったかな?」


「十五歳からだ……」


「君の年齢は?」


「一か月後に、十九歳になる……」


「彼女の年齢は?」


「十四歳になったばかりだ……。なあ、ジョナサン、話を――」


 言い終わるよりも早く、ジョナサンはリンキーの胸倉をつかみ、家の外壁に押し付ける。


「失望したよリンキー……」


 その声は、静かな怒気を孕んでいた。普段の人を食ったような彼の態度からは、まるで別人だ。


「待て……。これには事情が……」


「事情⁉ 私が知ったことか!! 私はかつての世界で非道の限りを尽くした。多くの人間に犯罪を教唆し、必要とあれば何人もの人間を殺した!! だが、私は子供に手をかける事は絶対にしなかった!! 子供の人身売買も、子供を狙うシリアルキラーの逃走幇助だ!! なぜなら!! 私は悪人ではあるが、外道ではない!! 子供を己の欲望のままに弄ぶなど、それは悪にも劣る獣の所業だからだ!!」


「違うんだ!! 本当に違う!! まず話を――」


「もしも君が出世欲にまみれていたとしても、私はそれを容認しただろう!! 君のように正義を胸に抱いている者ならば、出世しなければ正しい行いを成すことはできないだろうからな。それは私のいた世界の警察でも、この世界の【ピンカートン騎士団】も変わらないだろう!! だが、そのためにバルバトス卿をそそのかし、幼い娘をめとるなど、そんな外道の所業を行うなど、言語道断だ!!」


 その言葉に、リンキーは少し違和感を覚えた。

 ジョナサン・マクノートンという人間は、自他ともに認める悪辣な人間だ。エイビスやバルバトス卿は、そのあり様を容認し、柔軟に活用しようとしている。

 だが、今の言い回しはどうだろうか。普通の悪人は、正義を憎み、嘲る。だが、彼は、まるで悪の中にも秩序を求め、悪という立場から正義を崇拝しているようにも見える。そして、その思いは相当に強いようだ。そうでなければ、彼がここまで取り乱す程の激情を見せるはずがない。


「ジョナサン……、お前は……」


「昔の私ならば、ここで君を殺しているところだが、今の立場の上ではそれもできない。だから、貴様を逮捕する……」


 憎しみに歪んだ顔に反して、その声は、どこか憂いを覗かせていた。

 それがわかったところで、リンキーの状況が変わるわけでもない。それを思い出して、再度の抵抗を試みる。


「違う。本当に違う。こうなったのは、望まない偶然だったんだ……」


「もういい聞きたくない!! たとえこの状況が罪に問われなくとも、私の手にかかれば、君を極刑に処すほどの罪を擦り付けることだってできるんだ!!」


 ジョナサンが壁に手をかざし、土属性の魔術で手錠を形成する。

 だが、それがリンキーにかけられるよりも早く、少女の声が響いた。


「お待ちになってください!!」


 路地の入口に、イーマグが立っていた。


「誤解です!! リンキー様は、父をそそのかしたわけでも、私を無理矢理めとったわけでもありません!!」


 絹を裂くような、涙交じりの嘆願の言葉。

 その様子に、ジョナサンは彼女を見据え、その言葉に聞き入っている。


「私が、リンキー様の家に無理矢理嫁いだんです!!」


「それは、どういう意味ですかな?」


「お話します。あれは、半年前のことでした――」


 そして、イーマグはリンキーに嫁ぐまでの事情を説明した。

 ジョナサンはそれを半信半疑で聞いていたが、聖属性の魔術で彼女を分析していたのか、話の途中で、「凶属性で線のされているわけではないのか」と独り言ちていた。


「――わかっていただけましたか?」


 すべての事情を聞き、ジョナサンはため息を一つ。


「ええ。すべて理解しました。どうか、あなたと彼への非礼を詫びたい」


 そう言って、リンキーへの戒めをとくと、ためらいなく頭を下げた。ポーズではなく、心からの謝意のようだ。


「いいえ。悪いのはすべて私です。せめて十五になるまで待てば……」


「何をおっしゃいます。責められるべきは、私一人だ。貴女は確かに強引だったかもしれないが、その献身は本物だ。そこに疑いをはさんだ私こそが、貴女達に責められるにふさわしい」


 目に浮かぶ涙をぬぐいながら、イーマグは言う。


「あなたは、いい人ですね」


「とんでもない。貴女が私を知らないだけだ」


「そうですか? 自分が気付いていないだけでしょう?」


 ジョナサンは、その言葉に肩をすくめるだけだ。イーマグはその態度に怒るでもなく、笑顔を向ける。


「これも何かの縁です。せっかくですから、一緒にお夕飯を食べていってください。私も、何かもう一品作りますから」


 そう言って、イーマグは家の中に戻っていく。


「ああ言っていたが、構わないか?」


 ジョナサンはいつもの薄ら笑いに、バツの悪さをにじませて言いながら、リンキーに手を差し伸べる。


「ああなったら俺の話を聞かない。食っていけ」


 助け起こされながら、リンキーは言う。その言葉は憮然としているというよりは、先の拘束の苦しさでむせるのをこらえているようだった。


「すまなかったな」


 次いだジョナサンの言葉に、今度はリンキーが驚愕の表情を浮かべた。仰々しさも、からかいも含まないストレートな謝罪の言葉にが、ジョナサンの口から出るなど想像できなかったのだ。


「からかいすぎたことを謝罪しに来たのも、今の早合点を申し訳なく思うのも、全て本当だ。君は、信じてはくれないだろうがね」


 あまりに信じられない光景に、リンキーは思わず笑ってしまった。つい、普段は言わないような軽口が口をついて出てしまう。


「お前、前の世界じゃ犯罪コンサルトだったんだろ? あんなに激情に駆られて、務まったのか?」


 ジョナサンは、痛いところを突かれたとばかりに苦笑する。


「ああ、私一人では無理だったろうな。だが、信頼できる部下が十三人いた。私が激情に駆られれば、殴ってでも止めてくれるような部下がね。いや、立場の上では部下だが、実際には仲間――あるいは家族と言えたな」


「犯罪コンサルタントの組織が家族ね。ずいぶん嫌な家族だな」


「ハハッ!! 私もそう思うよ。だが、正義を標榜するだけの連中よりも、信頼は堅固だったと言っておこうそれに――」


 ジョナサンはおどけるように肩をすくめて続ける。


「一応言い訳をしておくとだ。私の世界では、児童を搾取する連中は、たいていが疑わしい奴はクロだったし、一見善人に見える奴が最悪の罪に手を染めていたことがあった。テッド・バンディや、ジョン・ウェイン・ゲイシーはこの世界に来ていないか?」


「聞いたことのない名前だ」


「そうか。まあ、シリアルキラー程度の奴は、この世界には来ていないかもしれないな。私のように、世界中に憎まれなければね」


「お前は何をしたんだ……」


「犯罪のプロデュースさ。世界中のね。何度も話したろう?」


 いったいどんな規模の犯罪をプロデュースすれば、この世界に飛ばされてくるのかという疑問は呑み込んだ。そもそも、体制側に人間でもないのに、【クリサリス】に命を狙われている時点で、相当なことをやらかしているはずなのだ。前の世界での所業など、聞く気にもなれない。

 家に入ろうとドアノブを掴んだところで、リンキーはジョナサンを振り返る。


「そうだ。わかっているとは思うが――」


「ああ、私は君の奥方に名乗っていなかったな。わかっている。フルネームは名乗らないよ」


 ゴエティア王国において、姓は宗教的に重要なものだ。名乗ることを許されているのは、国名と同じゴエティアの姓を持つ王家と、その眷属たる七十二の上級貴族だけ。たとえどれほどの財や権力を手にしても、中級貴族以下の階層の国民は、姓を持つことは許されない。

 そして、異世界転生者は、大半が姓を持っている。さらに言えば、昼間リンキーが言っていたように、「異世界転生者は、元の世界で大罪を犯した非道な悪人だ」という認識が強い。【ピンカートン騎士団】の創設者のように、そういった偏見をはねのけ、元の世界での知識を活かして功績を残すものはいるにはいるが、大半は無条件で嫌われる。

 つまり、この王国で名前を聞かれて姓まで名乗る者は、人々からすれば「何をしでかすかわからない、厄介な異邦人」でしかないのだ。

 逆にいえば、それを踏まえて名前だけ名乗れば、「珍しい名前のちょっと世間知らずの変わり者」程度に認識が柔らかくなる。


「私も、そのくらいの常識はあるよ」


「お前に、常識なんてあったんだな……」


「あるさ。わかったうえで、必要とあらば破るだけだ」


「必要性を感じる頻度が多すぎる気がするがな……」


「私からすれば、君が硬すぎるんだ。もっと柔軟になれよ」


 もう、ジョナサンはいつもの調子に戻っていた。


「それに、彼女に余計な心理的庇護を与えたくない」


「お前が子供にやさしいなんて、ずいぶん意外だよ」


「それもそうだが、彼女は素晴らしい女性だ。年齢が伴っていないがね。さっき家に入ったときに見た感じだが、使用人も使わずに彼女はあの家をちゃんと守っている。いや、私のいた世界からすれば、ばかばかしいほどに古い価値観だがね。それでも僅か十四歳の少女の行いとは思えない。彼女が自ら信じた――信念に基づいての行動であるなら、私はそれを尊重しなくてはならない。尊敬すると言い換えてもいい。そして、私は尊敬する相手には礼を尽くす。君にもだ、リンキー」


 あのわずかな時間で家の中を観察していたジョナサンの目に舌を巻きつつも、リンキーは真っ先に感じた不満を口にする。


「それなら、あの人を馬鹿にしたような態度はやめてもらえないか?」


 対するジョナサンは――やはりというか――亀裂のような悪辣な笑みを浮かべて応える。


「それは無理だな。君は、正義感もそれを扱う才能も素晴らしいが、若すぎる。私も四十に手が届く年齢だ。そういう若者は、からかわずにはいられないんだよ」


「年齢関係なく、お前の性格が最悪なだけだろうが……」


 そのあとは、三人で食卓を囲んだ。

 イーマグは、ジョナサンの駆ってきたタコスとナチョチップに対し、「野菜が少なすぎます」と不満たっぷりの様子で、サラダを作って二人に食べさせたが、結局彼女が一番タコスとナチョチップ、そしてナチョチップをつけるワカモレのディップを一番多く食べていた。



 暗い部屋の中に、円卓が一つ。十人掛けであるにもかかわらず、席に着くのは一人だけだ。

 他の席には、子供の頭部ほどの大きさの水晶玉――遠隔通話用の魔術触媒だ。それは、老若男女様々な姿を投影していた。


「――ええ。皆様の手を煩わせる必要はありません。この件は、髪の従僕たる私が、成し遂げて見せましょう」


 ローブから除く不健康に乾いた唇がそういうと、水晶玉が通話相手の投影をやめる。


「聞きましたね、皆さん」


 男が言うと、部屋に明かりがともる。そこは、豪奢な家具や装飾品に彩られていた。中級貴族の家や、業績のいい商会の応接室を思わせる。――最も大きな額縁に、【クリサリス】のシンボルたる、禍々しい蛹を模した紋章さえなければ、であるが。

 男はローブのフードを卸すと、土気色の肌に、ぎょろりとした目が露わになる。不健康という以前に、変質的な印象を受ける。


「――この半年間、皆様はよく働いてくれました。これより、その働きが報われる時が来たのです!!」


 その細身のどこからそんな声を出しているのか、その響きに、壁際に控えた男女は感嘆の声を漏らす。


「これより、我々は神を奪還します!!」


 言うと、壁際の男女は短剣を掲げ、ためらいなく自らの首を突き刺した。誰一人うめき声すら漏らさず――むしろ恍惚に顔をゆがませ、同時に血を噴出しながら崩れ落ちていく彼らの姿に、ローブの男は感嘆の声を漏らす。


「素晴らしい……。皆様こそが、真の神の従僕なのです……」


 男はその骸に歩み寄り、詠唱を始める。


「死霊よ――大いなる慈悲より零れ落ちた死霊よ。汝らの無念を糧に、再び生命の息吹を響かせよ!! 回生!!」


 十と二の魔術属性の中でも、唯一禁忌とされる死霊属性の詠唱――それが響くと、まるで逆再生のように、床に広まる血だまりが引いていく。

 やがて、それが消えると、自害したはずの男女は、ゆっくりと立ち上がる。頸の傷は消え、その過程で首から抜けた短刀には、血の一滴もついてはいなかった。


「おめでとうございます!! これで皆様は真に死を克服しました!! これより!! 我らは修羅に入ります!! 神を貶めたかの罪人を、正常な炎で焼き尽くすのです!!」


 狂的な笑顔でまくしたてる男の表情が、一転、憎悪に歪む。


「このシーニーが命じます!! 死を!! あさましき神の簒奪者、ジョナサン・マクノートンに死を!! 彼奴めに協力する者も同様!! 死を!! 破滅を!! 凌辱を!! 清浄なる神、ワーストは、きっと君たちの働きに報いてくれることでしょう!!」

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